頂き女子りりちゃんや、今日Yahoo!ニュースで見た、ルフィの闇バイトに参加してしまった男性。
彼らの背景には「機能性不全家族」や「貧困」がありました。
彼らだけではなく、問題を起こす原因の一つに貧困や愛情不足(親子関係、機能性不全家族)があります。
また親子関係や機能性不全家族の中に、さらに障害や発達障害やうつ、また病気などで精神的に苦しんんでいる状態なども隠れています。
決して、貧困や機能性不全家族だから問題を起こしてもいいというわけではありません。
コレは絶対。
しかし、貧困や家族の中の争いから始まり、特にないかしらの障害や発達障害などがあると、日々の生活の中で精神的に追い詰められてしまったり、それらの病気の影響の気質で怒りが出やすかったりして事件に発展する、ということは大いにあります。
これまで戦争や内乱、そしてテロや暴動、犯罪など起こるのは、貧しい国や貧困から苛立ちに変わった人々が起こしたもの。
もちろん、大きな機関が働き意図的に戦争を起こしたりもしていますが、今回はそれは置いといて・・・
昔々の日本だって百姓一揆が起こったのは、お米の年貢の取り立てが厳しく、自分たちはずっとお米を育てたのに全て年貢として取られてしまい自分たちは貧しいまま・・・そんな状況が納得できない!許せない!ということで、暴動が起きたわけで。
そして、新宿歌舞伎町や夜の商売(特に性的サービスをするお店)で働いている多くの人は、これらのバックボーンを持っていると思うのです。
特に発達障害や軽度の障害、そしてそれに付随して起こるうつなどを持っている人は多いのではないかと、私は推測しています。
トー横も、何も問題のない子はそこには行かない。
何かしら、自身の中に闇を抱えているから、家出をしてそこに行けば救われるのではないか?という思いを抱いていたのではないか?と思うです。
もちろん違う人もいます。
特に夜の商売では、自分の夢のために期限を儲けてお金を稼ぐ人もいます。
また、その商業が天職!という人もいます。
そして、そのような雰囲気が好き、憧れて、という人もいます。
さらに、初めは嫌だったけどそこそこ慣れて「これでいい」と抜け出さない人もいます。
全て
本来の自分が持っている気質✖️家庭や生い立ちなどのバックボーン✖️自分の中にどのような気持ちがあるか
で人生は変わります。
犯罪は悪いことだし、知らなくてもそうしてしまったのなら、罪を償うことは必要です。
けど、その人自体を悪く言うのは違うのではないでしょうか。
それが犯罪の主犯格だったとしても、事件を起こすまでの「経緯」が必ずある。
よくネットのコメント欄に「同じ目にあってしまえ」「〇刑にしろ!」など関係ない人が言ってますが、このような発言をする気持ちの種はネガティブな気持ちから出てきているものなので、このように言っている人たち自身も生きづらさを抱えているのかな?と思うのです。
特に生きづらいけど、そんなこと言っててもしょうがないから頑張るしかない!と真面目に頑張って、それでもあまり報われていないような状況の人なのかもしれません。
繰り返しますが、悪いことをしていいとは言ってないし、罪は罪です。
何が言いたいのかというと、
「罪を憎んで人を憎まず」
です。
「なぜそうなったのか?」
ここがとっても大切な部分。
数学だって、計算式が大切っていうじゃないですか。
- それは、ミスをした時に、どこで間違えたかがわかるから
- また書くことで思考がスッキリするから
間違いを犯してしまった人は、そもそも精神的に追い詰められ、また障害などの影響で思考の視野が狭くなっている可能性があります。
なので、周りが見えなくて藁にもすがる思いでそこ(犯罪絡みのバイトなど)に飛びついた人もいます。
また、りりちゃんのように、自分の才能を間違った方向に使ってしまった人もいるでしょう。
なぜなら、それだけ人を惹きつける文才があり、それを販売するスキルがあったわけです。
また、ネットなどで名前や顔を隠して批判している側の人間も犯罪者になる、と私は見ています。
特に芸能人や知名度がある人などに対してネットで批判して、その人が命を落とすことがある。
先ほども書きましたが、「同じ目にあってしまえ」「〇刑にしろ!」などの書き込みをしている人。
例えばこの人たちの批判コメントで「命を経とう」と思ってしまった場合、「命を落とす方向にエネルギーを加担した」ということにな李、自殺教唆(きょうさ)罪に問われることがあります。
教唆とは扇動したり、そそのかすこと。
こういう時にコメントした人は必ず「そんなつもりじゃなかった」と言います。
そりゃそうです、その瞬間の感情を文字に乗せてコメント欄にぶつけただけですから。
しかしこういうものはエネルギーが乗っています。
感情は目に見えませんから、全てのものにその思いが乗ります。
特に心が弱っている時などは、その文字を見て「責められている」と受け取り、本当に命を絶ってしまうということになりかねません。
特殊詐欺や闇バイト
これらも、貧困や精神的に追い詰められてそこに応募してしまった、という人もいると思う。
逆に簡単にお金が稼げる!と思っている人たちよりも、追い詰められてしまった人たちの方が思考や視野の幅が狭くなり、悪いことと認識しづらくなります。
また、認識していても「他に方法はないんだ!」と思い込んでしまう。
このような精神的貧困な人が皆救われ、心豊かになれば、それだけで世界は平和になるのではないか。
ただ、このような人生を決めてきたのも、ご本人・・・
なので私たち周りの人間は、その方やその方の行った行動を見て、どのように「受け取るのか」という学びをしているのだと思う。
裁判で罪になるかならないかは、人生のバックボーンはあまり関係ないです。
もちろん「情状酌量の余地がある」と裁判で言われることもあるけど、いつもいつもそうじゃない。
感情論で物事を判断するのは危険だから。
悪いことをしたら罪になる。
それはそれ、これはこれ。
ときっぱりと分けられる。
だから貧困だから詐欺をしていいことにはならないし、育った環境が可哀想だった、または知的障害があって何かしてしまっても、罪は罪。
でも、そうなった背景を考えて、心のケアやフォローしてくれる人がいると、その人は生まれ変われるのではないか?と強く思う。
愛と信頼
裁判なとで罪を裁かれるけど、その他のところで心のケアは必須だと思うのです。
反省などにもつながることだけど、そこがきちんとできるかどうかで更生ができるかどうか、とも言えると思うのです。
そしてそこには愛が必要なわけで。
愛=信頼でもあります。
それがあるからこそ「自分は愛さてる、信頼されている」という責任感や自立感、そして自分の心が満たされて、真っ当に自分を生きようとする意欲も出てきます。
で、これは一般社会の中にいる人も、愛や信頼で満たされている人は少ない。
少ないから、人に対して批判や怒りも出てくるわけです。
出所後にまた事件を起こすのか、構成するのかは、反省したかどうか?だけと思われがちだけど、それだけじゃないと思う。
例えば刑務所に入っている数年の間に人の心に触れることで、人間の心が取り戻せるから。
また、出所後にも同じように人の優しい心に触れて、心の頑なさが取れて真っ当になろうと思える。
これ、本当に大切です。
怒りが出るのは
何も思わなければ怒りは出ないはずなのです。
周りの人は、当事者や関係者ではない「部外者」です。
部外者がなぜそんなに怒るのだろうか?
自分に何か影響が降りかかってきて、悪いことが起こったのなら怒るのもわかります。
でも何もないなら、なぜ怒る・・・?
このようなことは、自分に似たようなことがあって無意識にそれを思い出して怒るとか、自分は我慢してるのに、それを軽々としてしまうことに対して怒りが出るということがあります。
例えば、芸能人の不倫。
他人のことになぜそこまで言うのか?
本当は自分もそうしたいのに我慢してるから。
自分はそのようなことができないから羨ましい。
また自分はされた側で悲しい気持ちになった経験があるから可哀想。
など、自分とそれとをリンクさせて感情は引き出されてきます。
なので、全く関係ないと思えば、何も思わないわけですよね。
勝手にやればいい、と思うわけです。
あとは、時間があって暇だったり心が平和だから、ついついお祭り騒ぎや火事場の騒ぎに興味を持ってしまうような感覚で頭を突っ込んでしまうかもしれません。
また、双極性障害のように怒りが出やすい人もいます。
そのような場合は、しっかりと薬などを飲み、心のケアを日頃からすることが大切です。
全体意識
なんとなく「そういうのはダメだよね」という、世の中の通説。
その国のアイデンティティとか、世間一般とか。
人は何かのコミュニティに属さないと生きていくのは難しいです。
だからこそ、この全体意識から外れてしまうことに対して、とても怖がってしまいます。
しかし、これからの時代は、個性を尊重し合う時代です。
それこそ事件的なことにならなでければ、人と違ってもいいと思う。
そういう風潮にならない限り、不自由なままの世界線で生きることになるから。
特に日本は、右にならえ的な感覚が強いので、自分の意見はあっても言わずに周りに合わせたりします。
だからこそ、それに反した人を見ると攻撃をしたくなります。
でもその攻撃の中には「本当にいけないこと!」というのと「自分は我慢してるのにそんなことができて羨ましい!」というのがあります。
話はそれましたが、確かにこれらは綺麗事で「じゃ、こんなの許せるの?!」という内容も確かにあります。
被害を受けた側・・・本人はもちろん、その家族や関係者などは特に、悲しみと怒りでいっぱいになると思います。
そして特に亡くなってしまった場合など、「犯人をどうにかしないと浮かばれない!」と残された人が躍起になっていることもあります。
事件の真相を明らかにしたりするのはいいと思うのです。
でも「犯人を懲らしめてやりたい!」という気持ちから動くのは、故人の思いではなく、残された人の個人的な思いです。
その感情が余計に自分を苦しめてしまいますし、物事が良い方向に回っていかない可能性も出てきます。
「真相を明らかにするのはなぜか?」
大切なのはそこだけなんです。
これは今後のためにも、恨みや怒りの感情は抜きにして、途中経過で間違ったところを見つけることが大切になるのです。
受け取り方って本当に大切。
その受け取り方で、嫌なイメージを受けたら、それに対して攻撃とかもするからね・・・
だから、問題を起こしてしまった人に対しての受け取り方。
愛の目と心で受け取ることで、その人自身の人生の学びにもなり、それが個性を尊重した平和な世の中になります。
みんな息苦しい、生きづらいんだよね。
もっと、自由にしたいんだよね。
でも「自由」こそ、自分を律していかなければ、世の中はぐちゃぐちゃになる。
自由を得たいなら、節度を守ることが大切。
だからこそ、思いやりや愛情なのです。