重い題内容ですみません、、、。
明日、いよいよ、がんセンターで、結果が出る。(子宮の)
正直怖いし、普通に考えて、子宮がおかしくなったのと同時期に肺にしこりができた、のは、偶然とは思えないよなぁ、、、とどこかで思い続けている。。。
が、
逆に明日結果が良ければ、ずっと怯えてた1つの恐怖がなくなる。
でも、こんな死がちらつく経験をすると、
自分はいつ死んでもおかしくない、と思うようになったし、
どうしても、
「生きる意味」を考えてしまう。
もし明日の結果が悪かったら、
生きる意味、は、もっともっと、
私の中でずっと考え続ける最大の思考になると思う。
仏教(ブッダ)では、生きることに意味はない、生きることは苦である、と言ってて、
最初それを見たとき、なるほど!
と思ったんだけど、
生きることに意味はない、自分で見つけよってこと、か、と、
よくよく考えたらなんだか落ち込んでしまい。
私にはその考え方は厳しすぎる、と思ってしまった💦
宗教はのめり込むと怖い気がするので、
哲学とも捉えているのだが、
そういえばマザーテレサ以外に、
日本で尊敬するクリスチャンの方が数人いて、
一人は聖路加国際病院の院長だった日野原先生、
一人は作家の遠藤周作さん、
一人はNHKのプロフェッショナルに出てた人道家の牧師さん。
それぞれの方のお言葉を聞いたり読んだりした。
日野原先生はさすが医師、人のために生きるのが使命、とおっしゃってて。
日野原先生はものすごくたくさんの方のために生きられたが、
例えば自分は、たった一人だけのために生きる、(子)、それはとんでもなく意味のあること、ではないか、と、
やはり思うのです。
そして、子供がいなくても、愛する人がいなくても、愛するワンちゃんがたった一匹でもいるなら、それだけで意味がある、、、
愛する人ワンちゃん等がすでに天国にいるならば、
今の自分の体験をどなたかのために発信するのも、とても意味のあることです。
と悶々と考えて。
そんな時ふと見つけた、あの人道家の牧師さんの教会ブログに、生きる意味、が書かれてて、とても良い内容だなぁと、
自分がどん底になっても見直したいと、
以下備忘録です、、、m(_ _)m
「生きる意味は何ですか」という質問は大切な問いだと思う。
しかし、この問いを考えるためには、まずもって、その前に言わねばならぬ事がある。
それは「生きることに意味がある」という事実だ。
「生きる意味は何か」という問いは「第二のことば」に過ぎない。
「生きることに意味がある」という第一の言葉がない限り、その意味を問うことはできないのだ。いや、やってはいけないとさえ思う。
なぜならば「生きる意味」を問い、それに答えることができれば生きることができるが、もし答えることができなければ「生きる意味はない」ことになり、ついには「意味がないなら死んだ方がいい」となるからだ。
だから、まず「生きることに意味がある」とキチンと言って、その上で、「じゃあその意味は」、「何のために生きるのか」と問うのだ。この順番は極めて不可逆的な事柄でなければならない。
生きていれば必ず、あぁ生きてて良かった、と思える時がある。
「その日」(生まれてきてよかったと思える日)を迎えるために、まずは生き続けることが前提だ。
「何のために」を知るには、その前提が無くてはならない。
「生きることに意味がある」。すべての問いは、この言葉を追い越すことはできない。