の「ぎんえい」がふと気になりネット検索したところ、コロナ禍の影響で閉店してしまったとのこと。

 

県の公式マスコットキャラクターもおそらく好きだったと思われるのに、残念でならない。

 

雑談のネタとしては最強だったのだけれど、こればかりは時代の流れと言うものだろうか。

 

話は変わるが、日本を含め世界のメディアは「おそらく◯◯だったと思われる。」という考えから取材がスタートすることもあると思う。

 

記者の推察から始まり、取材を重ね、記者と所属するメディアで価値観のすり合わせを行い、右や左、場合によっては真ん中に推敲した上で発信していく。

 

もちろん、人の価値観は時に暴走することがあるため、発信された記事に触れる際は注意が必要だ。

 

私が小学校低学年のころ、校長先生や定年に近い先生方は全員戦争体験者だった。

 

年代的に銃後の世代だが、空襲や疎開の経験談は鬼気迫るものがあった気がする。

 

中学時代には、ある先生の父親が旧海軍の戦艦の乗組員で、敵機から機銃掃射を受けた時の甲板の様子がどんなものだったか、撃沈されて海に投げ出された後、味方の駆逐艦に救助されるまでの状況がどんなものであったか、という話を聞いた。

 

高校時代には、一人の先生の父親が旧朝鮮総督府の高官で、若かりしころは生徒と価値観を巡って口論をしていた、という話も聞いた。

 

私が育った県は、どちらかと言えば左側に傾いていたと思うが、様々な経験や価値観を徹底的に排除するようなことはしていなかったと思う。

 

それは、辛い経験を踏まえ平和を願う思いというのが、どちらの価値観に傾いていようとも本物だったからではないだろうか。

 

また、お互いにあの地獄を乗り越えて来たよね、という潜在意識の連帯感があったのではないだろうか。

 

価値観の暴走を含め、世の中で起こる事象には何かしら原因がある。

 

その原因が何であるか理解出来なくなるほど社会全体が走り始めてしまった時に、新たな地獄が始まりそうな気がしてならない。

 

地獄の入口を塞ぐためにも、お色気を含め、様々なタイプのメディアを残しておいてほしいものである。