中隊伝令には伝令長(旗手)・無線・記録・採証の4種類の担当が有ったが
俺は記録を担当することになった。
県警や所轄、隊内の無線など最低3つの無線を所持し、全てのやり取りを記録する仕事だった。
そればかりでは無く、目の前で起きてる現実を詳細に記録もしなければならなかったから頭がおかしくなりそうだったよ。
同時に3つの無線がやり取りしてる時は本当に覚えることが出来なくて、手が止まってたよ。
伝令長に
『たとえお前の目の前で仲間が拉致されてボコボコにされても助けるな!
お前の仕事は、その状況を詳細に書くことが仕事なんだ。そうしないと裁判で負けてしまうからな』
と言われたけど
訓練のときは、咄嗟に助けてしまってたから何度も怒鳴なれたもんだよ。
伝令として現場に出動した時は、無線は聞き取れないし目の前では逮捕劇があったりなどで
何ひとつ記録の仕事が出来ずにいた。
自分の無能さに苛立ち、ペンを投げ捨てしまった時…
無線担当の先輩に、おもいっきり後ろから飛び蹴りをくらい、前に吹っ飛んだ俺。
『できないじゃない!やるんだよ!!できなくもやるんだよ!!!俺がサポートするから諦めるな!!!!まだ何も終わっちゃいないぞ!!』
って、無線担当の先輩に言われた時…
周囲の冷ややかな目だけが俺の視界に入ったよ。
本当に悔しかったけど、これが事実だからどうにもならない。
中隊伝令や小隊伝令からは、散々ボロクソに言われたよ。
そして、それを機に誰も俺の指示には従わなくなったことは言うまでもない。
仕事ができなくて階級が一番下で経験の無い奴が、立場だけはトップに居るのだから誰も認める訳なんか無いんだ。
まして…
中隊伝令は、入隊2年目でなることなんてあり得ないことだったから、先輩達のイジメは半端じゃなかったな。
『どうして、中隊長はこんな俺を伝令にしたんだろう…?
該当する先輩方が沢山いるのに…、なぜ?』
他の同期は、みんな毎日が遠足だと言うのに…
本当に周りが羨ましかったよ。
本当に危うく精神崩壊するところだったよ。
精神崩壊を救ってくれたのが、俺を後ろから蹴り飛ばした無線の先輩だった。
『話しがある』
と言われて、飲み屋に連れていかれた時は全てが終わったように思えたよ。
だけど…
『お前…、辛いだろ!?悔しいだろ!?逃げ出したいだろ!?』
と、あるお店で言われた後
『実はな…、俺は1年半でこの位置にきたんだ。その時は前代未聞の出世頭と言われたけど、周りからは相当な嫌がらせやイジメに有ったよ。
だから、お前の気持ちが良く分かる。まさか、俺を越える奴が現れるとは思っていなかったけどな…
きっと、もしかしたらお前より凄い奴が入隊半年後で中隊伝令になるかもしれない。
お前は、そんな奴らをキチント指導して助けてやれよ』
と言われた時は、鬼の先輩が神様に思えた瞬間だったよ。
更に先輩の話しは続き
『とにかく俺の言うことに従え!
毎月実施されてる試験では常にトップクラスにいろ。まっ!俺が居る限り一番にはなれないけどな。
そして、体力検定は常に1級でいろ。今のお前ならレンジャー候補になってるぐらいだからできるはずだ。
最後に、仕事を1分1秒でも早く覚えろ!
俺がフォローするから、今のうちに失敗して身に付けろ。』
と、そう言われたよ。
体力検定はなんとかなるにしても…
1個中隊100名近くいて、4中隊まで有ったから400名の中での試験でのトップは至難だった。
まして、仕事を1分1秒でも早く覚えろと言われても、誰もが敵のようなものだったから、尚更至難だったな。
中隊伝令になって半年後…
無線担当の先輩に、呼び出されて飲み屋に行った時、
『お前、よく頑張ったな。1中隊はお前に任せたぞ!』
と言われた。
『えっ!?どういう意味ですか?俺はまだまだだし、他に先輩方だっているし…』
と聞いたら
『俺は、今回で除隊になる。
どんなに俺達の同期がまだ居ても、
どんなに中隊長が変わっても
お前が1中隊の全てなんだ。
〇〇中隊長が、お前を引っ張った時、俺たちは本当に驚いたけど、中隊伝令の俺たちは、お前に期待してたんだよ。
怒鳴ったり殴ったり蹴ったのも俺達の愛情表現だったんだぞ』
と、言ってくれたけど…
殴られたり蹴られたりは愛情に思え無かったのは気のせいかな?
先輩の沢山の言葉は本当に嬉しかったけど、先輩が異動してからは、正直不安だった。
だけど、半年前とは180度違って、みんなが俺の指示に従ってくれた時は夢でも見てるのか?と思ったほどだったよ。
後で聞いた話しだが、先輩が半年間、みんなに根回しをしてくれてたらしい。
当時の先輩は23歳だと言うのに、なんて素晴らしい人の下で指導を受けたんだろう。と感謝しても感謝仕切れない想いだったな。
同期達が毎日遠足してる中、この時から俺は毎日が修学旅行になった瞬間だったよ。
人間の能力とは未知数なもので、聖徳太子まではいかなくても
4つの無線が同時に流れてきても全て記録ができ、尚且つ、目の前で何が起きてもキチント記録ができるようになってた。
他の中隊の記録担当が、病気とか入院して不在の時は、いつも俺がヘルプしてたけど
待遇が、神様・仏様・異端児様のような扱いをされた時は、本当に驚いたよ。
ただね…
出動してから、帰ってくるまでは24時間無線が流れてるから、一睡もできないんだよね。
だから、成田出動の時は4・5日は眠れ無かったよ。
出動から戻ってきても、記録の書類提出が有るから
どの中隊の記録担当者も寝ずに仕事をしていたよ。
出動してから全てが終わり、上司に『お疲れ!2・3日休め』と言われた瞬間には急に睡魔に襲われてたな。
風呂にゆっくり浸かった後は、飲まず食わずで寝てたから
伝令の先輩方が『微動だもしないから死んでるかと思って心配になったぞ』と、言われながら毎回起こされてたもんだよ。
寝て起きると、誰も居ない時の方が多かったから、
今日が何日なのか…分からない時も結構あったよ。
笑うに笑え無かったのは、
『お疲れ!後は寝てろ』と上司に言われて、いつものパターンで布団に入った瞬間…
『異端児、出動だ!』
と言われた時は耳を疑ったよ。
このパターンは結構有ったから慣れていたけど、
さすがに体はきつかったな。
きつかったけど、あの奴隷のような日々に比べたら精神的にも肉体的にも楽だったから
あの1年間と、中隊伝令になってからの半年間には感謝したよ。
そんなふうに思えた22歳の夏だったな。
この夏に、機動隊では大きな部隊編成が有ったが、俺は変わらずに1中隊の記録だったよ。
俺の同期が、他の中隊たから1中隊伝令に配属された時、事件が勃発したよ。
続く
俺は記録を担当することになった。
県警や所轄、隊内の無線など最低3つの無線を所持し、全てのやり取りを記録する仕事だった。
そればかりでは無く、目の前で起きてる現実を詳細に記録もしなければならなかったから頭がおかしくなりそうだったよ。
同時に3つの無線がやり取りしてる時は本当に覚えることが出来なくて、手が止まってたよ。
伝令長に
『たとえお前の目の前で仲間が拉致されてボコボコにされても助けるな!
お前の仕事は、その状況を詳細に書くことが仕事なんだ。そうしないと裁判で負けてしまうからな』
と言われたけど
訓練のときは、咄嗟に助けてしまってたから何度も怒鳴なれたもんだよ。
伝令として現場に出動した時は、無線は聞き取れないし目の前では逮捕劇があったりなどで
何ひとつ記録の仕事が出来ずにいた。
自分の無能さに苛立ち、ペンを投げ捨てしまった時…
無線担当の先輩に、おもいっきり後ろから飛び蹴りをくらい、前に吹っ飛んだ俺。
『できないじゃない!やるんだよ!!できなくもやるんだよ!!!俺がサポートするから諦めるな!!!!まだ何も終わっちゃいないぞ!!』
って、無線担当の先輩に言われた時…
周囲の冷ややかな目だけが俺の視界に入ったよ。
本当に悔しかったけど、これが事実だからどうにもならない。
中隊伝令や小隊伝令からは、散々ボロクソに言われたよ。
そして、それを機に誰も俺の指示には従わなくなったことは言うまでもない。
仕事ができなくて階級が一番下で経験の無い奴が、立場だけはトップに居るのだから誰も認める訳なんか無いんだ。
まして…
中隊伝令は、入隊2年目でなることなんてあり得ないことだったから、先輩達のイジメは半端じゃなかったな。
『どうして、中隊長はこんな俺を伝令にしたんだろう…?
該当する先輩方が沢山いるのに…、なぜ?』
他の同期は、みんな毎日が遠足だと言うのに…
本当に周りが羨ましかったよ。
本当に危うく精神崩壊するところだったよ。
精神崩壊を救ってくれたのが、俺を後ろから蹴り飛ばした無線の先輩だった。
『話しがある』
と言われて、飲み屋に連れていかれた時は全てが終わったように思えたよ。
だけど…
『お前…、辛いだろ!?悔しいだろ!?逃げ出したいだろ!?』
と、あるお店で言われた後
『実はな…、俺は1年半でこの位置にきたんだ。その時は前代未聞の出世頭と言われたけど、周りからは相当な嫌がらせやイジメに有ったよ。
だから、お前の気持ちが良く分かる。まさか、俺を越える奴が現れるとは思っていなかったけどな…
きっと、もしかしたらお前より凄い奴が入隊半年後で中隊伝令になるかもしれない。
お前は、そんな奴らをキチント指導して助けてやれよ』
と言われた時は、鬼の先輩が神様に思えた瞬間だったよ。
更に先輩の話しは続き
『とにかく俺の言うことに従え!
毎月実施されてる試験では常にトップクラスにいろ。まっ!俺が居る限り一番にはなれないけどな。
そして、体力検定は常に1級でいろ。今のお前ならレンジャー候補になってるぐらいだからできるはずだ。
最後に、仕事を1分1秒でも早く覚えろ!
俺がフォローするから、今のうちに失敗して身に付けろ。』
と、そう言われたよ。
体力検定はなんとかなるにしても…
1個中隊100名近くいて、4中隊まで有ったから400名の中での試験でのトップは至難だった。
まして、仕事を1分1秒でも早く覚えろと言われても、誰もが敵のようなものだったから、尚更至難だったな。
中隊伝令になって半年後…
無線担当の先輩に、呼び出されて飲み屋に行った時、
『お前、よく頑張ったな。1中隊はお前に任せたぞ!』
と言われた。
『えっ!?どういう意味ですか?俺はまだまだだし、他に先輩方だっているし…』
と聞いたら
『俺は、今回で除隊になる。
どんなに俺達の同期がまだ居ても、
どんなに中隊長が変わっても
お前が1中隊の全てなんだ。
〇〇中隊長が、お前を引っ張った時、俺たちは本当に驚いたけど、中隊伝令の俺たちは、お前に期待してたんだよ。
怒鳴ったり殴ったり蹴ったのも俺達の愛情表現だったんだぞ』
と、言ってくれたけど…
殴られたり蹴られたりは愛情に思え無かったのは気のせいかな?
先輩の沢山の言葉は本当に嬉しかったけど、先輩が異動してからは、正直不安だった。
だけど、半年前とは180度違って、みんなが俺の指示に従ってくれた時は夢でも見てるのか?と思ったほどだったよ。
後で聞いた話しだが、先輩が半年間、みんなに根回しをしてくれてたらしい。
当時の先輩は23歳だと言うのに、なんて素晴らしい人の下で指導を受けたんだろう。と感謝しても感謝仕切れない想いだったな。
同期達が毎日遠足してる中、この時から俺は毎日が修学旅行になった瞬間だったよ。
人間の能力とは未知数なもので、聖徳太子まではいかなくても
4つの無線が同時に流れてきても全て記録ができ、尚且つ、目の前で何が起きてもキチント記録ができるようになってた。
他の中隊の記録担当が、病気とか入院して不在の時は、いつも俺がヘルプしてたけど
待遇が、神様・仏様・異端児様のような扱いをされた時は、本当に驚いたよ。
ただね…
出動してから、帰ってくるまでは24時間無線が流れてるから、一睡もできないんだよね。
だから、成田出動の時は4・5日は眠れ無かったよ。
出動から戻ってきても、記録の書類提出が有るから
どの中隊の記録担当者も寝ずに仕事をしていたよ。
出動してから全てが終わり、上司に『お疲れ!2・3日休め』と言われた瞬間には急に睡魔に襲われてたな。
風呂にゆっくり浸かった後は、飲まず食わずで寝てたから
伝令の先輩方が『微動だもしないから死んでるかと思って心配になったぞ』と、言われながら毎回起こされてたもんだよ。
寝て起きると、誰も居ない時の方が多かったから、
今日が何日なのか…分からない時も結構あったよ。
笑うに笑え無かったのは、
『お疲れ!後は寝てろ』と上司に言われて、いつものパターンで布団に入った瞬間…
『異端児、出動だ!』
と言われた時は耳を疑ったよ。
このパターンは結構有ったから慣れていたけど、
さすがに体はきつかったな。
きつかったけど、あの奴隷のような日々に比べたら精神的にも肉体的にも楽だったから
あの1年間と、中隊伝令になってからの半年間には感謝したよ。
そんなふうに思えた22歳の夏だったな。
この夏に、機動隊では大きな部隊編成が有ったが、俺は変わらずに1中隊の記録だったよ。
俺の同期が、他の中隊たから1中隊伝令に配属された時、事件が勃発したよ。
続く