・・・今年(2022年)1月・変性筋腫で子宮全摘開腹手術に至ったまでのお話の続きです・・・
 
今年2022年1月16日、入院前のPCR検査を受けに。

ここで陽性出ちゃったら大変すぎるので本当に気を付けてました。

小さな個室で唾液を時間かけてボトルの線まで入れ看護師さんに回収して頂き、先生の問診。

この日だけは主治医ではなく若いドクターだった。
米津玄師似。

いつも院長(主治医)は、卵巣どうするかについての話の時、
がん専門医だからだろうけど、

今までね筋腫でオペして10年くらいして卵巣がんで入院した方が何人かいて、あの時卵巣を取っておけば良かったと言っててね、
卵巣がんは症状が出た時は進行してることが多くて怖いので、
いつかさんの人生だからよく考えてね、

と言われてて、

でも今の卵巣はいたって健康で一般の方と卵巣がんになる確率は変わらないと言われ、

私の親族の中に卵巣がんは聞いたことがなく。

私の中では卵巣は残したいという気持ちが強かった。

でも、ベテランの院長が、何度も卵巣よく考えて・決めるのはいつかさんだけど、と言う。

ほんの少し心にぐらつきが出たりして、
実は一度じい様先生の見解を聞きに行った。

じい様先生は、
「卵巣がんの心配か、、、。うーん、院長先生に任せなさい」と言った。

いや、私に委ねられてるんだけど、と思ったが、
じい様先生の言いたいことは分かったので、

至急MRI予約から紹介状書いてくれたおかげで早くオペすることが出来ます命の恩人です❕とお礼を言って握手して帰った。

米津ドクターにも聞いてみた。

「院長先生には卵巣についてこういう風に言われてるのですが、、、米津先生はどう思われますか?」

米津「生理は順調ですか?」

私「はい」

米津「じゃあ僕だったら卵巣は残した方が良いと思いますね。40代だったら残した方が良いと。いつかさんあと1年で50代でその1年は何かと言われたらあれなんですが。
院長の言いたいことも分かるけど、、、MRI所見で肉腫の可能性も低いし、、

米津先生が真摯に答えてくれて嬉しかった。

PCR検査は、万が一陽性だったら携帯に電話が来る、と。
陰性なら来ない、そのまま予定どおり入院。

・・・2022年1月19日午後3時に入院受け付け。
それまで電話は来なかったのでホッとして入院手続きに。

健康保険組合で出してもらった限度額申請書と、一時金5万円を出した。

病棟の看護師さんが来てくれて、私の海外旅行用スーツケースを転がしながら病室へ連れていってくれた。

婦人科入院はほとんど癌の方と聞いてた。

私は個室をとっていた。

1泊6000円。

C病院は結構大きいけど建物が古く、
入院部屋は別棟の1階だった。
1月ということで冷える。
部屋の中にエアコンがあるので大丈夫かな、と思いながら、
看護師さんからオリエンテーションを受ける。

普通、前日入院だと思うけど、ここは前々日入院。
コロナ(オミクロン)が急に流行り出したので前々日はありがたかった(入院部屋内ってコロナに対して世界一安全な気持ち)

パジャマとタオルはレンタルにした。

退院予定は2月2日と言われていた。
なかなか長い。

この日から2月2日まで、家族の面会も❌(手術日前家族説明と手術中は夫来る)、
外に一歩も出れず、別病棟も❌、三階以上も行けず、外の風を受けることをどんなに待ち望んだか、、、😢

初日は暇で暇で ほとんどテレビカードでテレビ見たりインターネット見て過ごす。

古い病院につきWi-Fiがなかったのがキツかった😓

この日の夕方と手術前日は、お風呂入浴もあり、とのことで嬉しかった。
(寒いからあったまった♨️)

風呂場がすごく広くて、介護用の色んな機械があって、ビックリした😵

入院当日19日の夕方4時半から院長による家族説明があった。

その内容については次回書くが、
人生で一番恐ろしい時間となる、、、。

夜になり、、、やはり寒い!
暖房つけても底冷えするよー😢
看護師さんに掛け布団追加できますかと聞いたら出来ない、と😵
湯タンポはありますか?と聞いたら火傷したら困るからダメです、と、この寒いのが本当にきつかったな、、、😰

この時の恐怖心は人生マックス、手術直前にこんな恐ろしい話になるのか?と恐怖におののき眠れない😢
前から飲んでる睡眠導入剤のゾルビデムを1錠飲み、消灯時間の9時に真っ暗にして、なんとか寝た。
が、恐怖で夜中一度起きてしまいゾルビデムもう1錠飲んでもなかなか寝れず、でもなんとか寝て起床時間6時の放送で起きる。