和歌山県西牟婁郡秋津川村で名高かった

 

(秋津川村 昭和39年に田辺市に編入)

 

鍛冶の船原安松師の門下生だったのが

 

祖父の銀一郎でした。

 

なんでも、

田辺城主、安藤家とは刀剣の面で主従の契りをもつ

 

鍛冶職の血筋を師匠にもっただけに

 

(秋津川)地域の里人には 切れ味が高く評価されていた。

 

祖父が、その後

 

海南市井田に鍛冶場をうつしたのは、昭和5年ごろ

(海南新聞創刊の年)

 

海南市の井田の鍛冶場は今はもうありません。

 

大学2年生の夏に亡くなったので

私が高校生のころまでは

 

向こう槌で手伝ったのも

懐かしい思い出です。

 

向こう槌と言いますが

これが難しいのです。

 

見た目よりは

 

今日は、

 

当会では

 

鳳道場合気道 小学生が入会手続きをしました。

 

三国丘道場でも

中学生1名新たに加わり

また、

 

小学校4年生が入門手続きをしました、

 

夜の泉北高倉台道場では

生徒さんとマンツーマンレッスンでムスビの稽古。