千日の鍛、万日の練

千日の鍛、万日の練

2019年7月より居合の道に入った男。
ろくに運動経験もないにわか初心者が、
無双直伝英信流を学びながらどう成長し居合の道を歩むのか。
誤った知識や戯言も含めて成長を振り返るための一日記。

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9月27日。

7か月ぶりの稽古再開となった先週の稽古では、真剣は用いず模擬刀にて稽古を行った。

思ったよりも違和感なく業が抜けたこともあり、この日は真剣にて稽古。

 

やはり筋力が衰えているのか、以前よりも少し真剣が重く感じる。

稽古していると先生からお声がかかり、初心に戻って一番最初の業である「初発刀」のおさらい指導をいただいた。

細かい部分の修正指導をいただき、この日は初発刀のみを重点的に稽古。

 

しばらく稽古していると、再び先生からお声がかかる。

「今日は紙を斬ってみよう。この紐で紙を吊るすから結んでくれるかな。」

 

以前から、この紙を斬る稽古は時折見かけていたが、私はまだやったことがなかった。

やっていいよとは言われるのだが、刀の振り方などまだまだ自信が持てなかった私はしばらく「見」にまわっていた。

 

自信がないのは今も変わりはしないのだが、今回はせっかく自分でセッティングしたのだからやってみるかという気持ちになり、吊るした紙の前に立つ。

普段、型稽古でも敵を想定して抜くわけだが、当然のことながらその敵は物理的には存在しない。

ただの吊るした紙とはいえ、実際に斬る対象を目の前に刀を構えるのはこれが初めてだ。

 

構えてみてすぐに思ったことが、「間合いが分からない」

 

間合いをはかるために、足を踏み込みながら寸止めするようにゆっくりと刀を振ってみる。

自分では物打ちが当たるように踏み込んだつもりだったが、実際は切っ先がようやく触れるかという間合いだった。

 

これには驚いた。

刀の間合いというのは、自分が思っていたよりも短い。

敵を本当に斬ろうと思うならば、同じく刀を構えた相手に対してかなり近い間合いまで近づかなければ斬ることができないのだということに気づいたとき、実際に斬りあっていた武士たちの胆力たるや凄まじいものだったのだろうと想像ができた。

少しでも臆せば到底敵に刃は届かないだろう。

 

ともあれだいたいの間合いは掴めたところで刀を振ってみる。

シュッ!

という小気味の良い音とともに紙が二つに分かれていった。

左右にぶらさがった紙を、今度は抜き打ちながら片手袈裟で斬ってみる。

これもスパスパと斬れる。

真剣だから斬れて当たり前といえば当たり前なのだが、できない人は何度やってもうまくいかないということもあるらしいので、斬れたことに少し安堵。

 

すると今度は、模擬刀でやってみよと先生が仰る。

模擬刀に差し替えて挑戦してみると・・・これが何度やっても斬れない。

バチッ!と紙と刀がぶつかる音とともに紙を下に叩き落してしまう。

 

これに対して先生からアドバイスを受ける。

「右手を頭上に伸ばしすぎているよ。頭上に伸ばすのではなく頭のところから前に伸ばしてごらん。」

 

言われた通りにゆっくりと素振りしてみると、刀の軌道が変わり自然と「引いて斬る」軌道になることが分かる。

何度か素振りしたのちに再チャレンジ。

 

シュッ!!

 

見事に斬れた!

 

たかだか吊るした紙を斬るということだけではあるが、間合いや物を実際に斬るための刀の振り方の感覚を掴むことができた。

模擬刀で斬れたことにより、多少なりとも刀を扱えるようになってきたのかなという実感を得ることができ何か実りのある稽古になったように感じた。

 

日々、精進。