俺には縁が無くなったけど、幾つになっても子供は子供
だけど、幾つになっても子供扱いをされるのが嫌な俺だったから
我が子達を子供と言うよりは、
一人の人として
一人の社会人として
一人の大人として
今は子供達と接している。
長男が生まれた時、2ヶ月でアトピーが出て、それはそれで大変だった。
3歳の時にアトピーが治ったと思ったら、小児喘息にかかってしまうし…
23年前に公園デビューをした俺だけど、全然恥ずかしくなかったな。
2年後にツインズが生まれた時も、長男をおんぶしてツインズをベビーカーに乗せて、よく散歩したり公園に行ってたよ。
おんぶするたびに…
おっぱいが欲しい。と何度思ったことか。
おっぱいが無いから、首がおぶい紐で締め付けられるんだよね。
あの当日、周りからは奥さんが居ないと思われてたくらい、子供達といつも一緒だった俺。
元奥さんは看護師で夜勤をしてたし、歓送迎会などの飲み会が結構有ったから、俺の方が子供達と居た時間は多かったよ。
リフォーム時代は工事部長だったけれど、とにかく子供達を優先させてた。
だから社長には
『君は出世はしないな』
とよく言われてたけど、
俺は出世などしたくない。
出世したかったかったら、警察官を辞めていないよ。
これでも、俺は警察官時代はエリートコースに身をおいてたのだから。
コースを外れても、自分らしくいたかった俺だから、子供達との時間は最高に楽しかったと今でも思える。
本当はね…
長男が生まれるまで、子供が大嫌いだった俺なんだよね。
長男が生まれてから180度変わったよ。
保育園の父母会長から、学童保育の運営委員長。そして、PTA役員からPTA会長と8年間子供達と関わってきた。
元奥さんが看護師と言うことも有ったけど、授業参観はいつも俺が行ってたよ。
今は、お父さんの姿を学校や公園でよく見かけるけど、昔は見かけることなどが無かったな。
だから、初日の保育園の送り迎えは本当に恥ずかしかったけど
みんなが、当たり前のように
『おはようございます』
と、笑顔で言ってくれるから、なんだか嬉しくてね。
そのうち、お母さん達と仲良くなり、暇な時は子供達と一緒にお茶したり公園で遊ぶようになってたな。
周りからは主婦(夫)が二人居ると言われたほど、元奥さんが居なくても困ることは無かったし、
料理・裁縫・アイロン掛けから洗濯まで、子供達に教えたのは俺だから、子供達の味付けは俺の味付けになってるよ。
娘は料理以外は全部上手にこなすけど、料理は覚えて欲しかったな。
これも、長男・次男が料理をしてたから仕方ないんだけどね。
長男が小学校6年の頃、俺と元奥さんの帰りが遅いから、晩ご飯を作ってくれてた。
この時、鶏肉はキチント焼けて無くて、フライパンや鍋も焦げてて、キッチンも汚れてしまってたんだよね。
俺よりタッチの差で早く帰ってきた元奥さんが、物凄い勢いで長男を叱ってる姿を見て
初めて子供達の前で喧嘩をしたよ。
『焼けて無かったら、焼けばいいじゃん。焦げてたら一緒に焦げを落とせばいいし、汚れてたら一緒に綺麗にすればいいんだよ。
〇〇が、作ってくれた気持ちを大切にしないと駄目だよ。
焦がしたり、汚してしまったと一番困ってるのは〇〇本人なんだぞ』
と、元奥さんに言ったら
『私は疲れてるんだからね』
って言われたけど
俺も、子供達も疲れてると俺は思ったよ。
『自分だけが一生懸命やってるって思うよ。』
って、元奥さんと口論になったけど、
それ以来、長男は一切台所に立つことは無かったよ。
ただ、大学生になってからは、また台所に立ち始めたけど…
長男から、あの日のことが消えることはないと思ったよ。
ツインズと長男はね、自分達で話し合って、自分達で家事の分担をしてたよ。
お風呂掃除は、順番制にしてたらしいけど
『今日は〇〇の番なのに…』
と、文句を言いながらそれぞれがやってたな。
離婚のことも、三人で話し合ってたらしいよ。
子供達には子供達の考えや言い分がある。
それを全部、教えてくれたし言ってくれたから
離婚の決意が変わることは無かった。
勿論、全ては俺の身勝手さと我が儘に尽きるけど、
いろな意味で、子供達や元奥さんには本当に感謝してるよ。
ツインズが小学校高学年の時に、自ら父親失格の烙印を押した俺なのに…
『どんなお父さんでも、世界でたった一人のお父さん。』
『親父を越えるお父さんはいないよ』
と、言ってくれた時は本当に嬉しかったな。
子供達が大学・高校生になって、何ひとつ父親らしいことをしなかったのに、
それでも、何か困ると連絡をしてくれてた。
解決するたびに
『やっぱりお父さんだよ!離婚しても、何処に行っても構わないけど、連絡先が変わったら絶対に教えてね』
と言う子供達。
いつか…、みんなで宴会しようぜ。
あの頃、キャンプしてたように。

だけど、幾つになっても子供扱いをされるのが嫌な俺だったから

我が子達を子供と言うよりは、
一人の人として
一人の社会人として
一人の大人として
今は子供達と接している。
長男が生まれた時、2ヶ月でアトピーが出て、それはそれで大変だった。
3歳の時にアトピーが治ったと思ったら、小児喘息にかかってしまうし…
23年前に公園デビューをした俺だけど、全然恥ずかしくなかったな。
2年後にツインズが生まれた時も、長男をおんぶしてツインズをベビーカーに乗せて、よく散歩したり公園に行ってたよ。
おんぶするたびに…
おっぱいが欲しい。と何度思ったことか。
おっぱいが無いから、首がおぶい紐で締め付けられるんだよね。
あの当日、周りからは奥さんが居ないと思われてたくらい、子供達といつも一緒だった俺。
元奥さんは看護師で夜勤をしてたし、歓送迎会などの飲み会が結構有ったから、俺の方が子供達と居た時間は多かったよ。
リフォーム時代は工事部長だったけれど、とにかく子供達を優先させてた。
だから社長には
『君は出世はしないな』
とよく言われてたけど、
俺は出世などしたくない。
出世したかったかったら、警察官を辞めていないよ。
これでも、俺は警察官時代はエリートコースに身をおいてたのだから。
コースを外れても、自分らしくいたかった俺だから、子供達との時間は最高に楽しかったと今でも思える。
本当はね…
長男が生まれるまで、子供が大嫌いだった俺なんだよね。
長男が生まれてから180度変わったよ。
保育園の父母会長から、学童保育の運営委員長。そして、PTA役員からPTA会長と8年間子供達と関わってきた。
元奥さんが看護師と言うことも有ったけど、授業参観はいつも俺が行ってたよ。
今は、お父さんの姿を学校や公園でよく見かけるけど、昔は見かけることなどが無かったな。
だから、初日の保育園の送り迎えは本当に恥ずかしかったけど
みんなが、当たり前のように
『おはようございます』
と、笑顔で言ってくれるから、なんだか嬉しくてね。
そのうち、お母さん達と仲良くなり、暇な時は子供達と一緒にお茶したり公園で遊ぶようになってたな。
周りからは主婦(夫)が二人居ると言われたほど、元奥さんが居なくても困ることは無かったし、
料理・裁縫・アイロン掛けから洗濯まで、子供達に教えたのは俺だから、子供達の味付けは俺の味付けになってるよ。
娘は料理以外は全部上手にこなすけど、料理は覚えて欲しかったな。
これも、長男・次男が料理をしてたから仕方ないんだけどね。
長男が小学校6年の頃、俺と元奥さんの帰りが遅いから、晩ご飯を作ってくれてた。
この時、鶏肉はキチント焼けて無くて、フライパンや鍋も焦げてて、キッチンも汚れてしまってたんだよね。
俺よりタッチの差で早く帰ってきた元奥さんが、物凄い勢いで長男を叱ってる姿を見て
初めて子供達の前で喧嘩をしたよ。
『焼けて無かったら、焼けばいいじゃん。焦げてたら一緒に焦げを落とせばいいし、汚れてたら一緒に綺麗にすればいいんだよ。
〇〇が、作ってくれた気持ちを大切にしないと駄目だよ。
焦がしたり、汚してしまったと一番困ってるのは〇〇本人なんだぞ』
と、元奥さんに言ったら
『私は疲れてるんだからね』
って言われたけど
俺も、子供達も疲れてると俺は思ったよ。
『自分だけが一生懸命やってるって思うよ。』
って、元奥さんと口論になったけど、
それ以来、長男は一切台所に立つことは無かったよ。
ただ、大学生になってからは、また台所に立ち始めたけど…
長男から、あの日のことが消えることはないと思ったよ。
ツインズと長男はね、自分達で話し合って、自分達で家事の分担をしてたよ。
お風呂掃除は、順番制にしてたらしいけど
『今日は〇〇の番なのに…』
と、文句を言いながらそれぞれがやってたな。
離婚のことも、三人で話し合ってたらしいよ。
子供達には子供達の考えや言い分がある。
それを全部、教えてくれたし言ってくれたから
離婚の決意が変わることは無かった。
勿論、全ては俺の身勝手さと我が儘に尽きるけど、
いろな意味で、子供達や元奥さんには本当に感謝してるよ。
ツインズが小学校高学年の時に、自ら父親失格の烙印を押した俺なのに…
『どんなお父さんでも、世界でたった一人のお父さん。』
『親父を越えるお父さんはいないよ』
と、言ってくれた時は本当に嬉しかったな。
子供達が大学・高校生になって、何ひとつ父親らしいことをしなかったのに、
それでも、何か困ると連絡をしてくれてた。
解決するたびに
『やっぱりお父さんだよ!離婚しても、何処に行っても構わないけど、連絡先が変わったら絶対に教えてね』
と言う子供達。
いつか…、みんなで宴会しようぜ。
あの頃、キャンプしてたように。