なにいってるかわからん。ただ
根底に根強い被害者意識があることだけはわかる
そしてそれは
がまんをしてきたからだとも
蓄積したがまんがいま
噴射してることだけは



そう捉えるといい傾向なのだろう。ただ
その表現法として細かすぎる理詰め法が
小難しくてわかりにくい
わからないと有体につたえると傷つくようだ
混乱をきわめる。同時に
なぜ誕生日のしたくに駆けずりまわった
つかれた夜夜中に発動するのかと
せめて別日にしてくれと
その頼みすら加害者側の勝手だと拒否されれば
うんざりもしてしまう
その一連がまたかれの傷を深めるらしい
傷つけたくないのに傷つけてしまいそうになる



ちょうなんの存在に感謝した
かれはおさない頃からじなんのあかちゃん語すら
わたしに通訳してくれていた
兄弟パワー?それとも同年代のカン?
ともあれ
かれが翻訳してくれたことにより
やっとすこし概要が理解できた
そんなわたしの垂直面で丑三つ時に並ぶ兄弟
目を腫らしながらぽつぽつ口を開くじなん
溢れでることばたちは
わたしへの否定苦情絶望
あげく
決別すら厭わないという表現
ついには
ふたりでわたしのダメ出し合戦
ショック通り越して呆然
同意しつつもさりげなく
わたしをフォローするちょうなんに
いまの距離感の正解を再確認できたことだけは
ひと息つけたことだけれど



それから幾日かたち
あらためて
もっとかれらとむきあおうと決意をかためた
何を言ってるかたとえちんぷんかんぷんでも
わからないと突き放すのではなく
わかろうとし続けようと
永遠にわからないとしても
たぶん
わかろうとする姿勢が必要なんじゃないかと



じぶんの壊れたこころに
どうしてもフォーカスしてしまう
未熟かつ壊れた人間です
しかし愛するわが子たちからしたら
かれらこそ被害者
加害者のわたしは
じぶんは二の次にするべきなのです



ここまできもちが進んだとき
おもいだされるのはだんなのことである
ともだちもいない狭い世界に生きるわたしは
こころの相関図もその中で成立しがちだ
だんな⇄わたし⇄ちょうなん
という関係性をここ数年実感してきたけれど
ここにきてじなん乱入
ちなみに加害者被害者でいうところの相関図である
だんなにうらぎられたときから
加害者だんな被害者わたし
という関係性がうまれたが
そこをおもいだすと
こどもたちのきもちが理解できたりする
同時にだんなのきもちをいまさら理解できたりもする
りょうほうの立場を体験し
いまあらためておもうのだ
だんなはわたしを愛してはいなかったんだなあと
加害者とて傷つくし
加害者とてこころは壊れる
だけどそれでも
愛するって
それでも
むきあいつづけることなんだろうと



わたしの結婚はこんなにも失敗だったんだよ



ともあれ
いまとなってはだんなは5の次です
なにはともあれやはりわが子たち
わたしのベクトルはかわらず
着地点はかれらのいきる希望



がんばろう



いっぱいごめんなさい