悪意を封ずるの為の牢獄
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キマリ

私は何でもかんでも決め付ける奴や固定概念・強者の意見に囚われる者は嫌いだ。


どんな事でも「~だ」と断定してしまうのは簡単だが、断定すると自分の出来る事の範囲を縮めてしまう事になる。


「○○を参考にしろ」と言われた場合、大概はその対象になったものを越えることは出来ない。

もし皆の周りにオリジナリティの溢れる人間が居るなら大事にした方が良いと私は思う。


君らの中に眠る、可能性を広げてくれるのはそういう奴らだと言うことを忘れてはならない。


少なくとも、私の周り(私を含む)にはそういう貴重な者は居ない。

私が欲しい物、それは固定概念に囚われない友人であろう。

死ぬまでにそんな者に会えるかが不安である。


世の中にルールはあるが、キマリは無い。

大多数の人間が常識と思っていることが「常識」では無い
それを忘れるな。

矛盾

私は常に矛盾している。


たとえば、本心は人と関わりたいと思っているが、同時に面倒だとも感じていて、人と本気で向き合うのが怖い。

もし誰かと向き合って関わり、「自分でもわからない素顔」を見透かされたらどうすれば良い?

私は私の醜い中身を誰かに決めつけられるのが怖い。
誰かに認めてもらったことなんてないから尚更だ。
私を「友人」や「仲間」だと認めてくれる者なんて果たして居るのか?
私が思うに「真実」は残酷だ。

なのに私は他人を「他人の真実」から遠ざけ、私自身は「他人の真実」に近づいている。
全くもって矛盾している。


これだから私は「変な人間」というレッテルから抜け出せないのだ。

私も普通な人間で在りたかった。



私の行動は、何もかもが現実逃避なのかもしれない。

きっとこれからも私は現実から逃げ続けるだろう。

笑ってくれ。

友人等の大切なものを失うが怖いから逃げているのかもしれない。
でもいつかは向き合って生きなければならない。
矛盾に悩まされ、偽りに縋って生きてはならない。

私は世の中で一番愚かかもしれない。
何かを知ってるような口を利きながら、実は何も知らないのかもしれない。

私を認めてくれる人間が再び現れた時、私はその人間と向き合おう。





それまでは「真実」を知った時に全てを失うのなら、最初から何も持たずに挑もう。


これも私の結局強がりだ。

大切なものを持ちたいのに、私は未熟故に持てないのだ。(私の中で最大の矛盾なのだ。)







皆が、こんな私を見て「こうはなりたくない」と感じて、私の通った人生のレールを避けて通ってくれれば、こんな私にも存在する意義があったと言えるかもしれないな。

虚言

私は4年前の夏の日、己に誓った。



例えどんな辛い状況や環境に置かれようとも、どんなに自分の立場が危うくなろうとも、誰かを守るためならば「真実」は語らずに居ようと。


あれから4年。
私は今もそう有り続けている。
この誓いが唯一の、私の中にある「良心」なのかもしれない。

どん底を体験した私は、誰も私のような思いをさせる訳にはいかないと思った。
偽りで人を庇い、偽りで人を助け、偽りで人の罪を被り、偽りで友人同士の人間関係の修復などの事をしてきた。
私は善意や好意で行ったつもりだったが、それは「間違い」だった。
皆からみれば私はただの「悪い嘘つき男」だ。



だが、それで良いと考えている。


偽りに身を染めた事実は消えないので、誰も私を許さなくて良い。

私を嫌えば誰かを許せるのなら、私を嫌って欲しい。


私が罪を被れば事が収まるのならそれで良い。


私は正しい行いなどしてこなかった。
だから今までそれを突き通した。



皆からすれば私は間違っているだろうし、悪いだろう。
だが私は正しいと思っているし、良いと思っている。



誰かの為につく嘘が、愚かな自分の慰めにでもなっていたのではないかと私は考えている。

こんな私はいつか全てを失うであろう。

それが報いならば受けよう。



私は考えている。「真実」は大切な者に一行ずつ託す物だと。

私が、嘘に交えて友人達に託した別々の真実を、いつか誰かが繋げてくれるであろう。
そして誰かが再び私に真実の暖かさを伝えてくれるであろう。

その時が来たら私も全てを明かそう。
空白の中身を。