実は交番時代に、行き付けの小さな小料理屋で厨房を手伝ってた時があったんだよね。
勿論、お客でたまに通ってたぐらいだけどお店の人が休みで、
片付けや洗い物が追い付かないのを見かねて手伝ったのが始まり。
最初は、片付けたり食器を洗うだけだったんだけど…
いつのまにか、作る方まで少しずつ頼まれてしまってね。
やったことのないことをやってたから大変だったけど楽しかった。
だから…
警察官を辞める時に、元奥さんの実家の後を継ごうと決めたんだ。
ただ、実家は日本そば屋だから、小料理屋とは違うけどお客さん商売には変わり無かったし
『自分一人でできるようになったら、好きなようにやっていいから』
と、元奥さんのご両親に言われてたから気合いは入ってたよ。
うどんもそばもラーメンも作ってたけど…
コシが無かったり麺が切れたりで上手く麺が作れなくてね。
麺作りを完全に任して貰うのに1年かかったよ。
出前の注文を受けて電話を切ったら、名前を聞くのを忘れて焦ったこともあったし
うどんかそばも聞かずに電話を切ってしまったこともあったよ。
本当に最初は散々だったな。
自分で作った丼物や麺類が不味くてね、厨房で悩んだものだよ。
それでも、納得の味をお客さんに出せた時は嬉しかったし
『ごちそうさま。美味しかったよ!』
と言われると笑顔で頑張れたよ。
『後、半年でお前に任せるよ』
と言われた時は、3年間頑張った甲斐があったと思ったけど…
蓋を開けてみたら、話しが違ってた。
任されても、俺の好きなようには一切できないことが分かった時…
ご両親と大喧嘩をして店を辞めてしまった俺。
丁度この日…
ツインズが生まれた日でもあるんだ。
あの時は、元奥さんには本当に悪いことをしたよ。
最初の頃は、元奥さんのご両親と一緒に住んでたけど、
仕事も私生活も一緒だったから精神的にきつかった。
良かったのは最初の数ヶ月。
マスオさんのようにはなれなくてストレスばかりが蓄まった。
男の俺でさえ、こんな想いをするんだから、旦那さんの実家に入る嫁さんはもっと大変だと、つくづく痛感したよ。
自分でマズイな…と思ったから、黙って病院に行ったら
『今すぐ入院しないと危険ですよ。』
と医者に言われてしまったよ。
でも、機動隊時代を思えば入院などする必要が無いと思ったから環境だけを変えることにしたんだ。
それで、実家を出てアパートに引っ越しをしたけど、理由付けが大変だったよ。
そのお蔭でストレスは無くなったけど…
仕事だけは無理だった。
ご両親の教え方が違うんだよね。
片方が居ない時は、
『あの遣り方は違うから、こうやるんだよ』
と、お互いに言われるから本当にどうしていいか分からなくて、いつも中間をとってた。
元々、仲の良く無いご両親だったから、どちらかが居ない時は、居ない者の愚痴や批判を散々聞かされてたものだよ。
二人の経営方針も違ってたし。
お客さんに一番近い俺からしたら、おやじさんの遣り方の方が良いと思ったけど、
機嫌が悪くなると昼間から酒を飲むのには困ったもんだったよ。
そう言った意味では、おふくろさんは本当に頑張ってたけど、時代に即した遣り方をしないと繁盛しないとも思ったな。
まして、周りには何件もそば屋が有って、俺はお客さんの声を生で聞いてるのだから。
だから、『任せるから』と言われても、おふくろさんの遣り方をしないと任せてくれないのでは頑張ってる意味が無いと思ったよ
そば屋を辞めてから暫くして、おやじさんも辞めてしまった時
『あんた…、そば屋をやらないかい?』
とおふくろさんに言われたけど、
その時の俺は、リフォーム会社の工事部長だったから無理な話しだったよ。
『あの時、あんたの言うように少しでも変えられたら…って思うよ。
お客さんに一番近い、あんたの言葉を素人扱いしてごめんね』
と、おふくろさんが言ってくれたのは有り難かったけど…
時は既に遅し。
だよ。
たまに、居ぬきで貸してる俺が居た店に行ったことがあるけど
味は、おふくろさんの方が美味かったな。
勿論、お客でたまに通ってたぐらいだけどお店の人が休みで、
片付けや洗い物が追い付かないのを見かねて手伝ったのが始まり。
最初は、片付けたり食器を洗うだけだったんだけど…
いつのまにか、作る方まで少しずつ頼まれてしまってね。
やったことのないことをやってたから大変だったけど楽しかった。
だから…
警察官を辞める時に、元奥さんの実家の後を継ごうと決めたんだ。
ただ、実家は日本そば屋だから、小料理屋とは違うけどお客さん商売には変わり無かったし
『自分一人でできるようになったら、好きなようにやっていいから』
と、元奥さんのご両親に言われてたから気合いは入ってたよ。
うどんもそばもラーメンも作ってたけど…
コシが無かったり麺が切れたりで上手く麺が作れなくてね。
麺作りを完全に任して貰うのに1年かかったよ。
出前の注文を受けて電話を切ったら、名前を聞くのを忘れて焦ったこともあったし
うどんかそばも聞かずに電話を切ってしまったこともあったよ。
本当に最初は散々だったな。
自分で作った丼物や麺類が不味くてね、厨房で悩んだものだよ。
それでも、納得の味をお客さんに出せた時は嬉しかったし
『ごちそうさま。美味しかったよ!』
と言われると笑顔で頑張れたよ。
『後、半年でお前に任せるよ』
と言われた時は、3年間頑張った甲斐があったと思ったけど…
蓋を開けてみたら、話しが違ってた。
任されても、俺の好きなようには一切できないことが分かった時…
ご両親と大喧嘩をして店を辞めてしまった俺。
丁度この日…
ツインズが生まれた日でもあるんだ。
あの時は、元奥さんには本当に悪いことをしたよ。
最初の頃は、元奥さんのご両親と一緒に住んでたけど、
仕事も私生活も一緒だったから精神的にきつかった。
良かったのは最初の数ヶ月。
マスオさんのようにはなれなくてストレスばかりが蓄まった。
男の俺でさえ、こんな想いをするんだから、旦那さんの実家に入る嫁さんはもっと大変だと、つくづく痛感したよ。
自分でマズイな…と思ったから、黙って病院に行ったら
『今すぐ入院しないと危険ですよ。』
と医者に言われてしまったよ。
でも、機動隊時代を思えば入院などする必要が無いと思ったから環境だけを変えることにしたんだ。
それで、実家を出てアパートに引っ越しをしたけど、理由付けが大変だったよ。
そのお蔭でストレスは無くなったけど…
仕事だけは無理だった。
ご両親の教え方が違うんだよね。
片方が居ない時は、
『あの遣り方は違うから、こうやるんだよ』
と、お互いに言われるから本当にどうしていいか分からなくて、いつも中間をとってた。
元々、仲の良く無いご両親だったから、どちらかが居ない時は、居ない者の愚痴や批判を散々聞かされてたものだよ。
二人の経営方針も違ってたし。
お客さんに一番近い俺からしたら、おやじさんの遣り方の方が良いと思ったけど、
機嫌が悪くなると昼間から酒を飲むのには困ったもんだったよ。
そう言った意味では、おふくろさんは本当に頑張ってたけど、時代に即した遣り方をしないと繁盛しないとも思ったな。
まして、周りには何件もそば屋が有って、俺はお客さんの声を生で聞いてるのだから。
だから、『任せるから』と言われても、おふくろさんの遣り方をしないと任せてくれないのでは頑張ってる意味が無いと思ったよ
そば屋を辞めてから暫くして、おやじさんも辞めてしまった時
『あんた…、そば屋をやらないかい?』
とおふくろさんに言われたけど、
その時の俺は、リフォーム会社の工事部長だったから無理な話しだったよ。
『あの時、あんたの言うように少しでも変えられたら…って思うよ。
お客さんに一番近い、あんたの言葉を素人扱いしてごめんね』
と、おふくろさんが言ってくれたのは有り難かったけど…
時は既に遅し。
だよ。
たまに、居ぬきで貸してる俺が居た店に行ったことがあるけど
味は、おふくろさんの方が美味かったな。