18歳から24歳までの警察官時代、いつも生と死の背中合わせにいた俺。

異端児物語でも書いたけれど、事件・事故など数えきれないほどの死に直面した。

正直…、老若男女問わず、きれいな死体には殆どお目にかかれてない。

元奥さんは看護師だから、同じ死に直面しても俺とは逆。 

ただ、どちらも遺族の想いに直面していたことには変わり無かったかもしれない。

だけど、病死や大往生と事件・事故とでは家族の想いや恋人の想いは違ってた。

同期だけで無く、先輩・後輩の死に直面した時ほど…

『次は俺かもしれない…』

と何度思ったことだろう。


覚悟を決めれば決めるほど

『人生は一度っきりだから…』

と言う気持ちが強くなってたよ。


特に機動隊時代は、生と死の背中合わせにいたから、いつ死んでもいい状態でいたのは確かだったな。

デモ隊の出動から、ヤクザの抗争事件、成田出動は毎月のように出動してたから、訓練が半端じゃない。

それでも、現にヤクザの抗争事件の出動で、ヤクザに発泡されて殉職した後輩がいれば、デモ隊に拉致されて瀕死の状態になった同期もいる。

一斉検問では、車に跳ねられて即死した同期もいた。

とにかく、身内の殉職ばかりで無く、瀕死の状態を免れても普通に生きて行くことが困難な同僚も見てきた。


きっと…

俺が警察官を続けていたら間違い無く殉職していたと思う。

だから、あの組織に負けて良かったと今でも思うよ。

機動隊時代に一番嫌だったのは身辺警護だったよ。

これは、ある一定の資格と能力がないとなれないけど、あの頃の身辺警護の手当てが1ヶ月6000円だったんだよね。

内閣総理大臣から各国の外国要人が県内に来ると、県内を出るまで警護にあたるんだけど

1ヶ月6000の手当てで、自分の命を投げ出して身を挺するのは納得出来なかったよ。

それ以外に、あの世界の汚れた部分の方が、もっと納得いかなかったけどね。


あと、特命の出動も忘れないな。

全員私服で出動なんだけど、一切の身分を証すものは所持してはいけなかった。

名刺も警察手帳も免許証も全て没収されて出動したよ。

『万が一拉致されても、一切の身分を隠すように。時間まで戻って来ない場合は、拉致=死とみなす』

と言われた時は、

さすがに勘弁して欲しかった。

だから…

喫茶店で時間を潰してたこともあったよ。


そんな時代も有ったけど、

今は…

1日でも長く生きたと思う自分がいる。


自分の責任と覚悟で決めたことだから

一人は気楽でいいけど…、
寂しいもんだ。

ひとりぽっちは、もっと辛いし

孤独死は、それ以上に悲しくなるな。


これも自分で決めたことだから仕方ないけど



いつか…


いつか、安心して手と手を繋いでいれられる人と最後の瞬間を過ごせたらいいな。