わかい頃2度ほど来たことのある
碌山美術館
3度目はちょうなんと立寄ってみた
そうそうこのチャペルの様な建物
記憶が蘇る
まだ残暑厳しい昼下がり
ときおり抜けていく風が気もちいい
平日の午後
ひと数も少ない
静かな時が流れる
碌山も嫌いではないけどわたしはやっぱり
高村光太郎がすき
力強い彫刻と繊細な詩に惹かれる
入口にあるちいさなお土産屋さんで
ちょうなんには智恵子抄を買ってあげた
「智恵子は東京には空がないといふ」
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
少しだけ
ちょうなんと同じ年に還る
「あどけない空の話である」