俺よりひとつ年上の田舎の大親友…ニコニコ


彼のお父さん…

昨日亡くなったと、田舎の兄貴から連絡が有った。


亡き父と同じ月に亡くなるとは…。


兄貴の話しによると、この40日間の間に3人亡くなってるとのこと。

どれも、俺の知ってるお父さん達だよ。


今回、兄貴が連絡してきたのは

『おまえは、ヒデユキちゃんと一番仲が良かったから教えない訳にいかないと思ったんだよ』

と言う想いから。

本当に有難いと思う。


自分の親が亡くなると言うのは、亡くした者でしか分からないし、関わり方でも想いは違う。



ヒデユキ君のお父さんには、いっぱい怒られたけど

懲りずに遊びに行ってたし

俺の親父に怒られても、ヒデユキ君も懲りずに遊びに来てな。


二人で山の中や湿原地帯を探検したり、底無し沼でしじみ取りをしたり、釣りをしたりと、

今の小学生の子供達には許されない遊びを平気でしてた。

あの頃は、親達も『気を付けなよ』と注意するだけで誰も止めることはしなかったよ。


今は出没しないけど、あの頃は熊が出てたから、山の中を探検する時は、楽しみと恐怖がいつも背中合わせだった。

でも、いつも好奇心の方が勝ってたよ。


親父なんかは止めることより、

熊に襲われない方法とか、熊に遭遇した時の方法を教えるぐらいだったしね。

実際、役に立ったのも事実なんだ。


底無し沼なんかでは、たまたま岸部でしじみを見つけて、それがエスカレートして素潜りでしじみを取ってたよ。

湿原地帯の沼だから、水中眼鏡をしても視界が悪過ぎるけど、水中眼鏡をしないと目をやられてしまうんだ。

沼の底に足を着いたら…


そのまま沈んでしまうんだよ。

そんな場所で平気で遊んでたり、


冬は冬で、凍った沼などで遊んでたけど…

何度か氷が割れて落ちそうになったこともあったな。

あの当時、小学生でも家の仕事をするのが当たり前だったし、搾乳がパイプラインになると

大人と同じように搾乳してた。

小学校高学年になると、親や兄貴達が居なくても、一人で餌やりして搾乳して放牧して牛舎を掃除してとなんでもできるようになるんだ。

できるようになるというよりは、必然的にできるのが当たり前ななってしまうは


働かざる者食うべからず!

が、田舎では完全に浸透してたからかもしれない。


早朝からは遊ばないから、5時30分に起きて搾乳。

夕方は5時まで帰らないと駄目だったのは、みんな同じだから


遊ぶ時間は限られてたよ。

義務教育までは、どこの家もそれが当たり前だったよ。

搾乳してから学校に行くのも日課だったけど、

高校生になってから俺は、少し解放されたよ。


でも、ヒデユキ君は跡継ぎで高校も違ってたから、高校時代は殆ど一緒に遊ぶことは無かったよ。

でもね、

俺社会人になって田舎に帰ると、毎日のように朝帰りして遊んでたんだ。

当時、おふくろには

『昼間は寝てばっかりで、夜から居なくなって…、あんたが帰る当日の朝まで朝帰りするなんて…。何しに帰って来てんだか…!?』

と、よく言われてたものです。


そんな俺でも結婚してからは、そんなことを1度もしたことは無いよ。

若さ故の…、って感じかな。


ヒデユキ君と遊んでて、一番怒られたのは小学生の頃の花火遊び。


市販で売ってる連続打ち上げ花火ってあるよね。


あれを…

鉄砲代わりに遊んでたんだ。

それも、狙う的は物で無くお互いを狙って遊んでた。

あの遊びは、こてんぱんに怒られた記憶がある。


でもね、もう20年近く会ってないけど、ヒデユキ君のお父さんの笑顔の方が印象に残ってるんだ。


今年は、田舎の兄貴が葬儀委員長らしい。

『なんで俺の時に、こんなに…』

と言ってたけど、

確かに俺もそう思う。


でもさぁ、兄貴…

親父が亡くなった時も、

その後に、兄貴が精神病院の閉鎖病棟に隔離され離農か?

と決断しかけた時も、


みんな助けてくれたじゃん。

人は、いつか死ぬ。

お世話になった人の最後の最後の瞬間を、

兄貴がキチント仕切って見届けて供養できるなんて、

こんな有難いことは無いのかもしれないと俺は思ったよ。


ヒデユキ君のお父さん…

心よりお悔やみ申し上げます。


あの世で、親父が待ってるから、二人でヒデユキ君と俺の悪口でも言って笑って下さい。


あの頃は、本当にお世話になりありがとうございました。