こんなに生きる意味を考えた日々はなかった。
治療法はなく、あと数年後に亡くなるかもしれない、まだ10代の子供を置いていかないといけない、私の生きる意味は何なのか?
一つフォーカスしたのは、
私自身に意味があるのではなく、
延命の辛い治療を最後までやりとげ、
自死をせずなるべく長く最後まで息子といる、
そのことが息子の今後の人世の糧になる、
ということだった。
こう考えると、私の生きる意味は、息子の豊かな人生のため、なのかな、と思った。
それでも、世の中女性の平均寿命が85才、
息子だって85才で母ちゃん亡くなるなら諦めもつくだろうよ。
でも、息子が10代とか、酷すぎやしないか?
と怒りの感情も沸いてきた。
怒りの感情とは厄介なもので、苦しい自分を更に苦しくしてしまう😢
残り限られた時間ならなるべく穏やかに過ごしたい。
と、たどり着いたのが、
またブッダ(釈迦)の言葉。
と、
瀬戸内寂聴さんの言葉。
まず、瀬戸内寂聴さんは、人は愛するために生まれてきた、と言う。
残り時間わずかなら愛する人のために尽くそう、と。
これはたぶんクリスチャンも同じ答えではなかろうか?
生きる意味、、、
ブッダは、生きるということに意味はない、と言った。
命というものは生きる理由をつけて生きているわけではない、と。
かくいうブッダも、生きる意味とは何なのか悩みに悩んで出した答え。
答えはないけれど、誰もがとりつかれて離れない、けれどもそれを無視し続けて生きるということもできない。
ひとたびその問いを抱いてしまった人にその問いを捨てよ、というのも難しい話。
私たちは言葉を持つので頭で考える。
このものをたくさん考えることが全てだと思い込むようになる。
でも、ものを考え様々なことを知る高度な脳を持つことが、生きることに意味はないということが分かる、という解決も与えてくれた。
生きるということは頭で考えるものではなくもっとフィジカルなもの。
私たちは動物だから。
人間に生きる意味はありませんが、人間は言葉を持ったがゆえに、生きることの意味を見いださないと生きづらい生物で。
人間は意味付けをして生きていく生物だ、と。
人は、何のために・・と自分にぴったりの意味付けを見つけて生きることができたら、
とても生きやすくなる。
その意味に向かって迷うことなく進んでいくことができる、これが人生。
矛盾するようだが、徹底的に考えるしかない。
生きることの意味ではなく、どうやって生きていきたいのかを。
人間は目的地があるから全力でこぐことができる。
ただ考え続けるだけではダメなんです。
頭のなかだけで生きてるわけではない。
動物なので体を使って生きている。
メンタルな作業だけではない。
念仏を唱えただけでは人生は変わらない。
人の言葉に励まされることはあるけど、その人はその人の意味付けをしている。
あなたはあなたの意味付けをしなくてはならない。
・・・
↑重い難しい内容が続いてますが、、、
これらの言葉は、鬱になりそうな自分を救ってくれたので、
いつでも読み返せるように書かせてもらいました。合掌