太陽さえもまどろむ春の昼下がり。幾つか浮かぶ雲の動きも、緩慢としている。城を見下ろせる小高い丘に彼らは居た。青い雑草は風に凪ぎ、寛ぎなさいと誘うよう。ジークは草原に仰向けに寝転がり、その傍でナギ、クレア、エリーが会話に花を咲かせる。レインズも警戒を弱め、胡坐をかいて風に髪を自由に遊ばせてやる。時折細まる目は穏やかで、睡魔が襲ってきていることの象徴であろうか。「珍しいな」上半身を起こし、ジークがレインズに笑いかけた。レインズは恥ずかしさからか眼鏡を上げる仕草で顔を隠し、姿勢を正す。隠しきれていない耳が朱に染まっているのを見て再びジークは笑む。
「私にだって眠たくなる日はあるのです」「はは、そうだな」ジークは言いながら、ナギたちの方を向いた。丁度此方を向いて居た三人と目が合う。柔らかな笑みを浮かべるナギ、ほんのりと頬を赤らめるエリー、二人とジークを面白そうに見つめるクレア。いつもの三人と言えばいつもの三人だ。「私たち、向こうの方に行ってくるね」「珍しいお花が咲いていて綺麗なんですよ。ジークさんたちも来ますか?」「いや、いいよ。俺たちはここでのんびりしてるから」レインズも首を横に振ったのを確認し、三人は無邪気に駆け出して行った。途端に華やかさがなくなったようにジークは感じた。明るい顔の三人に、ジークは首を傾げる。「まだ花なんかに興味があるんだな」「さあ、私にはよく分かりませんが」「エリーもよく付き合うよな」ナギとクレアの目的が男から離れて言いたい放題のガールズトークであることも、それにエリーが巻き込まれてしまったことも、二人は知らなかった。
「それにしても随分と丸くなったな……」小さな、口から滑り落してしまったような呟きだった。レインズが失言に気が付いたとき、既にジークは好奇の眼差しを彼に向けていた。前に乗り出し、追及の体勢をとる。「それ、誰のことだ?ナギじゃないだろ。クレアか?」 「……どちらでもないと言えばどうします」「もしかしてエリーなのか?」いよいよジークの瞳が光り出した。もはや弁明は出来まい。レインズが深い溜息を吐く間もジークは彼を見つめていた。とうとうレインズは根負けし、苦々しい表情のまま重い口を開く。「あまり人の過去を晒すのは如何なものかと思いますが……咎められたらジークの所為にしましょう」「おい」と間髪なく呆れ顔で突っ込みをいれるジーク。だが、すぐに「まあ、ここまで来て聞かないのももやもやするし、それでいいか」と付け加える。聞かなかったことにする、という選択肢が初めから存在しないかのようなジークに、レインズは最後まで残していた僅かな可能性を捨て、諦めて晒してしまうことにした。どのみち恥ずかしいのはエリーなのだ。今頃ナギとクレアにからかわれているかもしれないエリーに心の中で謝罪をし、レインズは口火を切った。
それは今から数年前、まだエリーがフォルアベルグに来て間もない頃です。彼は今よりもずっと少女のような風貌をしていました。そうですね、私も初め目にしたときは少女かと思いました。あ、彼には言わないでください。ちょっと、本当に言わないでくださいね。 そして、彼はその実力よりも容姿で騎士たちの間で有名でした。そういえば、親しい友人にだけ向けている笑顔は高嶺の花という二つ名さえ付けられていたような。今は聞きませんから、そうですね、高嶺ではなくなったということでしょう。ですがそれに反するように、彼の言動は素っ気なく、棘を含むようなものでしたね。有名ではあったものの良い噂は殆ど聞きませんでしたし、兄を失くしてからそんなに経っていないようで、人付き合いもいい方ではなかったようですよ。友人たち、といっても他国の方だとか。ああ、意外かもしれませんが、すべてエリーの話です。私もエリーを技術面で評価したことはありましたが、関わったことは数回にすぎませんでしたね。
「……信じられないな」ジークの呟きに、レインズは苦笑を見せた。「当時から好戦的ではなかったんですが、絡まれたりしたことも多かったようですよ」
では、一番印象的だった出来事をお話ししましょう。
当時一人の騎士が、彼に恋心を抱きました。初めのうち、彼は食事の誘いなどを手紙でし、断られると食い下がらずすぐに身を引く奥手な男性だったようです。しかし数回も重ねていくうちにだんだんと強情になり、しつこく迫るようになってきました。彼はそのことを他言せず、相手に配慮し明かしませんでした。ええ、関わりたがらなかったというだけなのです。しかしその優しさに、男は調子に乗りました。無理やり腕を引き食事に、練習試合に、彼を誘うのです。これは流石にエリーも隠し切れなかったのでしょうね、何度か私も発見し、男に注意をしました。男の様子ですか。なんというか、盲目と言えばいいのでしょうか。見えていないんです、エリー以外の者が。すぐに団長に相談しなかったのは完全に私の不手際、未熟だったゆえとはいえ今では後悔しかありません。
事が起こったのは更に時が過ぎた頃です。残念なことに私は件の数週間前に任務に出ており、エリーたちについては全く関わっていませんでした。忘れていなかったとも言い切れません。とても忙しかったというのは言い訳になりますが。久しぶりに彼と会ったのは闘技場でしょうか。彼は、すっかりやつれてしまっていました。可愛らしさは面影に留まり、青ざめた顔には恐怖しか映っていないように見えました。初め、それがエリーであるとすら、私は分からなかったのです。 そして彼は、私の前で倒れこみました。
「質問」ジークが不可解そうな顔で手を上げた。「そんな状態だったらほかの奴も流石に気づくだろ?」「ええ。クレアも当時は彼とそこまで親しくなかったようなのですが、気づいていたようです。ですが、声をかけたら突っぱねられた、と」「……ほんと、今とは全然違ったんだな」ジークの言葉に、レインズは眉を八の字にして微笑んだ。「今でも偶にですが、そういった節はあるんですよ。自分で溜め込もうとするのは彼の長所であり短所ですね」と、口にしてレインズは話しを続けた。
慌てて私は彼を救護室に運びました。診断は貧血。それだけでなく彼は痩せ細っており、なんと腕にはロープで縛られたとみられる痣さえ見つかりました。恐らく縛られており、食事もほとんど摂取できていなかったのではないでしょうか。話によると彼は三日間行方が分かっていなかったようです。意識を戻した彼にそのことを告げましたが、彼はそれが自分の過失であると言い張り、詳細は口にしませんでした。ですが、当然私は気が付きました。あの男の名前は抑えていましたから、すぐにでも向かうつもりでした。それを彼は弱弱しい声で制止し、首を横に振りました。「可哀そうです。僕が、悪いんです」「エリー。君は悪くない。ここでちゃんと改めてやることが、彼にとっては最適だ」「ですが……」一瞬ですが、私は彼があの男に恋慕しているのかと疑ってしまいました。私がそれを訊ねると冷静に「まさか」と告げられましたが。ええ、本当に。こちらが困ってしまうくらいに、昔から純粋で優しかったんです。人と関わらなかったのは容姿を見る奇怪な目から遠ざかるため、だとか。今ではそれにも慣れ堂々としていますね。その時の彼が今より優しすぎたのも、何事にも慣れていない所為だったのかもしれません。
「では、彼の名前は公開しません。暫く部隊なども変更しますが、そのまま軍人ではいてもらいましょう。それで宜しいですね」「……はい。すみません」彼の様子は被害者だというのにあまりにもしおらしいものでした。私は気が付けばその頭を撫でていました。無意識に保護欲が湧いた、と言いましょうか。男の行動はもしかして、その保護欲に恋愛感情が混ざり捻じれてしまったものなのかもしれない、とさえ感じました。
「謝る必要はありません」「……ありがとう、ございます」いくらかやつれてはいても、それは高嶺の花の微笑みでした。笑みに見送られ、私は男の元へ。男も流石に罪悪感はあったのでしょう。私がエリーとの約束を破ることはありませんでした。
私とエリーはそれから段々と打ち解けていきました。同時に彼は他の騎士たちとも話す機会も増えていったようで、一か月もたたないうちにすっかりと元気を取り戻していました。周りには事件前よりもさらに広がった輪ができていましたし、嫌がらせ等も全くなくなったようです。あの事件のおかげ、とは思いたくはありません。彼の本質に私を含め、たくさんの騎士が気付いたということでしょう。まあ彼に思いを寄せる者は増えたかもしれませんね。ですが、あの男と同じ轍を踏もうとするやつは流石に現れませんでしたよ。
「そして数年を経て、今の彼に繋がります」レインズは口を閉じ、大きく伸びをし、そのままジークを窺う。未だ夢の中に居るようなその顔と目が合い、レインズは苦笑した。 「私の話は以上ですよ」「あ、ああ、うん。えっと、ありがとう」曖昧な返事を返すジークに、レインズは笑う。「信じられませんか」「確かにエリーはレインズを慕ってるみたいだし、嘘だとは思わないけどな。その男はどうなったんだ」「今も奥地で勤務しています。まだあと数年は其方に居させるつもりですよ」穏やかな顔をしたレインズだったが、目は笑っていないよう感じたジークは、もうその男の心配は全くないのだと察する。自分も腕を伸ばす。空は相変わらずゆっくりと時間を紡いでいる。そのままゆっくりと体を倒す。草が頬を撫でられて、そのままジークは眠ってしまいそうになる。
しかしふと頭上で音がし、ジークは頭に何かが降りかかってきたと気づく。思わず飛び起きるジーク。「ジーク似合ってるよ」「ふふふ」とナギの笑い声にクレアの声も重なる。慌てるように「可哀そうですよ」と言ったエリーの声も、どこか面白がっているような色も混じっていた。ジークは頭に手を当て、かかってきたものを掴む。
それは、花の冠だった。見れば、クレアとエリーも同じような冠を手にしている。「すごいでしょ、それ私が作ったんだよ」誇らしげに笑うナギに、ジークは顔を綻ばせる。
「すごいな。でも」そこで区切り、立ち上がる。不思議そうに見上げてくるナギの銀髪に、ジークは冠を被せた。「ナギの方が、似合ってるぞ」朱色に頬を染め、俯くナギ。レインズはその様子を半ばあきれたように見ていた。「全く……あなたたちもなにやってるんですか」「でも、エリーも似合うと思うんだよね」とクレアがいうと、全員の目がエリーに集まる。そこにはナギよりも顔を真っ赤にし頭に花の冠をした、エリーがいた。呆れてなにもいないでいるレインズたちに、クレアは誇らしげな顔をしてみせる。
「確かに似合ってるな」「だよね!」「ジークさん何言ってるんですか!」「でも外さないってことは、気に入ってるんじゃないの?」「ナギさんまで!」真っ赤な顔のまま、それでも冠を外すことなくエリーは反論する。その顔には柔らかな笑みも浮かんでいた。似合うと言われたことが、素直に嬉しいようだ。レインズはその様子を呆れと仲間としての愛しさを含んだ眼差しで見つめていた。視線に気が付いたエリーはそちらにも照れたような笑みを向ける。レインズはそれに応えるよう微かに頷き、立ち上がる。
「さあ、そろそろ帰りますよ。夕暮れまでに戻らないと皆心配しますので」服についた草を払いながらレインズは歩き出した。ジークたちも行く。一足遅れて、エリーも続いた。まだ仄かに赤らむ顔は緩んでいた。冠が落ちないように手で抑え、走り出す。柔らかな春風が、ひと時の安らぎに浸っていた五人の名残のように草原にそよいでいた。 Fin.
