夢みた高校生活…

そんな甘い夢など、一気に入学式で壊れた。


1学年2クラスしか無い田舎の高校なのに…


この時ほど、

たった1校しか受験できなかった自分の学力に後悔したことは無かったよ。



何事も無く式が終わり、オリエンテーリング中…


教室の前後のドアが『ガラッ』と開けられ3年生の上級生が

担任の先生は強引に廊下に追い出され

教壇の前に先輩達が横1列にはだかる。

先生と言う立場や威厳などここには無かった。

学校の規則と言うものなど、フィクションの世界のようなものだった。


片手にチェーンを持ったり、木刀を手にしてる先輩が居るかとおもえば

二グロにパンチパーマや口髭をはやしてる先輩。

制服は、漫画に出てくる世界そのもので

長ランのボタンの数は数知れず。


本当に…

悪夢であって欲しかったよ。

常識では、あり得ない光景ばかりだったよ。


先輩方に

『俺たちが規則だ』

とか

『せいぜい高校生活を楽しめ』

とか言われても…


楽しめる訳がない。


入学式を終えてからの1週間…

昼休みに校歌・応援歌・壮行歌を覚えるために歌唱指導があった。

先生方は誰一人おらず、体育館の鍵を内側からかけられ

そこには音楽などは一切無い。

この時だけ、男子は第一ボタンを外して良かったが

歌詞を覚えて無かったり

歌詞を間違ったり

声が小さいと…

竹刀や木刀のみならず、チェーンやムチなど

体育館の床を叩く音が至るところで響いてたものだった。

実際に、

殴られたり蹴られたり

竹刀や木刀で叩かれたりと

地獄絵図のようなものだから

女子生徒の悲鳴は絶えなかったよ。


この期間で、十数名の仲間が学校を辞めていった。


先生方に、話をしても聞く耳は持っていても、誰も相手にしてはくれなかった時代。

『これが…、高校なのか!?』

転校したくても転校できない頭の俺は

ここで我慢するしかなかった。

きっと…

最後まで残ったみんなもそうだったのかもしれない。

入学してからの1年間は

強制カンパが続いたり、弁当などは殆ど先輩に食べられていたよ。

昼休みは、陣取り合戦を強制的にやらされ

学生服のボタンが全部取れたり、袖が取れかかるなど半端じゃ無かったな。

だから、どんな科目でも、5時限目の女子は裁縫の時間だったよ。

冬は冬で、男子生徒が全員、校内放送で先輩の教室に呼び出され

二階から『ジャンプ大会』をやらされてたよ。


本当に話をしたらキリが無いほどの不法地帯の学校だったな…。


高校が人生の全てでは無いけれど

社会人になった俺は、

この高校に入学して卒業できたことを、今では誇りに思っている。

なぜかは、後々の自伝で書くけれど

あの高校生活を、俺がクリアして無かったら


きっと…


都会と言う社会に潰されてたような気がする。


高校生活で

先生や大人を嫌いになった俺だけど…

不思議と勉強だけはできるようになってた。


当時の通信簿の評価は10段階評価で

試験の成績が全てのようなもの。

100点を採れば10

80点代8、50点代は5

と言ったようなものだから…

授業態度が悪かろうと、エスケープしようと

試験結果が評価の対象。


今思うと…

昔、進学校として

道北では名の有った故の面影が

現実として悲しく残っていたのかもしれない。


高校3年の時に、新任の校長が

『昔は道北では進学校で有名だったのに、今では評判の悪い高校で有名になってしまい残念…』

と挨拶の中で言ったことを忘れて無いが、

『悪いのは俺達だけか…!?

先生方は、誰も助けてくれなかったから、

俺達は自分を守る為の結果が今に至っただけのこと。

あの頃の先輩達と、俺達は違うんだ。』

と、反抗してた俺がいたよ。

俺が高校1年間で、何度血を見てきたことか…


ごくせんとか、スクールウオーズとか、飛び出せ青春のような先生が

あの頃の学校には一人も居なかったけど…

居るわけなどないよね。


けど…

金八先生のような人は



居たのに…。




血の雨が降ると言われた卒業式には出席せず

無事に高校2年生になった時…

俺達は地獄絵図から解放されたと思ってた。


けど…、それも束の間。


当日、身を潜めてた2年生が最高学年の3年生になった瞬間、


自分達の存在と威厳を誇示したいのか…

1年生の時に強制的に3年生から目立たされてた俺達が気に入らないのか…

分からないし分かりたくも無いけど、


2年生になった俺達は、3年生に校内放送で一人一人河原に呼びだされた。


3年生による集団リンチだったが、先生を信用して無い俺たちは

自分達の力で、自分達の居場所を守るしか無かった。

まる1年間…

我慢してた俺達は、ただジット我慢してた訳じゃない。

夢みた楽しい高校生活を

ただ取り戻したいだけなのに…

だから…

俺達を一人一人呼び出す先輩が許せなかった。

許せなかったから、逆のことをやり返し

高校2年の夏の始まりに

しまいには、学校を仕切ってしまうようになってしまった。

だからと行って、1年生や3年生をターゲットにすることは無かった。

中には、俺達が1年生の頃にされたことを

こことばかりに、遣ってる奴もいたが、相手にはしない。

もし、そいつらが俺達に仲間意識を抱いてきても

『俺達の目の前で、俺達がやらされて嫌だったことを1年生にやったら許さない』

と言ってたから、あの頃の後輩は俺達よりしあわせだったと思う。

俺達のターゲットは、あくまでも先生方だったから。


気に入らない先生が居るとエスケープしたり、二階の窓から突き落としたりしたものだ。

勿論、突き落とすのは冬限定だけど…

気を緩めてたら、自分がいつ落とされるかわかりゃしない集団だったよ。


基本的に一匹狼的な俺達だったから

俺達が団結したら…

想像するだけでも恐ろしいと、ある先生が言ってたよ。


そんな俺達でも、進学コース組は頭が良かったよ。

そろばんを弾くだけが嫌いと言う理由で、進学コースに行ったけど

俺は、それで良かったと思う。

高校3年生の時は天下だったけど…

学校の方針がガラリと変わったよ。

なんせ、地域の保護者までを敵にまわしてた俺達だったから仕方の無いことかもしれない。

まだまだ書いたら切りが無いけど

俺達は自分の居場所を誰にも邪魔されたく無かったから

守ることに必死だったことを今でも忘れはしない。


野球部のキャプテンなのに

冬だけはスキー部に居たり

大会で勝つことより、文化祭に力を入れたりと、

高校生活は楽しかったよ。

高校3年の時…

彼女が1年間、弁当を作ってくれたのは本当に嬉しかったし感謝だったな。

ここだけの話しだけど、弁当の件で一番喜んでたのは、俺のおふくろなんだけどね。

『母さん。作らなくていいから本当に助かるわぁ』

って、よく言ってからね。

自慢になるけど…

義務教育時代では信じられないくらいの成績は残したよ。

学年では5番以内にいたし、クラスでも2・3番には居たから私立の大学推薦はいくらでも有ったけど

我が家は、国公立以外はダメだから大学は諦めてた。

訳有って警察官の採用試験を受けたら合格したけど、

その時に、クラスのみんなから

『埼玉に行くなよ!』

って言われた時は嬉しかったな。

だけど

『埼玉の治安が悪くなる。治安を悪くするのはここだけにしておけ。』

と、その後に言われた時


絶対にこいつらを取り締まってやる…と、笑って言ってた俺がいたよ。


本当に、書き尽くせない出来事がまだまだ歩けど、

俺にとっては、とっても中身の濃い

高校生活だったよ。



注)誤字脱字等はお許しを。


次回 第3章~旅立ち