飲酒パターンの変化。

言い換えるなら依存から依存症に陥る瞬間。

飲酒やギャンブルの量や回数を取り上げやすいが、寧ろ増える事より増えてしまう精神的な変化が量や回数を増やして仕舞う要因が大きいと思っています。

精神的変化を齎す要因こそ依存から依存症に陥る原因で、一番は生活の変化。

例えば、就労していてある程度の収入があり多少のゆとりがある生活が継続出来ていれば、
飲酒もギャンブルも自分の小遣いの中で行えている場合は、依存状態ですから多く社会人が此の様な人たち。

安定した生活こそ依存と共生して行ける。

安定した生活とは金額ではなく、社会と繋がり社会から必要とされている実感を感じられている生活を送りながら、小遣いで飲酒、ギャンブル、タバコをたしなむ。

投げやりになる様な事もなく社会と繋がれていれば、羽目を外すことも有ったとしても継続することは無い。

投げやりな気持ちになり継続して仕舞うと理性や良識、制御が効かなくなる。

そんな時でも社会と繋がれていれば、気遣ってもらえたり、支援、お節介、悩み事を聞いてもらえたりする。

孤独じゃない。

一人じゃない。

社会から必要とされている。

誰かの役にも立てている。

そんな気持ちが生きる希望になる。


依存症から依存へ。

人は何かに依存しながら生きる。

依存と依存症は別もの。

言い換えるなら

趣味趣向嗜好を小遣いの中で出来ているのが依存。

のめり込み自分では制御不能に陥って仕舞うと依存症。

此処に量や回数はさほど重要では無い。

量が増える回数が増える要因が問題なのです。

ほろ酔い気分が好きで生活、就労、体調に異変を起こさない程度に利用するなら問題は無い訳です。

ところが遣り切れない気持ちを吐き出したり、一時忘れる為に利用する事を繰り返す行為が連続して仕舞うと依存症。


依存症だからといって、毎日を回復の為だと言ってクリニックに長時間通い、自分の時間が持てない生活では回復して行けるとは思えない。

クリニックに毎日通院していても自分の自時間を持つ。

時には半日で帰る。

どうしたら楽しく通院出来るかを考える。

プログラムに参加するだけが回復じゃない。

参加せず、街なかに出て人々の営みなどを観察したりする。

時には声を掛けてみる。

繋がりが出来る。

会話する。

世間話をする。

困り事を聞いてもらったり聞いたりする。

些細な事が生きる実感が味わえる。

何かを得ると云うより、社会と繋がっている。

社会から恩恵を受けているから、お返しをする。

何でも良い。 

笑顔でご挨拶。

お互いの笑顔は幸せの一つ。