親父がこの世から去って…
20年近くなるんやね
闘病生活が長い人やったし
高校を卒業してから親元を離れたから、
親父と一緒に過ごした日々は10年も無かったよね
それでも、兄弟の中では俺が親父と一番話をしてたことを、この世を去ってから知らされた俺
それまでは、一番上の兄貴や妹の方が、親父と一番話してると思ってたよ
あなたは俺にとって
ずっと雲の上の人やったけど…
葬儀の時に、親戚の人達から
あなたのいろんな昔話を聞かされた
その時
『えっ
』
と思うほどの我が儘と自分勝手さには驚かされたけど
『俺は、親父の子だ
』
って、逆に安心したことも
親しみさえ感じたことも忘れてないよ

あの時をきっかけに、雲の上の人では無くなったけど
憧れでもあり尊敬する人でもあることは、今でもこれからも変わることはないよ
お酒が入る度に
海軍の話しも、憲兵の話しも開拓時代の話しも
耳にタコができるほど
よく聞かされたものです
家庭訪問の時なんかは、先生に酒を飲ませて、先生を潰してしまった親父
あの頃の俺は
気が気じゃなかったし
学校に行くのが嫌だったよ
夏に旅人が
『テント張らして下さい
』
と来ると、最低1週間は家に泊めて
旅人の都合も考えず
田舎を満喫させてた親父
毎年、旅人の後輩が来てたから
実家に帰ると、知らない人ばかりで
焦ったもんや
『この女の子達は実習生で、あの男の子は去年来た〇〇大学の後輩
で、こっちの男の子は〇〇大学の後輩
』
みんな内地の人ばかりで
帰省するたびに、この紹介から始まってたよね
実家に集ってる皆に
『なんにも無いここの何がいいの
』
って聞いたら
『やっぱり広さが全然違いますよ
それと空気と水と人が優しいんです

先輩に
「あそこには社会人になる前に一度は行った方がいいぞ
」
って言われましたが、その意味がここに来て分かったような気がします
』
と、似たような言葉が何度か返ってきてたことも忘れてない
俺が高校時代には、俺を含め
みんなの停学処分を阻止した親父
校長・教頭・生活指導の先生方を前にして
学校とはなんぞや
教育とはなんぞや
先生とはなんぞや
を淡々と語ってた親父の姿と言葉には驚かされたんや
それ以来、翌年から校則が変わったけど…
あの時は、ホンマに停学を覚悟してたよ
あなたのことを書いたら書ききれないほどのネタがあるけど
あなたが俺の父親であることに心から感謝してますm(__)m
俺は、まだまだあなたの足元にも及んでないけど
俺の子供達である、あなたの孫は…
後20年もしたら…
あなたと肩を並べるぐらいのところまで成長するはずです

20年近くなるんやね

闘病生活が長い人やったし

親父と一緒に過ごした日々は10年も無かったよね

それでも、兄弟の中では俺が親父と一番話をしてたことを、この世を去ってから知らされた俺

それまでは、一番上の兄貴や妹の方が、親父と一番話してると思ってたよ

あなたは俺にとって

葬儀の時に、親戚の人達から


その時
『えっ

と思うほどの我が儘と自分勝手さには驚かされたけど

『俺は、親父の子だ

って、逆に安心したことも



あの時をきっかけに、雲の上の人では無くなったけど

憧れでもあり尊敬する人でもあることは、今でもこれからも変わることはないよ

お酒が入る度に

海軍の話しも、憲兵の話しも開拓時代の話しも

耳にタコができるほど


家庭訪問の時なんかは、先生に酒を飲ませて、先生を潰してしまった親父

あの頃の俺は

気が気じゃなかったし


夏に旅人が
『テント張らして下さい

と来ると、最低1週間は家に泊めて



毎年、旅人の後輩が来てたから

実家に帰ると、知らない人ばかりで


『この女の子達は実習生で、あの男の子は去年来た〇〇大学の後輩


みんな内地の人ばかりで


実家に集ってる皆に
『なんにも無いここの何がいいの


って聞いたら
『やっぱり広さが全然違いますよ

それと空気と水と人が優しいんです


先輩に
「あそこには社会人になる前に一度は行った方がいいぞ

って言われましたが、その意味がここに来て分かったような気がします

と、似たような言葉が何度か返ってきてたことも忘れてない

俺が高校時代には、俺を含め


校長・教頭・生活指導の先生方を前にして
学校とはなんぞや

教育とはなんぞや

先生とはなんぞや

を淡々と語ってた親父の姿と言葉には驚かされたんや

それ以来、翌年から校則が変わったけど…
あの時は、ホンマに停学を覚悟してたよ

あなたのことを書いたら書ききれないほどのネタがあるけど

あなたが俺の父親であることに心から感謝してますm(__)m
俺は、まだまだあなたの足元にも及んでないけど

俺の子供達である、あなたの孫は…
後20年もしたら…
あなたと肩を並べるぐらいのところまで成長するはずです

