2001年7月後半













今年の西浜でのガードが終了した俺と七瀬さんは、

翌日、1日休みをもらったので、

買いものに出かけた。





新生大礒は、登録上の都合から、

協会からの正式なユニフォームを支給されておらず、

各自でそれに似たユニフォームを用意しなければならなかった。




そういうわけで、赤いパンツを捜しに鎌倉へ。



大好きな人と、夏の真昼間に海沿いをドライブ。


なんて楽しいんだろう。



去年、おととしは学校の日以外は1日も休まずにガードに入っていたので、

夏の明るい時間に、海以外のところにいるのはとても新鮮だった。





七里ガ浜、鎌倉、戻ってきて江の島、鵠沼・・・。




色んなとこのサーフショップを回った。


サーフショップ巡りなんていつ以来だろう。



たぶん、オーストラリアに行ってた頃に、

クナラやシドニーの町を歩いた時以来かな・・・。




ふと右腕を見ると、彼女が俺の腕にそっと寄り添ってくれている











・・・・はずはなく、



代わりに、シャークの緑色の腕時計が俺の手首にしっかりと

抱きついてくれていた。



西浜で培った魂を、そのまま大礒にぶつけて、

必ずや大礒の無事故を達成してやろうじゃないか。





つかの間の休息はあっという間に過ぎて行った。






そして、翌日、いよいよ大礒でのガードが始まった。






大礒は西浜とは似ているようで結構違っていた。




まずは呼び名。




Aタワーではなく、A塔。



赤脚立や柵ではなくB塔。






そして見る範囲もまったく違う。




西浜では、端から端まで全長1キロに渡る広大な砂浜に、

タワーやパトロールをぽつぽつと配置して、


一人一人を目で追うのではなく、

全体をざっくり見るというやりかたを取っているのだが、




大礒は全長数百メートルしかない。


その狭い範囲に西浜と同じくらいの数のタワーやパトロールを

配置させて、密集してガードをするため、

一人一人をしっかり確認することを求められた。




あの子の親はどこにいて、酒をどのくらい飲んでいる



とか、



あのグループはあっちのパラソルのとこに荷物を置いていて、

今は二つのグループにわかれている



など、とにかく細かかった。






西浜が一人一人をまったくチェックしていないわけではなかったが、

夏のピーク時には万単位の客が来るので、

とてもじゃないが、一人をしっかり見ておくことはできなかった。






トランシーバー(以下「シーバー」)のやり取りも違う。




大礒は30分交代で、交代するたびに、

全員のシーバーの感度確認を行っていた。




一方の西浜は、シーバーを新たに開いたときは確認するが、


現場での交代時にはいちいち感度の確認はしていなかった。








それらのことは俺にとっては全てが新鮮で、


色々面食らった。







そしてもっとも違ったのは空気感。





大礒はなかなかフランクだった。




西浜のようなピリピリとした重苦しい空気はなく、



されど、軽いというわけでもない、


「明るいけど超真剣」



という感じの空気だった。






それは、監視長の大田主将や、

クレスト大礒チームの代表・拓郎が作りだしている空気感だったが、

俺がそこに溶け込むのは容易ではなかった。





ここまでの16日間、俺はそこにはいなく、

他のみんなはこの16日間で、

同じような空気感を共有していた。




そして、拓郎は去年まで湯河原に所属していたが、

今年、大礒にいる者の多くは西浜出身者だった。



それも、大田主将や棟田さん、

さらには後輩の松田達など、


クレストの西浜が解散していく過程で、

俺とぶつかった人たちばかりがそこにいた。




そんなことわかりきっていたことだが、



西浜の「に」の字も出さないで、

何事もなかったかのように、

一緒に頑張っていくことには多少の抵抗があった。




ほんと、そんなことわかっていたんだが・・・。






あの西浜独特の緊張感が懐かしい。


今頃西浜のみんなはしっかりやっているだろうか・・・。






どうしても同じモチベーションで大礒と向き合うことができなかった。





テンションが上がらない。


集中しているつもりだが、ほんとにちゃんとできているんだろうか。




1週間が異様に長かった。




そして、俺に対する周囲の信用も、やはり少なかった。



七瀬さんは去年西浜に来るまでの2年間は大礒にいたので、

今年戻ってきてもとまどいは無く、すんなり入っているようで、

周囲の信頼も厚かった。




その証拠に、「B塔」という、

大礒の遊泳エリアを全て見渡せる、

大礒一番の花形ポジションであり、

認められた人間しか入れないところにも七瀬さんは入っていた。




ガードのシフト表を見ても、


B塔に上がらせてもらえる人間と、

そうでない人間との間に引かれる絶望的な、

「空白の一行」が、

俺と七瀬さんの間にはあった。




大田主将、棟田さん、七瀬さん、そして拓郎。




彼らの下に一行空いて、俺や他の同期、後輩たちの名前があったのだ。






しかし、B塔に入れる「信頼メンバー」に、もう一人名前があった。











「松田」









同期の2年生を差し置いて、

そして拓郎以外の3年生を差し置いて、



彼だけがB塔に上がっていた。





彼は去年、西浜にいた2年生。


つまり、俺と同じ大礒初心者だ。




そんな彼が、俺も上がらせてもらえないB塔に上がっている。




3年の桶川にも平気でミスを指摘する。



大田さんが全幅の信頼を寄せていた。






この差はなんだ?



俺はそんなにダメか??






日本でもっとも厳しい浜で揉まれてきて、

最後はクレストメンバーの中でもっとも信頼を勝ち取ったはずの俺を・・・。






くそっ・・・。





ボードでも負けないのに・・・。






なんだか、やる気がそがれた。





気がつくと、俺はちょっと浮いた存在になり、

次第にみんなとの距離ができていた。





そんな俺と大田さんや拓郎がうまくいくはずはなく、

ぶつかることも多くなっていった。






そんなある日、七瀬さんに呼びとめられた。








「今のアダコー、まったくなってない。

そんなんで西浜の人たちにどうやって言えるのさ!」









!!!!!









たしかに、そうだ・・・。






大礒が西浜と違うことなんか当たり前だ。



それなのに、西浜に入れないからって、

大礒で集中を切らせている今の俺を、

西浜の人たちが見たらどう思うだろうか。





西浜から離れているが、海は繋がっている。


違う地でも、西浜で培ったことを活かして、

しっかりやることが、西浜への恩返しのはずだ。



それなのに、


今の俺は、大礒だけでなく、

西浜をも冒涜しているじゃないか・・・。






七瀬さんの一言で目が覚めた。



翌日から俺は、人が変わったかのように声を出すようにした。




B塔?




いずれ声がかかるさ。





それよりも、与えられたところで

100%のパフォーマンスを発揮することだけを考えよう。




俺は、ムードブレイカーではなく、ムードメーカー。




俺がみんなを盛り上げていってみせる!!






大礒の雰囲気が再びよくなってゆき、


8月を迎えることになった。







ちなみに、3年の今年は、一桁の単位しか履修していない。




おかげで、ガードにはたくさん入れているが、


果たして無事に卒業できるのだろうか・・・。