実はね…
月に一度は田舎のおふくろに手紙を書くことにしたんだ
先月から始めたばかりだけど
今まで本当に親不幸なほど音信不通にしてた俺だから
本来なら親になって、親の気持ちが分かるんだけど…
どうしても自分の中で消化できないことが幾つかあってね
周りには偉そうなことを言ってるけど
ずっとずっとトラウマみたくなってるのが有って
でも…
『もう、いっかなぁ
』
って思うようになった
他の人からしたら、本当につまんないことだろうし
何でそんなことで
と逆に笑われるか
不思議に思われるかもしれないけど…
俺、mixiに居た時もここでも尊敬する天国の親父のことを書いた
でも、おふくろのことはほとんど書いてない
別にね、おふくろに感謝して無い訳じゃないんだよ
親父の長年の闘病生活の時に、おふくろ一人で俺達兄妹の4人を必死に育てくれたんだから
17歳の時に10歳年上の親父と駆け落ちして
北海道の開拓者となり
19歳で1番上の兄貴を出産し、21歳で2番の兄貴を出産
その後、25歳で俺を産んで、27歳で妹を産んだおふくろは、親父の闘病生活と貧しさの中で本当に良く頑張ってくれたと感心してる
あの頃…
なんとか生きようとしたおふくろがいてくれたから
こうして俺が居るんだと思う
だから、心の底から感謝してることは間違いないんだよ
でもね…
小学生の頃に
『母さん。あんたが男の子で本当に哀しかった。妊娠してるとき、お兄ちゃん達と食べ物の好みが明らかに変わったから絶対に女の子だと思ってたのに…
男の子のあんたでガッカリしたわ。
だから4人目を産んだけど、4人目は女の子で本当に嬉しかった。』
この言葉を…
何度聞いたことだろう。
一度だけ
『俺が女の子だったら…?』
と聞いたことがある
返ってくる言葉は
『女の子だったら4人目は産んでない…』
その通りだよね
小学生の頃の俺は、女の子=妹だったから
俺の存在は無いと思ってた。
実際、そうなのかもしれない
おふくろの言葉に輪をかけて
2番目の兄貴と妹が物凄く成績優秀でね
2人とも義務教育までは通信簿がオール5だったから
間に居る俺の肩身の狭いこと
狭いことったら
ありゃしない
俺が勝負できたのは、体育・図工・家庭科に、美術と技術だけで
高校入社には関係ない教科ばかり
体力と感性でしか生きて無かったからかもしれないけど
まだ勝負できるのが有るだけ助かったよ
それでも、通信簿の時期が来ると本当に嫌だった
その度に
『あんたは…どうして…』
と比較されてたからね
2番目の兄貴なんかは高校も主席だったから
お手上げ状態だったけど
唯一救われたのは妹が俺と違う高校に行ってくれたこと
4人とも皆違う高校が幸いしたし
刑事さんが来て
進学校から一変して、悪で有名な高校になった高校だったけど
あれは…
先生方や保護者が悪いからだ!と、今だに声を大にしていえるよ
本当にマンガの世界のような高校時代だったから
話しても信じてくれない人の方が多いかもしれない
そんな高校時代、
高1の中間テストで自分でも信じられない成績を取ったから
文武両道プラスαの高校時代は楽しかったよ
このプラスαが大事
だって、高1の時は学校があまりにも酷く荒れてて
入学してから10日もせずに20人ほどが辞めたからね
だから、プラスαって結構大事なんだ
高校時代から警察官を辞めるまでは、小学生の頃に何度も聞いてたおふくろの言葉など忘れてた
だけど…
警察官を辞める時も、離婚するときも
『それが親が言う言葉か
』
と思う言葉を散々言われたよ
一番は警察官を辞める時
勘当された時の言葉は今でも思い出したくない
一番上の兄貴は脅迫してきたからね
その時に…
忘れてた言葉が甦ってきてね
勘当されてた2年間は、
『俺は、親や兄貴の為に生きてるんじゃない。
所詮、最後は自分しか信用できないんだな。
自分の人生だから…
俺の人生だから…』
と自分自身に言い聞かせてるうちに、親や兄貴を拒否してしまってた。
親父が天国に行った時は、既に勘当がとけてたけど…
俺自身の心の中は、とけて無かったんだ
離婚するときも、散々おふくろに言われたなぁ
今となっては、いろんなことや、いろんな事実が分かったからかもしれないけど
態度も言葉も違う。
警察官を辞める時と同じ
言わない俺が悪いけど
分かろうとしないで、言いたい放題言われるなら
黙ってる方がいい
きっとね、親だから
家族だからこそ逆に言えるんだと思う
それも分かってるんだけど…
駄目なものは駄目なんだよね
だから、親父が天国に行ってから3回忌までは連絡をしてたけど、
それ以降は、殆んど俺からは連絡しなかった。
去年、一番上の兄貴に
俺があまりにも連絡しないものだから
おもいっきり電話で怒鳴られてね
兄貴が言ってることは、ごもっともなんだけど…
心の中で
『みんな都合が良過ぎるじゃん
』
って思いながら話を聞いてた自分がいた。
だから俺も自分の都合で生きると言いたかったけど…
なんだか、面倒くさくてね
黙って兄貴の話を聞いてたよ
今年に入ってからかな
独立記念日を機に何かが変わり始めたのは。
その何かが、自分でも分からないんだけど
出会った人達のお蔭であることは間違いないと思う
本当は声を大にして名前を言いたいけど
諸事情から
名前は出せないな
だけど、敢えて言わせて貰うとしたら…
心友
熊本の人
北国の人
副支配人
介護のプロ
インストラクター
の人達が一番の要因かな
因みに順不同だから
たまたま心友に月に1度の手紙を話したら
ハガキの方がいいよ
手紙だと、何処か重く感じる時も有るから
『母さん
元気か
』
だけでもいいじゃん
って言われた
うん
確かにそうかもしれない
俺が元気に生きてることを伝えるだけなんだから
母さん
いつになるか分からないけど
本当に約束できないけど
母さんが言う
『好い人』に出会えたら
一緒に手と手を繋いで田舎に行くよ
そして、親父にも会ってもらうから
元気でいてください
けど、俺と一緒に共に生きてくれる人が居なくても
元気でいてください
そして、兄貴…
ありがとう
俺は元気です
月に一度は田舎のおふくろに手紙を書くことにしたんだ

先月から始めたばかりだけど

今まで本当に親不幸なほど音信不通にしてた俺だから

本来なら親になって、親の気持ちが分かるんだけど…
どうしても自分の中で消化できないことが幾つかあってね

周りには偉そうなことを言ってるけど

ずっとずっとトラウマみたくなってるのが有って

でも…
『もう、いっかなぁ

って思うようになった

他の人からしたら、本当につまんないことだろうし

何でそんなことで



俺、mixiに居た時もここでも尊敬する天国の親父のことを書いた

でも、おふくろのことはほとんど書いてない

別にね、おふくろに感謝して無い訳じゃないんだよ

親父の長年の闘病生活の時に、おふくろ一人で俺達兄妹の4人を必死に育てくれたんだから

17歳の時に10歳年上の親父と駆け落ちして



その後、25歳で俺を産んで、27歳で妹を産んだおふくろは、親父の闘病生活と貧しさの中で本当に良く頑張ってくれたと感心してる

あの頃…
なんとか生きようとしたおふくろがいてくれたから


だから、心の底から感謝してることは間違いないんだよ

でもね…
小学生の頃に
『母さん。あんたが男の子で本当に哀しかった。妊娠してるとき、お兄ちゃん達と食べ物の好みが明らかに変わったから絶対に女の子だと思ってたのに…
男の子のあんたでガッカリしたわ。
だから4人目を産んだけど、4人目は女の子で本当に嬉しかった。』
この言葉を…
何度聞いたことだろう。
一度だけ
『俺が女の子だったら…?』
と聞いたことがある

返ってくる言葉は
『女の子だったら4人目は産んでない…』
その通りだよね

小学生の頃の俺は、女の子=妹だったから

俺の存在は無いと思ってた。
実際、そうなのかもしれない

おふくろの言葉に輪をかけて

2番目の兄貴と妹が物凄く成績優秀でね

2人とも義務教育までは通信簿がオール5だったから

間に居る俺の肩身の狭いこと



俺が勝負できたのは、体育・図工・家庭科に、美術と技術だけで

高校入社には関係ない教科ばかり

体力と感性でしか生きて無かったからかもしれないけど

まだ勝負できるのが有るだけ助かったよ

それでも、通信簿の時期が来ると本当に嫌だった

その度に
『あんたは…どうして…』
と比較されてたからね

2番目の兄貴なんかは高校も主席だったから


唯一救われたのは妹が俺と違う高校に行ってくれたこと

4人とも皆違う高校が幸いしたし

刑事さんが来て


あれは…
先生方や保護者が悪いからだ!と、今だに声を大にしていえるよ

本当にマンガの世界のような高校時代だったから


そんな高校時代、
高1の中間テストで自分でも信じられない成績を取ったから

文武両道プラスαの高校時代は楽しかったよ

このプラスαが大事

だって、高1の時は学校があまりにも酷く荒れてて


だから、プラスαって結構大事なんだ

高校時代から警察官を辞めるまでは、小学生の頃に何度も聞いてたおふくろの言葉など忘れてた

だけど…
警察官を辞める時も、離婚するときも
『それが親が言う言葉か


と思う言葉を散々言われたよ

一番は警察官を辞める時

勘当された時の言葉は今でも思い出したくない

一番上の兄貴は脅迫してきたからね

その時に…
忘れてた言葉が甦ってきてね

勘当されてた2年間は、
『俺は、親や兄貴の為に生きてるんじゃない。
所詮、最後は自分しか信用できないんだな。
自分の人生だから…
俺の人生だから…』
と自分自身に言い聞かせてるうちに、親や兄貴を拒否してしまってた。
親父が天国に行った時は、既に勘当がとけてたけど…
俺自身の心の中は、とけて無かったんだ

離婚するときも、散々おふくろに言われたなぁ

今となっては、いろんなことや、いろんな事実が分かったからかもしれないけど

態度も言葉も違う。
警察官を辞める時と同じ

言わない俺が悪いけど

分かろうとしないで、言いたい放題言われるなら

黙ってる方がいい

きっとね、親だから


それも分かってるんだけど…
駄目なものは駄目なんだよね

だから、親父が天国に行ってから3回忌までは連絡をしてたけど、
それ以降は、殆んど俺からは連絡しなかった。
去年、一番上の兄貴に


おもいっきり電話で怒鳴られてね

兄貴が言ってることは、ごもっともなんだけど…
心の中で
『みんな都合が良過ぎるじゃん

って思いながら話を聞いてた自分がいた。
だから俺も自分の都合で生きると言いたかったけど…
なんだか、面倒くさくてね

黙って兄貴の話を聞いてたよ

今年に入ってからかな

独立記念日を機に何かが変わり始めたのは。
その何かが、自分でも分からないんだけど

出会った人達のお蔭であることは間違いないと思う

本当は声を大にして名前を言いたいけど

諸事情から

名前は出せないな

だけど、敢えて言わせて貰うとしたら…
心友
熊本の人
北国の人
副支配人
介護のプロ
インストラクター
の人達が一番の要因かな

因みに順不同だから

たまたま心友に月に1度の手紙を話したら

ハガキの方がいいよ

手紙だと、何処か重く感じる時も有るから

『母さん



だけでもいいじゃん


うん


俺が元気に生きてることを伝えるだけなんだから

母さん

いつになるか分からないけど

本当に約束できないけど

母さんが言う


一緒に手と手を繋いで田舎に行くよ

そして、親父にも会ってもらうから

元気でいてください

けど、俺と一緒に共に生きてくれる人が居なくても

元気でいてください

そして、兄貴…
ありがとう

俺は元気です
