すぐに書こうと思っていたけど、
気持ちが追い付いてゆかず、今になってしまいました。
私の肺が怪しかったのでしょうが、
国立がんセンターが自ら私の過去の子宮(変性筋腫)の標本・検体を取り寄せてくれて、それだけでなくMRI画像まで取り寄せてくれて、その画像の診断と病理検査を約1ヶ月かけてやってくれた。
その結果を一昨日聞きに行った。
結果は、良性の平滑筋腫、でした。
実はこのことを書くのも、今までの私の経緯を書いたことも、すごく失礼なんじゃないか、と思ってきた。
私はたった数ヶ月だけど命の覚悟をしたり、あり得ない恐怖に怯え、私は弱い人間なので最終的に宗教(カルトや新興ではないやつ)に頼るしかないと思った。
東京の大病院に通って、
ブログを通じても、
世の中ご病気で必死で闘ってる方が老若男女たくさんいらっしゃることを目の当たりにして、
告知されてないのに、こんなにうちひしがれてる私はなんてショボいのだろう、、、。
この数ヶ月間、観光地を通るのは本当に辛かった。
みんな健康で楽しんでる。
ずるい、なぜ?
と僻んだり。
テレビも見れなかった。
お笑いとか、とてもそんな気分にはなれない。
今多い旅のテレビ、ふざけんな!と思った。
そして哲学書や聖書しか見れなくなった。
自分がいかに弱く、一人では生きられないんだ、ということを強く感じた。
なので、一昨日の結果は、
正直ホッとしたし、命をもらった、と思った。
国立がんセンターでその診断が出たなら本当に本当に間違いない。
(前の病院を疑ってた訳じゃないのだけど、肺に出来た時期が重なって怖くて怖くて)
今回も、先生が、筋腫が肺に転移した可能性もある、とおっしゃった。
(気管支鏡検査で肺結節の細胞を取り出し検査したが良性ということは分かったがそれが何なのかは分からなかった)
こちらの私の主治医も、本当に良い先生で、人格者で、
実は友人から、
呼吸器外科ならこの先生がすごく良い・肺手術の腕がすごくて5年生存率が圧倒的に高い、
と教えてもらって、
指名して受診したのだ。
一応、地元の眼科でサルコイドーシスの検査すべきと言われたことも話したが、
がんセンターでは悪性疑いしか取り扱わないそうで、
サルコイドーシスの検査は出来ない、そうだ。
なのでこちらで撮った全ての画像をディスクに頂いた。
サルコイドーシスについてはあらためて別病院に行かないと。
ただ、がんセンターのドクターは最初に画像見たとき、これはサルコっぽくないんだよね、と言っていた。
がんセンターでは、今後、3ヶ月ごとに私の肺のしこりをCTで見てくれる、とのこと。
そして、大きくなるようだったら手術ですね、と。
そして、私から気になってたことを質問した。
「PET/CTで全身の癌をチェックしたから、今後1年はマンモグラフィや胃カメラはしなくて大丈夫でしょうか?」
と。
ドクターは、
「それはCTとは別物なので、マンモグラフィや胃カメラはきちんと受けて下さい。」
と。
そして、
「万が一それらで要再検査となったら、部位はどこでも、まず私に言って下さい。
ドクター紹介させて頂き連携します」
のようなことを言われた。
とても心強かったが、
他の部位で見つかる恐れがある何かが私にはあって、それが肺と関係してる可能性があるのかな??と一瞬少し心配にもなったが、
命が与えられたので、
そんなことはあまり気にしなくなってきた。
他の部位に怪しい何かが見つかっても、この主治医が引き受けてくれる、と言ってくれた、なんて、なんて頼もしいことだろう。!
こちらに通って、国立がんセンターが全てにおいて素晴らしくて驚いてます。
主治医・内視鏡医・看護師・受付の方・相談センター、、、連携が素晴らしいし、皆さん親切できめ細かいのだ。
気管支鏡検査の腕も凄かった、と思う。
気管支鏡検査するには難しい場所だと言われてたけど、
一回の検査で細胞を命中してくれて、
血痰は最初の少ししか出なかったし、帰りの新幹線も混んでて猛暑だったりでも普通に帰れたし、
体の回復が早く、痛みもあまりなくてビックリした。
ここまでしてくれて、子宮も肺も悪性ではないと診断してくれて、
本当にありがとうございました、
と先生には深くお礼を言った。
この経験にも、きっと意味があると思った。
私は何ができるのだろう?
本当に苦しんでる方に必要なのは、
傾聴、と、お仲間、と、お金、だと、
私はしみじみ思った。
(もちろん治療もだけどそれはプロにおまかせすることなので)
これは、同病者でないと決して分からない感情。
特にずっと健康な人には分からない。
むしろ、
健康そのもの(で医療関係でない人)の人はトンチンカンなことを言って傷つける可能性がある。
仕方ないことなんだけど。
私もきっと傷つけてきた。
世の中のほとんどのものが、健常者のために作られてて、
私もそうなんだけど自分勝手な人多い。
パートでお客様の自分勝手な苦情聞くと、前はそれに落ち込んだりイラついたり。
でも今は、
なんてちっぽけなことだろう、ということに驚く。
あなた(も私も)命があるでしょう?と。
・・・
私にできることをしていかなくては、と思う。
私のこんな経験を、
書くことは失礼なのかな、とも思うのだけど、
同じようなご経験のどなたかのお役にたてたなら、とも思う。
その考えも自己中心的なんだけど。