俺と元奥さんの結婚記念日
24年前の今日…
大雨の中の結婚式だったよ
お互いの身内以外の参列者は
警察官と看護師さん
披露宴が合コンみたくなってたような気がするよ
二次回は、俺の行き付けのパブスナックで
60人近くが出席してくれて披露宴とは違う楽しみと喜びが有ったな
長男が生まれ、ツインズが生まれ…
子供達の成長とともに、夫婦仲も変わり
離婚する前の十数年間は家庭内離婚のようなものだったよ
長男をおんぶしながら、双子用の乳母車を押して、よく公園に行ってたけど
恥ずかしいと思ったことは一度も無かったな
保育園の送り迎えも、俺が殆んどしてたけど
これも恥ずかしいとは思わなかったよ
今は、公園や保育園でお父さんの姿をよく見かけるけど、
あの頃は、殆んどお父さんの姿を見たことは無かったな
娘が小学校高学年の時に
『お母さんと離婚して欲しい。私はお父さんと一緒に暮らすから…』
と書いた手紙がベッドの枕元に有った時は驚いたな
365日24時間仕事をしてるような状態になってから
ツインズとの家庭内文通が始まったよ
家に帰るか帰らないか分からないのに…
何時に帰るかも分からないのに…
娘が俺に相談がある時は、必ず俺のベッドに居て
息子達の相談がある場合は、必ず風呂の中だったよ
一応、最初に元奥さんに話をしたり相談をしてるんだけど
納得できない時だけ、俺に相談に来てたような気がする
娘が小学校6年の時、信じられないほどのイジメに有ってることを
娘からの相談で初めて知った俺
『お母さんは、なんと行ってた?』
と聞いたら
『そんなんで学校休んだら許さないからね!』
って言われたと、娘は言ってた。
だけど…
話を聞いてたら『そんなの…』じゃないし、ある意味犯罪だろ
と思った俺は
俺の過去の経験のいろんな話をした後に
『明日は、休め!』
と娘に言ったよ
そして、
『お母さんにはお父さんから言っておくから心配するな
お前達は、お父さんが守るから、安心して自分の決めたことをやってみなよ
とりあえず、明日は休んで考える時間にしようよ
』
と、最後に言った覚えがある
朝方まで、いろんな話を聞いて、いろんな話をしたよ
1時間ほど寝てから仕事に行くつもりだったけど
子供達が学校に行く時間に目が覚めてリビングに行ったら
娘がランドセルを背負って学校に行こうとしてたから
『なんで学校に行くの
無理すんな
』
って言ったら
『やっぱり、お父さんに話して良かった
アタシ、頑張るよ
頑張れるところまで頑張ってみるよ
駄目だったら、お父さんが居るから大丈夫

だから、お父さん
無理して仕事しないで、身体に気を付けてね
』
って娘に言われたよ
逆に心配された俺は
『そっか
安心して頑張って来い
駄目なら帰ってきて、お父さんに連絡しろよ
連絡きたら、なるべく早く帰るようにするから』
と言ったことを今でも忘れてない
あいつ…
本当に頑張って最後の1年を過ごしてたよ
卒業式の当日
クラスみんなの前で、先生に褒められていたことを覚えてるよ
『悪いことは悪いと注意して、どうしてイジメられないといけないの
』
と、涙声で相談してきた日から
家庭内文通は毎日のようにしてたような気がする
たまに、子供達の筆箱に
小さなメモ用紙に
『おはよう
今日も1日頑張ろうぜ
』
とか
『我慢し過ぎるなよ』
『明日は遊ぼうぜ
』
『見てる人はきちんと見てるよ
ファイト
』
などと、書き込んでこっそり入れてたりしてたものだよ
結婚記念日から、話が逸れたけど
元奥さんにも、子供達にも俺は今でも本当に感謝してます
感謝してるけど…
離婚して良かったと
本当に思ってます
11月4日…
離婚記念日でふ
長男もツインズの娘も次男も
俺の宝で
自慢の子供達です

ある意味…
元奥さんも自慢の妻なんだけど
できれば、もう会いたくないかな
それでもね
俺には、世界で一番の素晴らしい妻だったと思う
じゃあ…なんで離婚
と聞こえてきそうだけど
全ては俺の責任と我が儘です

24年前の今日…
大雨の中の結婚式だったよ

お互いの身内以外の参列者は
警察官と看護師さん

披露宴が合コンみたくなってたような気がするよ

二次回は、俺の行き付けのパブスナックで

60人近くが出席してくれて披露宴とは違う楽しみと喜びが有ったな

長男が生まれ、ツインズが生まれ…
子供達の成長とともに、夫婦仲も変わり

離婚する前の十数年間は家庭内離婚のようなものだったよ

長男をおんぶしながら、双子用の乳母車を押して、よく公園に行ってたけど
恥ずかしいと思ったことは一度も無かったな

保育園の送り迎えも、俺が殆んどしてたけど
これも恥ずかしいとは思わなかったよ

今は、公園や保育園でお父さんの姿をよく見かけるけど、
あの頃は、殆んどお父さんの姿を見たことは無かったな

娘が小学校高学年の時に
『お母さんと離婚して欲しい。私はお父さんと一緒に暮らすから…』
と書いた手紙がベッドの枕元に有った時は驚いたな

365日24時間仕事をしてるような状態になってから
ツインズとの家庭内文通が始まったよ

家に帰るか帰らないか分からないのに…
何時に帰るかも分からないのに…
娘が俺に相談がある時は、必ず俺のベッドに居て

息子達の相談がある場合は、必ず風呂の中だったよ

一応、最初に元奥さんに話をしたり相談をしてるんだけど

納得できない時だけ、俺に相談に来てたような気がする

娘が小学校6年の時、信じられないほどのイジメに有ってることを
娘からの相談で初めて知った俺

『お母さんは、なんと行ってた?』
と聞いたら
『そんなんで学校休んだら許さないからね!』
って言われたと、娘は言ってた。
だけど…
話を聞いてたら『そんなの…』じゃないし、ある意味犯罪だろ


俺の過去の経験のいろんな話をした後に
『明日は、休め!』
と娘に言ったよ

そして、
『お母さんにはお父さんから言っておくから心配するな

お前達は、お父さんが守るから、安心して自分の決めたことをやってみなよ

とりあえず、明日は休んで考える時間にしようよ

と、最後に言った覚えがある

朝方まで、いろんな話を聞いて、いろんな話をしたよ

1時間ほど寝てから仕事に行くつもりだったけど

子供達が学校に行く時間に目が覚めてリビングに行ったら
娘がランドセルを背負って学校に行こうとしてたから
『なんで学校に行くの



って言ったら
『やっぱり、お父さんに話して良かった



駄目だったら、お父さんが居るから大丈夫


だから、お父さん


って娘に言われたよ

逆に心配された俺は

『そっか



連絡きたら、なるべく早く帰るようにするから』
と言ったことを今でも忘れてない

あいつ…
本当に頑張って最後の1年を過ごしてたよ

卒業式の当日

クラスみんなの前で、先生に褒められていたことを覚えてるよ

『悪いことは悪いと注意して、どうしてイジメられないといけないの

と、涙声で相談してきた日から
家庭内文通は毎日のようにしてたような気がする

たまに、子供達の筆箱に
小さなメモ用紙に
『おはよう


とか
『我慢し過ぎるなよ』
『明日は遊ぼうぜ

『見てる人はきちんと見てるよ


などと、書き込んでこっそり入れてたりしてたものだよ

結婚記念日から、話が逸れたけど

元奥さんにも、子供達にも俺は今でも本当に感謝してます

感謝してるけど…
離婚して良かったと

本当に思ってます

11月4日…
離婚記念日でふ

長男もツインズの娘も次男も

俺の宝で



ある意味…
元奥さんも自慢の妻なんだけど

できれば、もう会いたくないかな

それでもね

俺には、世界で一番の素晴らしい妻だったと思う

じゃあ…なんで離婚


全ては俺の責任と我が儘です
