友達に『SAD』って知ってる?
と聞かれた
だから…
俺の記憶が正しければ
社会不安障害で
必要以上に他人の評価や目を気にしてしまい
自律神経に支障をきたす心の病…
じゃなかったかな

別に珍しい病じゃないはずで
酷くなると、パニック障害とか、うつ病とか、対人恐怖症になって完全に引きこもってしまうと思ったよ。
と、答えた
実はね
ガードマン時代に、ご家族の協力の元で面倒をみた子がいるから覚えてたんだ
殆んどが薬での治療
普通の人なら、単に『性格』と捉えるかもしれないけど、
その病を単に性格の問題と捉えると大変なことになるんよ
日常生活の中で、その病気を理解するには難しいところもあるけど
心の病のひとつなんだな
あの当時、治すのに2年かかったけど
ご家族や周囲の協力がないと、本当に難しいよ
基本的に、心療内科や精神科医を信用してない俺
勿論、全てを信用してない訳じゃないよ
上手く言えないけど
その全てを完全に病気扱いして、病気にしてるところが嫌なんだよね
特に、それがあからさまに感じるお医者さんは信用しないんだよ
ガードマン時代…
『なんか変だなぁ
』
と思ったから、本人に確認してみた
最初は、隠してたけど…
少しずつ話をしてくれてね
本人の話しと気持ちと意思を確認してから、ご両親とお話しをし
ご両親の話しも聞いたよ
この時、
俺が機動隊時代に飲み屋で知り合った精神科医の先生との話が随分と役立ったことは覚えてる
あの先生は、本当に良い精神科医だと、この時つくづく感じたなぁ
なのに…
あの頃の若造の俺は、なんと言う口の聞き方をしてたんやろ
と、自分が恥ずかしくなったことも忘れてないけん
その先生との出会いがあったからこそ
いろんな子供達と関わってこれたんだと思う
社会不安障害を持った彼もその中の1人だったよ
このまま医者にいけば、余計に酷くなると思ったから、
ご両親と本人の相談の上、薬だけを貰うようにして、医者のカウンセリングは一切受けさせなかった
俺が居た警備会社は『人間更正施設』と言う異名まで付けられたぐらいだから
隊員達も周りの業者さん達も、みんな協力的だったから本当に助かったよ

あの当時、それを許してくれてた社長にも感謝だよね

2年後…
本人とご家族と一緒に最後の診察をした時
『あなたは何者ですか?』
と、担当医に聞かれた
『彼の所見と私の判断では、もっと治療に時間がかかるはずなのに…』
とも言われたけど…
『しがないガードマンです
』
と答えたのも覚えてる
彼が病気を克服した時、担当医から会社に電話が有って
個人的にいろんな話しをしたことが一度だけある
その後、その担当医が休みの日に研修と称して
俺の会社で仕事をしてたよ
勿論、みんなには医者であることは黙ってたし
結構、研修に来てたけど
己のプライドを捨ててまで、俺なんかのような人間を知ろうとした先生は
本当に凄い人だよ
友達からのメールで、そんな過去を思い出したな
と聞かれた

だから…
俺の記憶が正しければ

社会不安障害で

必要以上に他人の評価や目を気にしてしまい

自律神経に支障をきたす心の病…
じゃなかったかな


別に珍しい病じゃないはずで

酷くなると、パニック障害とか、うつ病とか、対人恐怖症になって完全に引きこもってしまうと思ったよ。
と、答えた

実はね

ガードマン時代に、ご家族の協力の元で面倒をみた子がいるから覚えてたんだ

殆んどが薬での治療

普通の人なら、単に『性格』と捉えるかもしれないけど、
その病を単に性格の問題と捉えると大変なことになるんよ

日常生活の中で、その病気を理解するには難しいところもあるけど

心の病のひとつなんだな

あの当時、治すのに2年かかったけど

ご家族や周囲の協力がないと、本当に難しいよ

基本的に、心療内科や精神科医を信用してない俺

勿論、全てを信用してない訳じゃないよ

上手く言えないけど


特に、それがあからさまに感じるお医者さんは信用しないんだよ

ガードマン時代…
『なんか変だなぁ

と思ったから、本人に確認してみた

最初は、隠してたけど…
少しずつ話をしてくれてね

本人の話しと気持ちと意思を確認してから、ご両親とお話しをし

ご両親の話しも聞いたよ

この時、
俺が機動隊時代に飲み屋で知り合った精神科医の先生との話が随分と役立ったことは覚えてる

あの先生は、本当に良い精神科医だと、この時つくづく感じたなぁ

なのに…
あの頃の若造の俺は、なんと言う口の聞き方をしてたんやろ

と、自分が恥ずかしくなったことも忘れてないけん

その先生との出会いがあったからこそ

いろんな子供達と関わってこれたんだと思う

社会不安障害を持った彼もその中の1人だったよ

このまま医者にいけば、余計に酷くなると思ったから、
ご両親と本人の相談の上、薬だけを貰うようにして、医者のカウンセリングは一切受けさせなかった

俺が居た警備会社は『人間更正施設』と言う異名まで付けられたぐらいだから

隊員達も周りの業者さん達も、みんな協力的だったから本当に助かったよ


あの当時、それを許してくれてた社長にも感謝だよね


2年後…
本人とご家族と一緒に最後の診察をした時
『あなたは何者ですか?』
と、担当医に聞かれた

『彼の所見と私の判断では、もっと治療に時間がかかるはずなのに…』
とも言われたけど…
『しがないガードマンです

と答えたのも覚えてる

彼が病気を克服した時、担当医から会社に電話が有って
個人的にいろんな話しをしたことが一度だけある

その後、その担当医が休みの日に研修と称して

俺の会社で仕事をしてたよ

勿論、みんなには医者であることは黙ってたし

結構、研修に来てたけど

己のプライドを捨ててまで、俺なんかのような人間を知ろうとした先生は

本当に凄い人だよ

友達からのメールで、そんな過去を思い出したな
