今の警察学校は何年で卒業か分からないけど
俺の時代は、高卒までが1年間。大卒は6ヶ月間だった。
卒業して、一線に出た後、
一年位すると、また2ヶ月間の現任教育が警察学校で有ったよ。
俺は初任科98期生で2組だったよ
1クラス43~45名程度で6クラス。
田舎育ちの俺にはマンモスだけど
都会派には、当たり前のクラスと当たり前の人数だったな
ただね…、どんなに田舎の小さな学校でも12年間男女共学だったから
野郎ばかりの世界は、本当にむさ苦しかったな
男子校出身の人達は、それが当たり前だから平気だったらしいけどね
入学して2ヶ月間外出禁止の時は…
塀の中と、さほど変わらない感じだったかもしれない。
1部屋6人の寮だけど、抜き打ちで部屋の中を検査されるけど、
部屋が汚れてたり、干してるタオルが綺麗に揃って無かったり、机の上が少しでも片付いてないと…
部屋のドアの入口に
黒い薔薇がさしてあるんだよ
これは『部屋の者全員、1ヶ月間外出泊禁止』の意味なんだよね
逆に、白い薔薇は『特別に平日の外出を許可する』の意味でね
(土日祭日以外は外出禁止だったから)
黒い薔薇は有っても、白い薔薇がさされてたことは無かったな
あの頃は、20教科以上を1年間で学ぶから、授業のスピードは半端じゃ無かったよ
完全たる文武両道だけど…
半端じゃなかったな
1時限90分の授業が短く感じたり辛かったりと
いろいろだったよ。
6時起床で、直ぐにグラウンドに集合し、点呼をとり体操。
その後、校内清掃してから朝食。
朝食後、速攻で制服に着替え教室へ。
授業が終わると、就寝時間22時までは自由だったけど…
殆ど勉強するか寝てた記憶があるよ
就寝時間移行に電気が点いてると処罰の対象でね
試験前になると、教官に許可をもらい自分の教室で試験勉強するんだけど…
0時までが許可時間。
それ以降は、強制的に寝なければならないいけど…
寝てては追い付かないんだな。
だから、自分の押し入れ半畳の中で、懐中電灯でみんな勉強してたよ
押し入れから灯りがこぼれないように、中から細工するんだけど…
夏場は本当に苦しい思いをしながら勉強してたし
冬場は冬場で寒かったよ
自由の無い閉ざされた世界は想像を絶してたけど…
みんなで、
『拳銃を撃つまでは辞めないで頑張ろうよ
』
って励まし
『ボーナス出るまでは頑張ろうよ
』
と言い聞かせ
『ここまで来たら卒業しようぜ
』
って、言いながら1年間を過ごしたよ
それでもね、入学時270名近くいた同期は、卒業時には200名を切っていたよ。
1教科の赤点が60点以下でね
赤点を取ると、誓約書を書かされて
誓約書が多ければ多いほど卒業が難しくなり…
卒業できないと退学なんだよね
お陰様で、赤点は一度も取ったことは無いけど

最後の卒業試験は、一切勉強しなくて
成績順位を下げたら
教官に呼ばれて
六法全書で、おもいっきり頭を叩かれた記憶が有るよ
中間・前期・卒業試験と、成績に関係する試験が卒業まで3回
全校で20番以内に、卒業試験後に居ると
警察本部長賞が貰えるんだよ

これは、ものすごい名誉なんだけど
俺は…
いらなかったんだよね
教官の期待を裏切ったんだよね
中間・前期の成績も含まれて、卒業試験の総合成績が出るけど
俺…、最後は勉強しないで寝てたから
総合25番で卒業したよ
それまでは、10番前後に居たから、教官も期待したっておかしくないよね
6クラスの中で、頭の2組と言われてたから
俺達のクラスは、大卒に負けず劣らずの成績だったんだよ
スポーツの1組は、
どんな大会でも8割は優勝して、後は2位だったし
頭の2組は、試験と言う試験は常にトップだったけど、スポーツの大会では常連の2位・3位だった
3組はね…、何をやらしても下だったから、周りからは、馬鹿の3組と言われてたけど
俺からしたら、一番人間味のあるクラスだったように思う
目立たない4組は、本当に目立たなくて存在が薄かったな
5組は、使えない5組と言われてたけど
俺は担任教官の責任が大きいと思ってたよ
ただ…、馬鹿なことばっかりやってたのは確かだけどね
6組は、総合的な6組と言われ、特に目立つことは無いけれど、常連の3位だったよ
常連の3位だけど、個人種目になると、トップに名をあげる人は多かったような気がしたな
みんな、それぞれ個性あるクラスだったよ
ただね…
『なんで
こんな奴が採用試験に受かったんだ
』
と言う人は、俺のいたクラスに限らず、他のクラスにも随分居たよ
後で知ったことだけど…
親や親戚のコネが随分と大きかったらしいけど
その時点で、警察官たる者の平等性は無いよね
そういう奴に限って、身内の自慢話しをしたり
出世してしまうけど
親の七光りには親の七光りなりの苦労が有るのかもしれないね
俺ね、入学時に同じクラスの埼玉出身の奴に
『田舎者なんだ。所詮、俺達都会派には勝てないだろうから頑張りなよ』
と言われたことがある
完全に馬鹿にされたと思ったけど…
同じ部屋だったから喧嘩する訳にもいかなかった
だから…
試験や大会で見返すことを決めてたよ
結果的に
、実力では無く親のコネで受かった奴だから
俺の相手にもならなかったよ
でも…、
身内がエリートで警察官になった奴がいたけど、
あいつの頑張りは凄かったよ
いつも競ってた奴だったけど
『俺…、親の七光りと言われるのが嫌だから、自分の力で頑張るんだ。
結構、七光りは七光りで辛いんだぜ』
って、そいつに言われた時、納得した俺がいたよ
クラスは違うけど
俺の一番理解し合えるライバルだったな
特に、拳銃大会と、中間・前期試験はね
そいつね…
一線に出た時に、夜間の検問時に
殉職しちゃったんだよね
『正義感丸出しにしやがって…、
いつか、一緒に頑張ろうな
って、卒業時に約束したのに…
成人式を迎えずに、人生の終わりを迎えるには早すぎるよ
』
あいつが居たから、警察学校で頑張れた俺が居たの確かだから
殉職を聞かされたときは言葉が出なかったよ。
警察学校の団体戦の大会になると、柔道でも、剣道でも、逮捕術・拳銃でも
いつも、あいつと俺は不思議なくらい組み合わせが、ぶつかってたよ
お互いに『またお前とか
』といいあってたぐらいだけど
後半になって組み合わせが違うと
淋しいものがあったよ
どちらかが選手として試合に出ない時は、怪我が原因だったけれど…
『早く治せよ
お前は常に選手じゃないとな
』
ってお互いに励ましあってもいたんだよ
あいつが生きてたら…
俺より間違いなくエリート街道まっしぐら
だったと思うけど
性格が性格だったから
どうかな
けど…俺のように組織に反発しても、警察官は辞めて無かったろいな

俺の時代は、高卒までが1年間。大卒は6ヶ月間だった。
卒業して、一線に出た後、
一年位すると、また2ヶ月間の現任教育が警察学校で有ったよ。
俺は初任科98期生で2組だったよ

1クラス43~45名程度で6クラス。
田舎育ちの俺にはマンモスだけど

都会派には、当たり前のクラスと当たり前の人数だったな

ただね…、どんなに田舎の小さな学校でも12年間男女共学だったから

野郎ばかりの世界は、本当にむさ苦しかったな

男子校出身の人達は、それが当たり前だから平気だったらしいけどね

入学して2ヶ月間外出禁止の時は…
塀の中と、さほど変わらない感じだったかもしれない。
1部屋6人の寮だけど、抜き打ちで部屋の中を検査されるけど、
部屋が汚れてたり、干してるタオルが綺麗に揃って無かったり、机の上が少しでも片付いてないと…
部屋のドアの入口に
黒い薔薇がさしてあるんだよ

これは『部屋の者全員、1ヶ月間外出泊禁止』の意味なんだよね

逆に、白い薔薇は『特別に平日の外出を許可する』の意味でね

黒い薔薇は有っても、白い薔薇がさされてたことは無かったな

あの頃は、20教科以上を1年間で学ぶから、授業のスピードは半端じゃ無かったよ

完全たる文武両道だけど…
半端じゃなかったな

1時限90分の授業が短く感じたり辛かったりと

6時起床で、直ぐにグラウンドに集合し、点呼をとり体操。
その後、校内清掃してから朝食。
朝食後、速攻で制服に着替え教室へ。
授業が終わると、就寝時間22時までは自由だったけど…
殆ど勉強するか寝てた記憶があるよ

就寝時間移行に電気が点いてると処罰の対象でね

試験前になると、教官に許可をもらい自分の教室で試験勉強するんだけど…
0時までが許可時間。
それ以降は、強制的に寝なければならないいけど…
寝てては追い付かないんだな。
だから、自分の押し入れ半畳の中で、懐中電灯でみんな勉強してたよ

押し入れから灯りがこぼれないように、中から細工するんだけど…
夏場は本当に苦しい思いをしながら勉強してたし

冬場は冬場で寒かったよ

自由の無い閉ざされた世界は想像を絶してたけど…
みんなで、
『拳銃を撃つまでは辞めないで頑張ろうよ

って励まし

『ボーナス出るまでは頑張ろうよ

と言い聞かせ

『ここまで来たら卒業しようぜ

って、言いながら1年間を過ごしたよ

それでもね、入学時270名近くいた同期は、卒業時には200名を切っていたよ。
1教科の赤点が60点以下でね

赤点を取ると、誓約書を書かされて
誓約書が多ければ多いほど卒業が難しくなり…
卒業できないと退学なんだよね

お陰様で、赤点は一度も取ったことは無いけど


最後の卒業試験は、一切勉強しなくて

成績順位を下げたら

教官に呼ばれて

六法全書で、おもいっきり頭を叩かれた記憶が有るよ

中間・前期・卒業試験と、成績に関係する試験が卒業まで3回

全校で20番以内に、卒業試験後に居ると

警察本部長賞が貰えるんだよ


これは、ものすごい名誉なんだけど

俺は…
いらなかったんだよね

教官の期待を裏切ったんだよね

中間・前期の成績も含まれて、卒業試験の総合成績が出るけど

俺…、最後は勉強しないで寝てたから

総合25番で卒業したよ

それまでは、10番前後に居たから、教官も期待したっておかしくないよね

6クラスの中で、頭の2組と言われてたから

俺達のクラスは、大卒に負けず劣らずの成績だったんだよ

スポーツの1組は、
どんな大会でも8割は優勝して、後は2位だったし

頭の2組は、試験と言う試験は常にトップだったけど、スポーツの大会では常連の2位・3位だった

3組はね…、何をやらしても下だったから、周りからは、馬鹿の3組と言われてたけど

俺からしたら、一番人間味のあるクラスだったように思う

目立たない4組は、本当に目立たなくて存在が薄かったな

5組は、使えない5組と言われてたけど

俺は担任教官の責任が大きいと思ってたよ

ただ…、馬鹿なことばっかりやってたのは確かだけどね

6組は、総合的な6組と言われ、特に目立つことは無いけれど、常連の3位だったよ

常連の3位だけど、個人種目になると、トップに名をあげる人は多かったような気がしたな

みんな、それぞれ個性あるクラスだったよ

ただね…
『なんで



と言う人は、俺のいたクラスに限らず、他のクラスにも随分居たよ

後で知ったことだけど…
親や親戚のコネが随分と大きかったらしいけど

その時点で、警察官たる者の平等性は無いよね

そういう奴に限って、身内の自慢話しをしたり


親の七光りには親の七光りなりの苦労が有るのかもしれないね

俺ね、入学時に同じクラスの埼玉出身の奴に
『田舎者なんだ。所詮、俺達都会派には勝てないだろうから頑張りなよ』
と言われたことがある

完全に馬鹿にされたと思ったけど…
同じ部屋だったから喧嘩する訳にもいかなかった

だから…
試験や大会で見返すことを決めてたよ

結果的に
、実力では無く親のコネで受かった奴だから
俺の相手にもならなかったよ

でも…、
身内がエリートで警察官になった奴がいたけど、
あいつの頑張りは凄かったよ

いつも競ってた奴だったけど

『俺…、親の七光りと言われるのが嫌だから、自分の力で頑張るんだ。
結構、七光りは七光りで辛いんだぜ』
って、そいつに言われた時、納得した俺がいたよ

クラスは違うけど

俺の一番理解し合えるライバルだったな

特に、拳銃大会と、中間・前期試験はね

そいつね…
一線に出た時に、夜間の検問時に
殉職しちゃったんだよね

『正義感丸出しにしやがって…、
いつか、一緒に頑張ろうな

成人式を迎えずに、人生の終わりを迎えるには早すぎるよ

あいつが居たから、警察学校で頑張れた俺が居たの確かだから
殉職を聞かされたときは言葉が出なかったよ。
警察学校の団体戦の大会になると、柔道でも、剣道でも、逮捕術・拳銃でも
いつも、あいつと俺は不思議なくらい組み合わせが、ぶつかってたよ

お互いに『またお前とか


後半になって組み合わせが違うと
淋しいものがあったよ

どちらかが選手として試合に出ない時は、怪我が原因だったけれど…
『早く治せよ


ってお互いに励ましあってもいたんだよ

あいつが生きてたら…
俺より間違いなくエリート街道まっしぐら


性格が性格だったから

どうかな

けど…俺のように組織に反発しても、警察官は辞めて無かったろいな
