東日本大震災から15年経ちました。
あの日、突然の大きな揺れに、当時の「らしく」の店から外を見ると、電線が波打ち、正面に見えるスーパー屋上の大きな看板が倒れんばかりに左右に揺れていました。
たまたま息子は在宅で、自宅は掛け時計が傾いたり本棚の本が少し落ちたくらいで、被害はありませんでした。
近所に住む娘夫婦は当時子供はなく、2人とも江東区が勤務地でした。電車は全部止まって帰宅手段がなくなったため、息子の車で迎えに行くことになりました。
世田谷区から江東区は都心を抜ける必要があります。ところが幹線道路の246号に出たら大渋滞、歩道には歩いて帰る歩行者が溢れていました。経路変更し取り敢えず駒沢通りに出て、それでもかなり渋滞で、その後はどんな道を通ったのかひたすら目的地を目指しノロノロ進みました。
何時着くのかも分からず、ケータイはなかなか繋がらず、メールも直ぐには届かず、夕方出発したのに無事に2人を乗せて帰宅出来たのは真夜中でした。
東北の太平洋沿岸が大津波に襲われた事実が分かると、岩手県大船渡の娘の夫の実家が心配になったのですが、電話は繋がらず、どうすることもできませんでした。
3日目位に陸前高田の親戚の息子が避難所の電話で(長電話は不可)、家も独り暮らしの父親も親類も無事である事を知らせてくれて、一先ずホッとしました。
詳しい情報がないまま10日後に、娘夫婦は、高速道路はすべて閉鎖なので一般道で大船渡に向かいました。予備タンクにガソリンを用意したけれど足りず、途中の給油は制限がある上どこも行列で、大変だったそうです。インフラ全てが回復していない状態だったので、取り敢えず父親を東京に連れてきて、しばらく滞在してもらうことになりました。
一方、連日前面道路まで伸びるスーパーに水や食品を求める行列が見えても、「らしく」の客足はバッタリで、いつ平常に戻るか予想も出来ない中、私は閉店を決意しました。約2年間の営業でした。
「いつの日か」の為前年秋にミニログハウスのキットを購入してあったので、結果的には自宅のスペースに建てて店舗にする計画が早まっただけの話になりますが、まさかの想定外でした。震災が起きなかったらどうなっていたのか・・・分かりません。


2万2,230人もの死亡·行方不明者が出て、2,519人がまだ見つかっていません。復興にも莫大な時間と費用が掛かります。自然災害でさえ被災者の人生が狂ってしまうのに、世界には戦争を仕掛けたり止めない人間がいる
殺人を何とも思わない、街を破壊しても何とも思わない人間がいる
何が残るというの?人類は何と愚かな生き物なのか