今日は良い天気でした。

E区にあるJN整体スクールに通う日でしたが事情によりお休みです。

今年に入ってから3回目のお休みです。

休まないで行きたいのですが、家庭事情により仕方ありません。

子どもの授業参観に参加しました。

昔とは大きく変わっています。

朝会から午後の帰りの会まで給食や清掃を含めて全時間公開です。

子ども達は元気に学習していました。

家では甘える子が、学校でしっかり取り組んでいる姿を見ることは楽しいものです。

子どもの学ぶ小学校では2学生は2クラス、54人しかおりません。

私や妻が小学生の頃は1学年6クラス、250人以上の規模であったことを思い出します。

体育館に仕切りを作り教室としていました。

壁がベニヤで天井が薄いので声が大きく響きました。

教室がまだ足りないので理科室、音楽室、家庭科室、図書室までも教室に変わりました。

比べると、現代は少子化と言われることを納得します。

授業参観に参加する父兄はと言ったら、公開授業に参加する保護者というのよと怒られました。

父子家庭や母子家庭等が多いので今は保護者というのだと強く認識しました。

多くのお父さん、お母さん、お祖母ちゃん、お祖父ちゃんまで参加していました。

数少ない子どもを大切に育てていることが伺えます。

ほとんどの子どもの保護者が参加しており、教育への関心の高さが分かります。

お母さん方はお受験の話ではないでしょうか?

この学校に入って勉強したいですかと聞かれたらハイと躊躇なく大きな声で応えられないと受からないのよ・・・・と互いに情報交換していました。

印象に残った授業が生活の『むかしあそびマスターになろう』です。

公開授業に参加するの意味が明らかになりました。

2年1組と2組の合同授業でした。

いつもいる1組のN君やKさんが2組で活躍していましたし、2組のT君が1組で案内していました。

先生方からカードを渡されました。

子ども達がむかしあそびを教えられるように日頃授業で学び取り組んで、保護者の方に教えることになっているそうです。

授業に参加し各コーナーで子ども達にむかしあそびを教わって欲しいというものでした。

子ども達は日頃の成果が確認できるととても嬉しいものです。

また次への意欲になりますからこれは頑張らなければならないと思いました。

こままわし、けん玉、ビー玉、おり紙、お手玉、あやとり、おはじき、びゅんびゅんゴマの8コーナーをすべて回り子ども達と遊びました。

教えてくれているのですから、ありがとうございましたと固い握手で頑張っている子ども達を称えました。

とても誇らしげに笑顔で握手に応じてくれました。

心の中でこれからが大変なんだぞ頑張れよと口には出しませんが、自然と応援していました。

何だか全ての子どもが可愛いのです。

我が子が一番可愛いことは自称親ばかですから当然ですが、本当に皆同じように可愛いのです。

年をとったせいかもしれません。

若く強い愛情を我が子に注ぐ方にはなかなか伝わらないかも知れません。

でも、数少ない子どもを皆で大切にしなければ日本の将来はないと皆さん思っているのではありませんか。

子ども達を皆で厳しく大切に育てることが大切ではないかと思います。

さて、教えてもらったむかしあそびは学校で教わった記憶は全くありません。

友達と競争して出来る様に成ったことが記憶にあります。

現代ではTVゲーム等を買ってもらいガンバライド等をお店でやることが楽しい遊びのようです。

もしかすると木登りやこれらの遊びは伝統芸能と呼ばれるくらい遊ばれることが希なのかも知れません。

出来る限り子どもと遊び、子ども達で遊ばせようと思いました。


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繰り返しになりますが、お名前を間違え大変失礼した中林進先生のご冥福を祈ります。

水曜日に飯田橋のHMクリニックに行きました。

東西線を降りて九段下方面へ歩いていると『甲武鉄道飯田町駅跡』という碑を見つけました。

$yasuyukiのブログ-碑

甲武鉄道は中央線のもとになった鉄道であることが調べると分りました。

すぎなみ学倶楽部(http://www.suginamigaku.org/content_disp.php?c=4421fd7f55ea0&n=1)おじいさんが知る昔(一)杉並中央線誕生物語1:甲武鉄道誕生(1)~(4)(中村健治氏執筆・まとめ)を紹介します。

$yasuyukiのブログ-錦絵

杉並を東西に走るJR中央線は、明治の昔『甲武鉄道』という「私鉄」で産声を上げました。当時は馬車が主な輸送機関でした。1869年に中野村の深沢某が、日本橋から新宿・中野・杉並の青梅街道を通り、田無まで走った馬車が営業馬車の最初といわれます。だが馬車では、「より大量に・より速く・より遠くまで運ぶ」という輸送の役割を果たしきれませんでした。そこで東京と多摩地方等を結ぶ新たな輸送機関である鉄道が求められ、甲武鉄道が誕生しました。もともとこの鉄道は、多摩や山梨などからの丸太や石灰石などの特産物を東京に輸送する役割を持って開業されました。そこで路線名は、甲斐国と武蔵国を結ぶ目的で計画されたので、国名の頭文字を取って「甲武鉄道」(最初は「甲武馬車鉄道」)とされました。当初、羽村から四谷大木戸間を玉川上水に沿って馬車鉄道を走らせる計画を立てました。玉川上水沿いならすでに整地されているし、大半がなだらかで線路が敷きやすかったからです。しかし江戸の飲み水を確保するための上水路沿いを鉄道が走ると「不潔極まりない」と許可されなませんでした。その後、多くの人が同じ新宿~羽村間で馬車鉄道の出願をしましたが、「羽村が終点では営業的に成り立つ見通しがない」と、絹織物が盛んな八王子に変更して新宿~八王子間で出願しなおしました。時代が進み「馬車から蒸気機関車の時代」に入り、甲武馬車鉄道では蒸気鉄道の建設に計画を変更して完成を急ぎました。蒸気による鉄道計画は具体化して、新宿~八王子間を敷設することになりました。鉄道が通過するルートに杉並区域も含まれており、人々は鉄道の恩恵にあずかれるはずでした。 

$yasuyukiのブログ-町

甲武(馬車)鉄道としては当初は人家の多い甲州街道か青梅街道の沿線に線路を敷きたかったのです。多くの貨物輸送や乗客が期待できたからです。しかし人々は得体の知れない鉄道に対して激しく反対しました。当初は青梅街道沿線に敷設する案でしたが、杉並でも農民や旅宿を営む人々を中心に抵抗しました。「和田村南部の和泉・永福寺村両村の北部の耕地を突っ切って、線路を敷設すると聞きます。本村はもともと地が痩せており、そのうえ耕地は手狭なので他村への出作人が多く、貧しい家が多いのが現状です。線路が敷設され耕作地が取られると、今以上に耕地が減る心配があります。そして地所を耕作する箇所が分断され、この2倍か3、4倍の道を迂回しなければなりません。迂回すると肥料や収穫等の運搬が大変です。また、鉄道の敷設で自然作物の露を払ってしまい幾分かの収穫の成長を妨げます。近隣に瓦礫等が投交される心配もあります」。こうした農民だけでなく、高井戸宿のような宿場でも、「旅人が鉄道に乗ってしまうと、自分たちの宿場を素通りして、ここで休む人がいなくなる」と、旅籠経営者を中心に団結して鉄道を拒否しました。甲武鉄道では、甲州街道沿いの反対があまりに激しいので、青梅街道沿いの住民にも打診しましたが、結果は同じでした。駅が少なくその間隔が長いことや、大半の沿線住民は村外に出る必要も無く、「まずもって列車に乗ることはない」と鉄道に期待していませんでした。自分たちの暮らしにどうしても必要な「生活路線」でないこともあり、反対運動はますますエスカレートしていきました。杉並の住民をはじめとする沿線の激しい反対運動に手を焼いた甲武鉄道は結局、甲州街道や青梅街道という幹線街道沿いへの敷設を断念しました。このように杉並の住民は他の地域と同じように、鉄道に強いNOの姿勢を貫いて開業を拒んだのでした。

$yasuyukiのブログ-地図

反対運動に手を焼く甲武鉄道は切羽詰っていました。「路線はどこを通ってもいいから、とにかく何が何でも敷設しよう」の方針に計画変更せざるを得ない状況に追い詰められました。 「集落が少なくても、反対の少ない場所に敷くしかない」と、別のルートを探しましたが、社内では総スカンでした。「青梅街道や甲州街道以外の場所に陸蒸気を走らせてもお客はない、キツネやタヌキは蒸気には乗らない」こんなとき、反対運動で怒り心頭していた甲武鉄道の工事担当者である鉄道局技師・仙石貢(後の鉄道大臣)は中野~立川間の地図上にやけ気味に『一直線の赤い線』をぐっと引っ張りました(旧国鉄内伝承話)。こうして現在の高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪を通過し、中野~立川間を真っ直ぐに走る線路ができました。だがそこは原野と桑畑が一面に広がっているだけの場所で、集落は少なくとても採算が採れそうなルートではありませんでした。約25キロメートルにわたるこの一直線路は、現在でも北海道のJR室蘭本線の社台~沼ノ端間の28キロメートルなどに次いで、わが国で3番目とも言われる長い直線の珍しい路線になっています。こうして杉並を東西に縦断している今の路線は、1889年4月、新宿~立川間の開業(八王子までは8月)にこぎつけるたのでした。開業当初は、駅が設置されていない杉並には蒸気機関車は止まりませんでした。鉄道を拒否したこともあって、目の前を素通りして走り過ぎて行く機関車を、杉並の人々は複雑な思いで見送っていたのでした。


$yasuyukiのブログ-車両

杉並区域で最初の駅は荻窪駅です。甲武鉄道の開業から2年半が経っていました。甲武鉄道開業時からの駅は、新宿・中野・境・国分寺・立川の四駅だけでした。しかし、中野と境駅の間は他に比べて、駅と駅の間が大きく離れていました。甲武鉄道としてはもともと、貨物や乗客の確保という採算の点から、人馬の交通の多い青梅街道と交差する地点である荻窪付近に駅が欲しかったのです。高井戸などの甲州街道沿いの乗客も見込めました。場所は青梅街道沿いの「井荻村下荻窪」が候補地として上がりました。鉄道会社では、「貴殿の所持の畑地のところこそ一番いい場所だから、駅用地として献納してくれないか」と要請しました。献納は無料の「寄付」です。地主は、先祖代々の土地を手放すことを拒否しました。開業が近づいていた甲武鉄道ではシビレを切らし始めていました。そこで、荻窪を諦め、青梅街道をはさんだ東側の「杉並村阿佐ヶ谷」設置候補場所を変更しました。阿佐ヶ谷の地主に打診したものの、「蒸気機関車から吹き出る火の粉で村が火災になる」との理由で大反対。何しろ当時の蒸気機関車で使う石炭は質がよくなかったので、煙突から火の粉が盛んに吹き上げられていた。そのうえこの辺の農家もご多分にに漏れず、屋根はワラ葺きであり、家の周りには薪(まき)やワラなど燃えやすいものに囲まれていました。ちょっとした火の粉でも火災に見舞われる心配がありました。このため、阿佐ヶ谷の人々も大反対、下荻窪に駅の設置を押し戻しました。歴史に「もしも」はないといいますが、このときOKが出ていれば、いまごろ「天沼陸橋」の東側の阿佐ヶ谷地域に、杉並最初の駅ができていたかもしれません。こうして荻窪駅が開業することによって、中央線(甲武鉄道)が初めて杉並の人々に身近な鉄道となるわけです。1891年12月、今から一世紀ほど前のことでした。

仙石貢氏の大胆な決断で今も中央線は東京の中央を東西に真っ直ぐ走っています。

経済的にも用地買収と言うことから見ても良い判断であったと今は思えますが、なんと大胆で思い切った線引きであったことか。

仙石貢氏の決断で中央線が出来たと行っても良いのですよね。

また、当時の既成概念にとらわれてその後の利便性を逃した地は、私の生まれ育った栃木県栃木市をはじめ他にも沢山あります。

ときには既成概念や目先利益、根拠のない事柄にとらわれず大胆に決断することも必要なのではないかと思いました。

長々とお読み下さり感謝します。

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フランスへは新婚旅行、両親との旅行、子どもを連れてと3回行きました。

行く度に文化の違いや自然環境の違いを感じ驚きの連続でした。

石の家や車の右側通行、鉄道の行き先案内放送が無いことなど上げたらキリがありません。

一番驚いたのは犬の糞です。

そこかしこにあって街中で臭います。

朝早くパリ市の清掃員が洗い流していました。

糞の始末はフランスでは清掃職員の仕事と考えられているのでしょう。

糞は飼い主が始末するのが常識という日本の考え方に慣れ親しんでいたので驚きました。

フランスから日本に来ている方にどんなことに驚いたか聞いたことがあります。

パリからきた方は大地が揺れることに驚いたそうです。

フランスにも温泉がありますから温泉のある地方では体験済みかもしれません。

恐ろしくて眠れなかったそうです。

いまフランス領タヒチで大地震があった旨報道されています。

さぞかし恐ろしくて眠れないのではないでしょうか。

眠れないことだけでもストレス溜まります。

ましてや地震の恐怖がストレスを高めます。

人間の免疫力・自然治癒力はストレスがあると低下します。

感染症等の流行が心配です。

赤十字をはじめとした多くの方が支援を呼びかけていますが、早く安心して眠れるようにはかられることを祈ります。

安心して眠れるように自分で何かできないか考えつつ書いています。

何か良い知恵をおもちの方、教えて下さると皆で支援できるので宜しくお願い致します。

お読み下さりありがとうございます。

お知恵を拝借できると感謝します。


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先日のブログ記事に誤りがありましたのでお詫びして訂正致します。
私の記録に中川進先生とありましたが読者の方にご指摘を頂き、中林進先生の誤りでした。
訂正して、謹んでご冥福を祈ります。
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いつもお読み下さりありがとうございます。ニコニコ

今日は写真を一杯。あし

なんという車かご存知ですか?車

我が家で運転された自動車です。(^O^)

結構沢山の車が運転されたと思い起こされます。o(^▽^)o

ドライブ等家族と共にいつも車はあり、様々な思いが起こされます。ニコニコ

人との出会いも様々ですが、節目の出会いは強く心に残ります。イカリマーク

先日中川進先生が亡くなられました。えっ

先生とはじめてお会いしたのは講演の席でした。(☆。☆)

80才を超えた先生が理路整然と携帯電話に関わる基礎技術の説明をして下さいました。w川・o・川w

先生は電波による相互通信に関わる大きな発明をされた方です。グッド!

現代の携帯電話の基礎技術で、これがなければ携帯電話は生まれなかったという大きな発明です。チョキ

普通でしたら特許を取り多いに権利を主張するところですが、利益を追求することより広く社会に用いられる方が良いということでこだわりませんでした。グー

おかげで携帯電話が安価に世界中で誰にでも利用されるようになっているのだと思います。ビックリマーク

私財にも拘りを見せぬ方で、多摩ニュータウンバプテスト教会を建てる土地が見つからず津波牧師をはじめとした教会員が四苦八苦しているときに、教会を建立するためにお使い下さいとお持ちの広い土地を寄進して下さったそうです。!!

広く社会に用いられることをいつも心に留めていた方でした。目

講演でも気さくにどなたにも分かり易く説明して下さいました(`・ω・´)ゞ。

人間の命に貴賤はなくその命は限られていますが、尊い人を失ったことは分かりますガーン

遅くなりましたが、中川進先生のご冥福を祈ります。(アーメン)

私も広く用いられるように取り組みたいと思います。アップ

今日もお読み下さりありがとうございました。


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中川進先生については、津波牧師のブログ(http://blog.goo.ne.jp/tamanewtown-bpch/)に詳しく書かれていますので御覧頂けると幸いです。
本郷猛が変身し仮面ライダーとして愛車サイクロンとともにショッカーと闘ったのが私が中学1年生であったと思います。

$yasuyukiのブログ-仮面ライダーと愛車サイクロン 仮面ライダー1号と愛車サイクロン






腰のベルトの風車に風のエネルギーを受け変身しました。

ショッカーの怪人を倒した必殺技は当時流行っていたプロレスの影響かライダーパンチやライダーキック等でした。

時を経て現在では仮面ライダーW(ダブル)の活躍を子どもと一緒に見ています。

$yasuyukiのブログ-仮面ライダーW(ダブル) 仮面ライダーW(ダブル)サイクロンジョーカー

昔に比べて本当に格好良くなりました。

変身はガイアメモリーと呼ばれるメモリースティックを使ったものになり、必殺技もルナトリガー(銃を使ったもの)など本当に多様化しました。

俳優もいわゆるイケメンになり美女が華を添えますし名優も脇を固めています。

愛車ハードボイルダーも最新のモデルからできており実に魅力的です。

$yasuyukiのブログ-愛車ハードボイルダー 愛車ハードボイルダー

特撮技術も向上し隔世の感は否めません。

そればかりでなく、もう一つ変ったことがあります。

仮面ライダーでは1回の放送で起承転結、怪人が仮面ライダーに倒され大円談まで進みました。

仮面ライダーWをはじめとする平成の仮面ライダーでは基本的に連続した2回の放送で決着がつきます。

1回目の放送で決着がつかず心の中にもやもやがありすっきりしませんが、続く放送を想像してイメージが膨らみます。

いわゆる仮説でしょうか、子どもなりにストーリーを創造するようです。

親子の会話も弾みます。

2回目は必ず見たいと子どもばかりでなく親も思っています。

お母さん達も見たいのではないでしょうか。

視聴者の心理状態をを良く考えた番組進行に脱帽します。

今日は多摩ニュータウンバプテスト教会で津波牧師が説教をされ、先週の内容を受けた結びのお話しでした。

津波牧師の話はご自身の体験をもとに展開されるので興味深く理解し易いのが特徴でした。

1回で終わっていた話を2回に分け1週間結論を伸ばすことでイマジネーションが膨らみ、帰結への期待を高めます。

より深く理解できる様に工夫されているのではないかと思います。

また、話し方も変っていました。

俳優の演技のように喜怒哀楽がはっきりとして感情が伝わりますし、笑いあり涙ありで信者の心を少しでも動かそうとトライされていました。

杉良太郎が、「私はテツの玉なので磨かないでいると錆び付いてしまう。いつも自分を磨くように努力している」とTVで仰っていたことを思い出します。

61歳になっても成長を続けようとする津波牧師を尊敬し見習おうと思いました。

身近にJN整体スクールのJ校長という絶えず成長・進化を続ける尊敬できる大先輩がいらっしゃいます。

また、開業されたY先生も50半ばを超えても成長・進化を求めています。

私はまだまだ若輩、成長・進化を求めてトライを続けようと思っています。

さて、仮面ライダーWの決め台詞が『おまえの罪を数えろ』です。

社会規範に反するものだけでなく人を傷付けたりすることも罪ならば多かれ少なかれ人は罪を犯しているのかもしれません。

罪を行っている者はみな罪の奴隷と申します。

現代は多くの判断基準が右に左に上に下へと揺らぎます。

欲望のままでは罪を重ねてしまいます。

見識のある大人なので、きちっとした変ることのない大切なラインをもつようにしたいと思っています。

先週の木曜日に土曜日が空いているので学びたい人は問い合わせて下さいと連絡がありました。

妻に頼んでみようと思っています。

今日もお読み下さりありがとうございました。


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E区小岩にあるJN整体スクールで学んでいます。本

JN整体スクールで学んだ施術で改善できる症状をあげると(スクール講師のE先生が施術している西鎌倉カイロプラクティックセンター整体院HPから頂きました)

・腰痛(慢性腰痛、すべり症等)・ぎっくり腰・背中痛・肩痛・坐骨神経痛・手のシビレ・足のシビレ・五十肩・腕が上がらない・股関節、ヒザの痛み・あごの痛み・成長痛(オスグッド)・骨折等の後遺症(医学的に完治した後)・自律神経失調・不眠・目が覚める・ストレス・汗をかかない・変な汗をかく・頭痛・腹痛・食欲不振・胃腸の不具合・便秘・消化不良・喘息・小児喘息・風邪・発熱・生理痛・排卵痛・生理不順・月経前症候群・頻尿・動悸・めまい・メニエール病・三叉神経痛・顔のしびれ・手の指のこわばり・疲れが取れない・歯ぎしり・うつ・適応障害・パニック障害・不安障害・キレル・精神的不安定・脳脊髄液減少症・その他、原因不明の痛みなど
様々です。メモ

いずれも骨格操作と神経へのアプローチを主とした施術で改善されます。右上矢印

人間の持つ治癒力が高まり改善されるわけですから、人間の知恵・JNの知恵は素晴らしいと思っています。!!

私もカイロプラクティック、整体、古武術、オステオパシー、指圧、鍼灸等様々な施術を受けてきましたが、JN整体スクールを見学させて頂きJ校長の素晴らし施術を拝見し入学を心に決めたのは前述したとおりです。OK

J校長の人柄と教育の賜か、学生ははっきりとした目的、開業して人のために施術をし、商売としてだけでなくいかに社会に貢献するかが大切と言う理念も気に入っています。アップ

先生方も志が高く、向上心を学生以上に持ち続け時間を惜しんでの研修に余念がありません。キラキラ

ですから、昨年の技よりも施術効果の高い技へと随時変わります。NEW

学生も向上心を持ち、皆が楽しく真剣に学習しています。(^O^)

本当に小さい学校ですが、一人一人に目を配り心を配って育んでいます。ラブラブ

早く施術出来るようにと皆が学んでいます。クラッカー

治すことの出来るカイロプラクターを目指している方は見学にいらっしゃいませんか。(=⌒▽⌒=)

一緒に学びましょう。(≡^∇^≡)

前述のE先生は、成功とはまずお客様のニーズに応えることが大切と教えブログにも書いています。

自分の力及ばぬ時はJNグループで対応し、グループでも力及ばぬ場合には他の治療を受けた方が良いと謙虚に勧めます。(・∀・)/

症状を改善できてこそお金を頂くことが出来ると教えて下さいます。w川・o・川w

その結果として儲かるなら大いに良いと考えます。o(^▽^)o

倫理的にも平素より非常に厳しく指導されますが、院長になるわけですから責任を感じながら学んでいます。右上矢印

また、S先生は、成功は、良いイメージの蓄積と教えます。

私のようにウツで悪いイメージを自分にもつ者は人一倍の修練が必要で揺らぎのない心を鍛えるようにと厳しく優しく指導して下さいます。( ̄▽ ̄)=3

明るい未来を信じて頑張ります。DASH!

手前味噌なお話を今日もお読み下さり、ありがとうございます。

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今日は、
・中央線$yasuyukiのブログ-中央線特快

・総武線 $yasuyukiのブログ-中央線・総武線緩行

・小田急線$yasuyukiのブログ-小田急線

・井の頭線$yasuyukiのブログ-井の頭線

と利用しました。

総武線では新小岩駅を出たところ津田沼行きが千葉行きに変わりました。

駅員さんに聞いたら時間調整のために行き先変更は結構あるそうです。

小岩のJN整体スクールに学びました。

J校長より施術により改善のない腰痛は大腸・直腸・小腸等の内臓疾患の可能性があるので、内科へ通院するように勧めるのが親切であると指導されました。

初期の癌を何人か見つけたそうです。

きっと感謝されたと思います。

J校長になかなか人の名前を覚えられない旨相談したら、その人と話せばよいとアドバイス頂きました。

大学時代に名前を彼女の名前を覚えられなかった事を例に楽しくお話し下さいました。

楽しく学習することがとても大切ですね。

今学習している検査は非常に分かりずらく多くの方に当たり習熟することが大切です。

教科書を良く読んで確認しようと思います。

指先が敏感であることも必要ですので、特訓をしようと思います。

今日も臨床生のKさん・Tさん・Mさん・Nさんが一緒に学んで下さいました。

的確に楽しく指導して下さり、気づかないでやっていたことにも気づかされ感謝しています。

帰りに下北沢の伊藤治療院に寄りました。

今日の伊藤先生の話は躁鬱についてでした。

鬱の方は施術とカウンセリングで改善へ導くことが出来るそうです。

施術で神経の働きと骨髄液の流れを良くすることにより、自律神経のはたらきや脳のはたらきが正常な状態に戻り自律神経失調症や鬱等の不定愁訴が改善されるそうです。

また、マイナス思考を少なくとも施術中はプラス思考に切り替えることが出来るように話を良く聞き、話をするそうです。

躁の方については神経系のはたらきがターボの効いた状態になっているのでエンジンブレーキをなかなかかけることが出来ず躁状態を抑えるのは難しいと言われました。

また話もなかなか聞いてもらえないようです。

ターボエンジンはターボが効いているとガソリンを良く食い燃費が悪く直ぐにガソリンを使い切ってしまいます。

躁状態も脳でターボが効いているのでエネルギーを無駄に消費しているので、突然エネルギーが切れ鬱に転移してしまうそうです。

私も施術で不定愁訴や鬱を改善しています。

また、津波牧師との学習会はカウンセリングになっていると思います。

感謝しています。今の時代は鬱で悩んでいる方が多いと聞きます。

少しでもそんな方のお役に立てるように修行を続けようと思います。

今日もお読み下さり、ありがとうございます。

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昨日はE区小岩にあるJN整体スクールで学びました。

皆さん本当にお元気で安心しました。

寝正月を過ごしたのは私だけであったようです。

骨盤の変位の検査とデバーシーについて学びました。大切だ

JN整体スクールのJ校長が施術する江戸川ケーシーカイロプラクティックセンター(http://www.jinbo-co.jp/KC.htm)の写真がその施術の様子です。見て下さい

カイロプラクティックの基本中の基本だそうです。

きちんと検査と施術が出来る様に成りたいと思います。

その後予定があり急いで東池袋に向かいました。

面白い電車に乗ることができました。

秋葉原から京浜東北線快速大宮行きに乗り込みました。下の写真を御覧下さい!

中里駅の手前で車内放送があり突然乗っていた車両が赤羽行きに変わってしまいました。

どういう理由か説明がありませんでしたが、進行中の車両の行き先が変わるという珍事に驚きました。

車内掲示も大宮行きから赤羽行きに変わりましたが、次の停車駅は本郷台と放送され、思ったように変更は出来ないものです。

王子駅で都電荒川線に乗り換え向原にI先生を訪ねました。下の写真を御覧下さい!

いつも明るく誰にでも元気を与えて下さる先生です。

前出のJ校長と同じく見えないものにも真実があることを強く教えて下さいます。

患者には見えなくても効果を現すものを気というのではないでしょうか?

気についてご存じの方は教えて下さるとありがたく思います。

I先生は薬は嫌いで、医者の使う薬は十中八九まで毒薬で身体に悪いと言い切ります。

薬に頼らず自分の自律神経や免疫による治癒力を高めて行くように話をし施術します。

I先生のおかげで自分の生きるちからが高まり抗うつ剤を飲まなくても過ごしていけるようになったと思っています。

結構人見知りの激しい私は、I先生のように誰とでもどんなときでも明るく話が出来、その人がその人らしく生きることの出来るエネルギーが湧き出すような施術ができるカイロプラクターになりたいと思っています。

お読み下さりありがとうございます。

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