卒配は、警察学校での実習先の警察署だったよ。
関東管区機動隊が所属してる警察署でも有ったけど、
寮生活は、いい先輩に恵まれてた。
部屋は3人から4人が普通だったけど
俺の部屋だけは、先輩の寮長との二人だけでね、
その寮長は管区機動隊の分隊長なんだけど
とってもいい人だったな。
『他の奴らは、後輩に布団の上げ下げや部屋の掃除をさせてるけど、この部屋だけはしなくていいぞ。
俺は、後輩に自分のことまで遣らせるのは好きじゃないから』
と言ってくれたり、無理に酒を強要しない寮長には本当に感謝だったよ。
でね…、
配属されて半年後のことなんだけど
なんか知らないうちに俺が副寮長になってたんだよね。
寮には、先輩がたくさん居るのに、何で俺が副寮長になったのかが分からなかったよ。
だってさ…
殆んど寮に居ない寮長と副寮長なんて有り得ないと思うよ。
交番での勤務は3人1組の三交代制だったけど、寮の先輩とは誰とも同じ班になったことは無かったよ。
班が違うと同じ寮にいてもあまり顔を合わせることが無くてね。
それでも、班が違うにせよ、一人だけ同じ寮の先輩と同じ交番に居れたことは
俺の警察官人生を救ってくれたよ。
駅前交番の初勤務の時…
自転車に乗って交番に向う途中、商店街を通るけど、
商店街を抜ける時、当たり前のように商店街の人達に
『おはようございます』
と言っても、
誰も挨拶を返してくれる人はいなかった。
挨拶を返すどころか、不思議な顔をされてたのには驚いたし、俺の方が不思議だったな。
田舎育ちの俺としては信じられない光景でね…
どうして挨拶をしてくれないんだろう…?
と、毎日のように思ってたから
同じ交番の班の先輩や部長に聞いたよ。
『ここは、県でも有名なほど住民環境が悪いところなんだよ。そうなったのも俺達の先輩にも責任があると俺は思うけど…
ここまで来たら、警察官だからこそ住民は心を開かないかもしれないな。
全てが悪循環だよ。』
と先輩が教えてくれた。
『あの…、俺は田舎育ちだから分からないけど、挨拶は都会とか田舎は関係無いから、商店街の人達が挨拶を返してくれるまで
こっちから挨拶しませんか?』
と提案したよ。
他の班の人達には
『無駄だよ』とか『お前一人でやってろ。俺達を巻き込むな』
みたいなことを言われたけど
同じ班の先輩と部長と、同じ寮に居たその人だけは
『新任が入ってきたことだし、新しい気持ちでやってみるか!』
と、気持ち良く言ってくれたんだよね。
あの時の2人の言葉は本当に嬉しかったけど、
班は違えど、同じ寮の先輩の言葉は、それ以上に嬉しかった記憶がある。
返って来ない挨拶に負けずに挨拶してた時
違う班の先輩が
『お前、北海道の何処だ!?』
と聞いてきたから
『稚内の方です』
と答えたら
『俺も道北だから、あの辺に詳しいから、何処の高校か言ってみろ!』
と言われた。
『豊富高校です』
と答えたら…
『あ~、あの有名な不良学校か!?馬鹿の集まりが良く警察官になれたな』
と嘲笑しながら言われた時は、結構、怒りが沸騰点に達してた。
確かに警察沙汰になるほどの有名な不良学校だけど
その辺の連中とは不良の質が違うと思ってたし、馬鹿な奴の集まりじゃ無かったからね。
それに、試験の成績だけに限っては
『ここ数年には無かった好成績の学年』
と、3年間試験のたびに言われてから。
同じ道北出身の先輩に
『不良でも、頭は良かったんですよ。それに誰も好きで不良になった訳じゃないんです。
脳が筋肉できてる、馬鹿な〇〇〇〇高校に比べたら
俺の高校の方がましですよ。
あの高校は読み書きや計算が出来なくても、お金さえ有れば誰でも入れる高校ですからね』
と言い返したよ。
その時、
『俺は、そこを出たんだよ!』
と言われた…。
あの時は、口は災いのもと…、と言う言葉を初めて痛感した瞬間だったな。
それ以来、その先輩から毎日のようにイジメにあったけど、高校1年の頃に比べたらたいしたことは無いと思うようにしてた。
幸いにして班が違うから、毎日顔を合わせ無くて済んでたから良かったけど、
交番で一緒になる時は、
同じ寮の先輩が
『パトロールに行くぞ』
とか
『昼からの挨拶をしに行こう』
って、言ってくれて
俺を交番からよく連れ出してくれてね、
パトロールや挨拶中に、仕事やいろんなことを親身になって教えてくれてたんだ。
その先輩が…
人事異動で機動隊に転勤した時は、兄貴のような存在だったから寂しかったよ。
まして、寂しさが哀しみに変わるなんて誰も思わなかった。
先輩が異動して間もなく
訃報を知らされた時は本当に信じられなくて、
『嘘…、嘘だよね!嘘だろ!?』
って何度も言ってた自分がいた。
聞けば、訓練中に殉職したとのこと…
『どんな訓練だったんだろう!?なにがあったんだろう!?』
警察学校と同じ敷地内に機動隊が有ったから、毎日のように怒鳴り声を耳にしてた。
だから、機動隊が半端じゃなく厳しい世界であることは知ってたけど…
訓練中に殉職するとは…
まだ21歳なのに…
数日後…
もんぺ姿のひとりのおばちゃんが交番に訪ねて来た。
地元の農家のおばちゃんが道を尋ねてくる訳など無いから、何かな?と思い
『こんにちは。どうなされましたか?』
と尋ねたら、その人は…
『〇〇の母です。生前は息子がお世話になりました』
と、深々と頭を下げながら言い出した。
本当に驚いたよ。てっきり地元のおばちゃんだと思ってたし、先輩のお母さんが交番に来るとは思ってもいなかったから。
話を聞くと、
農作業中に、いてもたっても居られななかった中、無意識にそのままの姿で新幹線に乗ったとのこと。
『息子から勤務してる交番を聞いてました。あの子が、どんな街で、どんな交番で、どんな人達と一緒になって仕事をしてたのか?
どうしても一度見たくなって…
気が付いたら新幹線に乗ってましたので、ここまで来てしまいました』
と言う先輩のお母さんの話しだった。
家族に連絡をせずに新潟からきた先輩のお母さん…
取り敢えず、交番から家族に連絡をし、部長が電話を変わった。
部長の話を聞いてる限り、一晩、こちらに泊めるとのことだった。
署内にも連絡され、先輩のお母さんの宿を確保してたが
どうしても寮に泊まりたいと言う先輩のお母さん。
寮長は出動していて3・4日帰って来ないから、副寮長の俺が喜んで引き受けたよ。
寮の管理人さんに連絡し、先輩が居た部屋を案内した時…
畳の上にずっと座り込んで涙を浮かべてた先輩のお母さん。
俺たちにはどうしていいか分からなくて戸惑うばかりだったな。
それでも、俺たちは先輩の話を沢山したよ。
そんなことしか出来なかったけど、それが精一杯だったことを今でも忘れてない。
次の日、
『お世話になり、本当にありがとうございました』と言って、先輩のお母さんは新潟に帰ったけど、
いろんな想いの中で帰ったから、自宅に着いた連絡が有った時は本当に安心したよ。
昼間は先輩と一緒にパトロールしたり、挨拶をしてることが多かったから
商店街の人達が
『ここんとこ見かけ無いけど、もう一人の人はどうしたの?』
と、挨拶した後に聞かれることが多くなると、
多くなればなるほど辛かったな。
でもね、それがキッカケにもなり会話になってきたのは事実だったよ。
『あんた方は、変わったお巡りさんだよね。
半年間、あんたが交番に来てから、周りに無視されても、毎日元気に挨拶するなんてさ。
商店街の人達が、「もしかしたら、駅前交番が変わるかもしれない。」って言ってたんだよ。
どんなふうに変わるかは、お巡りさん次第だけど挨拶は続けなよ』
って言ってくれる人が多くなり
いつの日か、商店街の人達が挨拶を先にしてくれるようになってた。
他の班の人達は、商店街の人達の変わり様を見て
『おまえ…、よく諦めずにがんばったな』
と言ってくれたけど、
俺が休みの日に、あなた方が自ら挨拶をしてくれてたことを俺は知っている。
本当にみんなに感謝だよ。
ここには書けないことを、いっぱいして来たから
『ハラハラドキドキさせんなよ』
って、同じ班の人や亡くなった先輩によく言われてたものです。
俺をイジメてた先輩は、俺が相手にして無かったかし、
署内の逮捕術大会で、こてんぱんにお返しして以来、
逆に俺を避けてたから
交番勤務は本当に楽しくて仕方なかったよ。
だけど…
楽しいことは続かないよね。
先輩が亡くなってから1年後…
俺に機動隊勤務の辞令が出た。
大好きだった先輩が、この世を去った場所に俺が行くことになるとは…
寮長から、話を聞けば聞くほど目の前が暗くなったものだ。
だけど…
寮長が
『おまえなら大丈夫だよ!
俺は関東管区機動隊だから、県本部機動隊の中身を詳しく知らんが
決していい話は聞かない。
お前達が…、お前達の代が県本部機動隊を変えろ!
その為には、お前が頑張らないとな!』
と、寮を立つ前日に
初めて寮長と部屋で酒を飲んだときに言われたよ。
とっても嬉しかったけど、それ以上に、未知なる世界が不安だったな。
交番時代…
沢山の事件事故に関わってきた。
多くの死に直面し、遺族の悲しみを直に感じた。
入院中の死や大往生などの死では無いから
綺麗な遺体には一度も出会ったことがなかった。
これ以上の無惨な死を見ることは無いと思ったし
高校1年の時の、あの嫌な想い以上のことは無いと思ってた。
だけど…
機動隊はその全てを覆したよ。
次回~機動隊編
関東管区機動隊が所属してる警察署でも有ったけど、
寮生活は、いい先輩に恵まれてた。
部屋は3人から4人が普通だったけど
俺の部屋だけは、先輩の寮長との二人だけでね、
その寮長は管区機動隊の分隊長なんだけど
とってもいい人だったな。
『他の奴らは、後輩に布団の上げ下げや部屋の掃除をさせてるけど、この部屋だけはしなくていいぞ。
俺は、後輩に自分のことまで遣らせるのは好きじゃないから』
と言ってくれたり、無理に酒を強要しない寮長には本当に感謝だったよ。
でね…、
配属されて半年後のことなんだけど
なんか知らないうちに俺が副寮長になってたんだよね。
寮には、先輩がたくさん居るのに、何で俺が副寮長になったのかが分からなかったよ。
だってさ…
殆んど寮に居ない寮長と副寮長なんて有り得ないと思うよ。
交番での勤務は3人1組の三交代制だったけど、寮の先輩とは誰とも同じ班になったことは無かったよ。
班が違うと同じ寮にいてもあまり顔を合わせることが無くてね。
それでも、班が違うにせよ、一人だけ同じ寮の先輩と同じ交番に居れたことは
俺の警察官人生を救ってくれたよ。
駅前交番の初勤務の時…
自転車に乗って交番に向う途中、商店街を通るけど、
商店街を抜ける時、当たり前のように商店街の人達に
『おはようございます』
と言っても、
誰も挨拶を返してくれる人はいなかった。
挨拶を返すどころか、不思議な顔をされてたのには驚いたし、俺の方が不思議だったな。
田舎育ちの俺としては信じられない光景でね…
どうして挨拶をしてくれないんだろう…?
と、毎日のように思ってたから
同じ交番の班の先輩や部長に聞いたよ。
『ここは、県でも有名なほど住民環境が悪いところなんだよ。そうなったのも俺達の先輩にも責任があると俺は思うけど…
ここまで来たら、警察官だからこそ住民は心を開かないかもしれないな。
全てが悪循環だよ。』
と先輩が教えてくれた。
『あの…、俺は田舎育ちだから分からないけど、挨拶は都会とか田舎は関係無いから、商店街の人達が挨拶を返してくれるまで
こっちから挨拶しませんか?』
と提案したよ。
他の班の人達には
『無駄だよ』とか『お前一人でやってろ。俺達を巻き込むな』
みたいなことを言われたけど
同じ班の先輩と部長と、同じ寮に居たその人だけは
『新任が入ってきたことだし、新しい気持ちでやってみるか!』
と、気持ち良く言ってくれたんだよね。
あの時の2人の言葉は本当に嬉しかったけど、
班は違えど、同じ寮の先輩の言葉は、それ以上に嬉しかった記憶がある。
返って来ない挨拶に負けずに挨拶してた時
違う班の先輩が
『お前、北海道の何処だ!?』
と聞いてきたから
『稚内の方です』
と答えたら
『俺も道北だから、あの辺に詳しいから、何処の高校か言ってみろ!』
と言われた。
『豊富高校です』
と答えたら…
『あ~、あの有名な不良学校か!?馬鹿の集まりが良く警察官になれたな』
と嘲笑しながら言われた時は、結構、怒りが沸騰点に達してた。
確かに警察沙汰になるほどの有名な不良学校だけど
その辺の連中とは不良の質が違うと思ってたし、馬鹿な奴の集まりじゃ無かったからね。
それに、試験の成績だけに限っては
『ここ数年には無かった好成績の学年』
と、3年間試験のたびに言われてから。
同じ道北出身の先輩に
『不良でも、頭は良かったんですよ。それに誰も好きで不良になった訳じゃないんです。
脳が筋肉できてる、馬鹿な〇〇〇〇高校に比べたら
俺の高校の方がましですよ。
あの高校は読み書きや計算が出来なくても、お金さえ有れば誰でも入れる高校ですからね』
と言い返したよ。
その時、
『俺は、そこを出たんだよ!』
と言われた…。
あの時は、口は災いのもと…、と言う言葉を初めて痛感した瞬間だったな。
それ以来、その先輩から毎日のようにイジメにあったけど、高校1年の頃に比べたらたいしたことは無いと思うようにしてた。
幸いにして班が違うから、毎日顔を合わせ無くて済んでたから良かったけど、
交番で一緒になる時は、
同じ寮の先輩が
『パトロールに行くぞ』
とか
『昼からの挨拶をしに行こう』
って、言ってくれて
俺を交番からよく連れ出してくれてね、
パトロールや挨拶中に、仕事やいろんなことを親身になって教えてくれてたんだ。
その先輩が…
人事異動で機動隊に転勤した時は、兄貴のような存在だったから寂しかったよ。
まして、寂しさが哀しみに変わるなんて誰も思わなかった。
先輩が異動して間もなく
訃報を知らされた時は本当に信じられなくて、
『嘘…、嘘だよね!嘘だろ!?』
って何度も言ってた自分がいた。
聞けば、訓練中に殉職したとのこと…
『どんな訓練だったんだろう!?なにがあったんだろう!?』
警察学校と同じ敷地内に機動隊が有ったから、毎日のように怒鳴り声を耳にしてた。
だから、機動隊が半端じゃなく厳しい世界であることは知ってたけど…
訓練中に殉職するとは…
まだ21歳なのに…
数日後…
もんぺ姿のひとりのおばちゃんが交番に訪ねて来た。
地元の農家のおばちゃんが道を尋ねてくる訳など無いから、何かな?と思い
『こんにちは。どうなされましたか?』
と尋ねたら、その人は…
『〇〇の母です。生前は息子がお世話になりました』
と、深々と頭を下げながら言い出した。
本当に驚いたよ。てっきり地元のおばちゃんだと思ってたし、先輩のお母さんが交番に来るとは思ってもいなかったから。
話を聞くと、
農作業中に、いてもたっても居られななかった中、無意識にそのままの姿で新幹線に乗ったとのこと。
『息子から勤務してる交番を聞いてました。あの子が、どんな街で、どんな交番で、どんな人達と一緒になって仕事をしてたのか?
どうしても一度見たくなって…
気が付いたら新幹線に乗ってましたので、ここまで来てしまいました』
と言う先輩のお母さんの話しだった。
家族に連絡をせずに新潟からきた先輩のお母さん…
取り敢えず、交番から家族に連絡をし、部長が電話を変わった。
部長の話を聞いてる限り、一晩、こちらに泊めるとのことだった。
署内にも連絡され、先輩のお母さんの宿を確保してたが
どうしても寮に泊まりたいと言う先輩のお母さん。
寮長は出動していて3・4日帰って来ないから、副寮長の俺が喜んで引き受けたよ。
寮の管理人さんに連絡し、先輩が居た部屋を案内した時…
畳の上にずっと座り込んで涙を浮かべてた先輩のお母さん。
俺たちにはどうしていいか分からなくて戸惑うばかりだったな。
それでも、俺たちは先輩の話を沢山したよ。
そんなことしか出来なかったけど、それが精一杯だったことを今でも忘れてない。
次の日、
『お世話になり、本当にありがとうございました』と言って、先輩のお母さんは新潟に帰ったけど、
いろんな想いの中で帰ったから、自宅に着いた連絡が有った時は本当に安心したよ。
昼間は先輩と一緒にパトロールしたり、挨拶をしてることが多かったから
商店街の人達が
『ここんとこ見かけ無いけど、もう一人の人はどうしたの?』
と、挨拶した後に聞かれることが多くなると、
多くなればなるほど辛かったな。
でもね、それがキッカケにもなり会話になってきたのは事実だったよ。
『あんた方は、変わったお巡りさんだよね。
半年間、あんたが交番に来てから、周りに無視されても、毎日元気に挨拶するなんてさ。
商店街の人達が、「もしかしたら、駅前交番が変わるかもしれない。」って言ってたんだよ。
どんなふうに変わるかは、お巡りさん次第だけど挨拶は続けなよ』
って言ってくれる人が多くなり
いつの日か、商店街の人達が挨拶を先にしてくれるようになってた。
他の班の人達は、商店街の人達の変わり様を見て
『おまえ…、よく諦めずにがんばったな』
と言ってくれたけど、
俺が休みの日に、あなた方が自ら挨拶をしてくれてたことを俺は知っている。
本当にみんなに感謝だよ。
ここには書けないことを、いっぱいして来たから
『ハラハラドキドキさせんなよ』
って、同じ班の人や亡くなった先輩によく言われてたものです。
俺をイジメてた先輩は、俺が相手にして無かったかし、
署内の逮捕術大会で、こてんぱんにお返しして以来、
逆に俺を避けてたから
交番勤務は本当に楽しくて仕方なかったよ。
だけど…
楽しいことは続かないよね。
先輩が亡くなってから1年後…
俺に機動隊勤務の辞令が出た。
大好きだった先輩が、この世を去った場所に俺が行くことになるとは…
寮長から、話を聞けば聞くほど目の前が暗くなったものだ。
だけど…
寮長が
『おまえなら大丈夫だよ!
俺は関東管区機動隊だから、県本部機動隊の中身を詳しく知らんが
決していい話は聞かない。
お前達が…、お前達の代が県本部機動隊を変えろ!
その為には、お前が頑張らないとな!』
と、寮を立つ前日に
初めて寮長と部屋で酒を飲んだときに言われたよ。
とっても嬉しかったけど、それ以上に、未知なる世界が不安だったな。
交番時代…
沢山の事件事故に関わってきた。
多くの死に直面し、遺族の悲しみを直に感じた。
入院中の死や大往生などの死では無いから
綺麗な遺体には一度も出会ったことがなかった。
これ以上の無惨な死を見ることは無いと思ったし
高校1年の時の、あの嫌な想い以上のことは無いと思ってた。
だけど…
機動隊はその全てを覆したよ。
次回~機動隊編