もうすぐ48歳、だけど二輪免許とるぞ!(とれた)

もうすぐ48歳、だけど二輪免許とるぞ!(とれた)

30歳位の頃から半年に一回程度大きなバイクに乗って公道を運転し、気が付くと免許持ってなくてドキドキという夢を定期的に見る。普段、別にバイクに興味があるとか昔憧れてたとか全然ないのだが、なんか意味がある。そんなわけで50過ぎる前にチャレンジ!(FJ1200を購入)

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自宅で療養していたときの通院は、俺と妻と妹で交代で病院へ連れて行っていた。ある日俺が連れて行ったときの帰り、病院の出口で母がよろめいたので、手を出して支えてしばらく歩いた。母はよろめいた意識はなく(あったのかもしれない)俺が自然に手を差し伸べたと思ったらくし、すごく喜んでした。親子になって51年になるが子供の頃を除いて、初めて手を取って歩いた。母の手や腕を掴むという経験に恥ずかしさがあった。照れくさかった。後で妹に話を聞いたところ、兄が手を取って支えてくれたと凄く喜んでいたそうだ。もっと素直に大胆に手を取ってあげればよかった。

最後の入院中、母は数年後に両方の家を売って、俺と妻と3人でどこかのマンションを買って自分の部屋を用意してくれと言っていた。狭くても仏壇が置ければいいと言っていた。俺も明美も具体的に考えることはなかったが、母はとても嬉しそうに話していた。話をするとき母はいつも未来を語る。尊敬すべきことだ。いくら隣に住んでるとはいえ、一人暮らしが20年以上続いている。きっと誰かと一緒に暮らしたかったのかな。

午前3時14分に母から「しんどいです」とメール。眠ったまま気づかないでいると妻の携帯に「しんどい」と電話がきた。妻はすぐにわかり、すぐに隣に向かうと苦しそうな母がいた。すぐに救急車を呼ぶべきだが、前の日に少し具合がわるいものの元気に話していたしその時も会話はできたので、しばらく様子をみた。きっとかなりしんどかったにちがいない。それなのに俺はすぐに救急車を呼ばず、少しだけ5分くらいだろうか様子をみてしまった。なぜすぐに呼ばなかったのだろう。なぜだろう。いつもそうなのだが、母がそんなに病状がわるいはずがない、きっとすぐ良くなるという自分勝手な思い込みが邪魔をしていたのだろう。少し待てば治ると。治るはずがないのに。救急車に乗ってドアがしまった時、何も持っていないことに気づいた。せめて診察券だけでも持って行こうとドアを開けてもらった時、妻が診察券など一式入ったバッグを持って目の前に立っていた。すぐに渡してくれた。こんな時とても頼りになる。救急車の中では数値をみていた。それが血圧なのか、心拍数なのか、酸素濃度なのか、わからないが数字をぼーっと見つめ続けた。目の前の母は救急隊への受け答えも小さい声ながらしっかりしていたので、この時はきっとすぐに退院できるのだろうなと、また思い込んでいた。