こんばんは。


なんか凄い動画を見てしまった。。。

三島由紀夫さん。



ので、思いついた事を書いてみようかと思う。


この動画のタイトルは、私に刺さってないし、その話がしたいのではなくて、


この動画の最初の部分は、終戦までの三島の生き方、世界観と、終戦が三島由紀夫に与えた影響、そしてその後の世界の中で、三島由紀夫がどうにも腑に落ちない事を語っておられるように見えた。


戦争を体験した人たちの話の中に、よく出てくる言葉、終戦の詔を聞いた後から、


価値観が180度変わり、全てがひっくり返った事による戸惑い。そして、ハッキリと語られない事も多いが、怒り。


ジブリの宮崎駿監督は、昔日本の風景を描く事ができなかったらしい。戦争に負け、今まで良かった事がダメになり、ダメだった事が良くなった事への戸惑いと、怒り。日本はダメだという思い、日本が嫌いだという思いがあり、日本を描けなかったと。。だから、ハイジを描いていた。トトロあたりでやっと、日本は美しいと思えるようになったらしい。


「バカの壁」の養老孟司さんも同じような事を言っていた。終戦を境に、今まで学校で習った事は嘘で、こっちが真実だと、逆な事を教えられたこと。それに対する戸惑い。

そして彼は、時流や政治で変える事が出来ない、確かなものを得たいと思うようになり、その、「確かな物」に心酔することになった。それが、解剖学。死体は変わらないと。



私たち人間は、時間の連続性の中に生きていて、今のこの状態から予測できる範囲で物事は変化したり、進んだりして、概ね安全に生きていくことを期待して生きている。


その概ね安全な世界観をいきなり崩されると生じるのが、PTSDなのだが、三島由紀夫も宮崎駿も養老孟司も、実際の戦闘をしたわけではないが、自分が今まで生きてきた価値観と世界を、いきなり取り上げられ、世界と自分のと関係が切り離される体験をしたわけで、、、それは、もう相当なトラウマ体験だったのだろうと推察する。


養老孟司さんは、揺るがないもの「解剖学」を見つけ、そこに再度、根を張る事ができた。


宮崎駿は、彼のトラウマや怒りや恨みと向き合いながら、作品を作る事で、少しずつご自身を癒やしておられるのが見て取れる。


そして、

このお二人の政治的発言は、しばしば反体制的である。

そこにやはり、隠された恨みがあるように見える。。。かつて政府に裏切られたと。。


養老孟司と宮崎駿の話を覚えている私が、三島由紀夫のこのYouTube動画を見た時、


あぁ、三島由紀夫はすごく感度が高いからこそ、見聞きした話をすべて鵜呑みに出来ないが、かと言って、戦後の世界と戦前の世界をどう繋いで行けば良いのか分からなくて、深く探求しているんだな、、と感じた。


だからこそ、彼の中では、養老孟司と宮崎駿とは違って、怒りと恨みの領域まで、感情が醸成されていないのだなと。。。


それで、


三島の周りの法学関係者は、終戦したからようやっと知的再建できると言っていたが、、戦後20年経って、工業化は進み経済の活気はあるものの、知的再建なるものはされていないのではないか、


と話しておられる。



そうなのよ。

20年どころか、未だに。。。


問題を横に置いて

見ないようにしてがむしゃらに働いて

日本を再建してくれた先人に感謝しており、

バカにしたいのではない


でも、、今は亡き安倍首相が言ったように、戦後レジームの脱却をしないといけない。

日本人の心にまだ、わだかまっている戦争を終わらせないと。。。


実際、何がどうなって戦争になり、どうすれば良かったか、、議論がされたこともない。

そして、本当の戦争犯罪者は裁かれなかった様に、今も昔の様に、売国奴が跋扈する日本のままであることを、苛立たしく思った。



三島由紀夫のように、結論にすぐに飛び付かず、疑問を疑問として心に留め、反芻して、思考して、、、真実を見極めようとするのは、学者の姿勢と思うが、、、かなり疲れるとは思う。


彼が生きていたら、今のこの政治や日本をどう表現されるだろうか、、、と思いを馳せ、


いや、


そんな酷なことはないな、、と思ったのだった。


私でもニュースを読むにつけ、絶望的に感じるのだから、、、。。。