こんにちは、ワーママしもんです。我が家にも大きな変化点があり、今年から夫の単身赴任が始まりました。そのことについて、書いてみたいと思います。

 

 

そうだった、転勤があるんだった・・・

私たち夫婦は、共働き、両者ともに会社員。いわゆるパワーカップル、と呼ばれる状態の勤労状況(この”パワーカップル”という単語にも、色々思うところはありますが)。

つまり、お互い、転勤あり・総合職。責任範囲広く、業務量多く、どこにでも行って会社のために働いちゃって〜、というやつ、です。

 

現代は、共働き家庭が多く、育児・家事を夫婦でシェアすることも当然視され、妻側も夫側もそれに抵抗がなくなってきているのが、感覚として合うのでは、と思う。そして、家庭内の大人2人で子どもの世話をしながらお互いの労働時間確保を成り立たせている状況。

 

その構図を、根底からドンガラガッシャ〜んと、壊しにかかってくるのが、異動辞令、という紙ペラ。

辞令が出て、どちらかの転勤が決まった瞬間、子どもの世話、という大仕事がどちらか1人の大人にのしかかってくることが決まる。なぜなら、子ども達を半分に分けることはできないのだから。

 

「そんなこと、わかって会社と職種を選んだんでしょ?」と言われてしまいそうだが、果たしてそうだったか?

 

 

会社は自由に選べたのだろうか?

私が、新卒で就職活動をしたのは、2009年リーマンショックの後。猛烈な採用数の絞り込みが行われ、就職は狭き門だった。本当に受からない。文系、4年生大学の学生は厳しく、40〜50社受けて、内定1つ取れるかどうか、と言われた。本当にそれくらいだった感覚がある。同級生の中には、民間企業にどうしても受からなくで、途中で、公務員試験受験に切り替え、猛烈に勉強し、市役所への就職を勝ち取った人も何人かいる。

 

その後リーマンショックの影響による各企業の採用の絞り込みは、2013年頃からは段々と緩み、今の活況な人取り合戦につながる。つまり、私はその採用数が底を打ってしまった2〜3年にハマってしまったのだ。こればっかりは、くじが外れたな、と思った。

 

事実、私もとれた内定は一つ。「行き先があって、よかった・・・」と心の底から安堵した。さて、その時”会社は選べたのだろうか”?

 

実感した事は、学歴には学歴に応じた、就職先した門戸を開いてくれない、という事。中学生、高校生の時に、少し勉強ができる側の人はこんなことを言われたことはないだろうか?「偏差値が上の学校に行けば、選択肢が広がるから、入れるなら上に学校に行ったほうがいい」というセリフ。本当にそうか?

そうでもない事実があるんだな、と感じた事例がまさに就職だった。それなりに入るのが難しい4年生大学の学生には、”一般職”の募集枠はなかった。その枠は、短大の学生にとって置かなければいけないのだから、募集要項に、「短期大学卒業見込みの者」の文字が踊る。

 

つまりそうやって、高校を選ぶ、大学を選ぶ時点で、社内の中で活躍(戦う)を想定さるステージが大別されているのだな、ということ。もちろん、100%そうではないですよ、そうではないこともたくさんあるし、結局は個人ごとに違うのだけど。けれど、いわゆる「レール」というのは、こういう感じに社会に敷かれている。そのレール自体は、目に見えない。けれど、就職活動のような時々に顔を出し、社会に実装されていることに気づくのである、ということを肌で感じた。

 

 

ということで、夫にも発動されました。異動辞令

ということで、夫にも発動されました。異動辞令。

始まりました、単身赴任。

我が家の場合は、私が子ども達と共に暮らし、夫は単身暮らす、という選択をしました。私は会社員のままですので、さて、小学生1人・保育園児2人、をフルタイム会社員、の状態でどうやってごきげんに生活していくか。

 

試行錯誤と、考察の日々が始まります。

 

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今日も読みにきてくれてありがとうございます。

また、次回。今日も一日ごきげんに過ごしましょう〜。