寄席で、たまに「マブ」という言葉を聞く。遊郭などを舞台にした古典落語に登場する。遊女が真心をささげる男という意味だ。「間夫」と書くようだ。普段は客を手玉にとる気丈な女性にも時には依存したい他者がいる。じゃないと、このつらい人生、やりきれない。


人間、誰しもうぬぼれが強い。「オレ、あの子のマブなんだ」なんて吹聴する男は、たいていおめでたい。「だらしない父親に無心されて困っている」「母が病で高価な薬が要る」。そう懇願されれば、銭はないくせに一肌脱ぐ。だが、女はマブに貢ぐ。実は、そのマブを操るヤリ手がいた。江戸落語の「文(ふみ)違い」である。


恋愛の自由市場における悲しい構造を描き、なんだか身につまされる。「頂き女子りりちゃん」に懲役9年――。先日、本紙も報じた。20代女性が、マッチングアプリで知り合った男性に言葉巧みに恋愛感情を抱かせ、計1億5000万円余りをだまし取ったのだ。恋愛詐欺の秘伝書も販売していた。これは、教訓に富む。


被告は標的の中年男性を「おぢ」と呼んだ。落語のマブの類語だろうか。手練手管でそう誤信させ、財布のヒモを緩ませたのだ。でも、彼女は家庭に恵まれず、東京・歌舞伎町のホストに大金を貢いでいた。詐欺の食物連鎖の頂点にいたわけではない。そういえば、「文違い」の舞台も新宿だった。現代社会の悲話である。