2000年8月
とうとう西浜でレスキューを経験する日が来た。
8月に入ってから、詰所エリアの水の流れが強くなった。
それは、白杭という、夏季限定で海中に打たれ、遊泳区域とサーフエリアを隔てる木が、
打たれてから時間が経つことによって、潮の流れを変え、
次第にいくつかの場所に、沖へ引っ張る流れが生まれるのだ。
そして、詰所のすぐ近くの海の家「ラブリー」前に、
大きなカレントができた。
このカレントはタチが悪く、
朝イチの地形・流れチェックでは確認できなくて、
午後になって、いきなり出てくるというシロモノだった。
その日も13時ころになり、急に慌ただしくなった。
「ラブリー前、流されてるのでボードでいってきます」
誰かからこんな無線が入った。
俺は詰所内で昼飯を食べていた。
ふと海の方を見ると、尋常じゃない人数をボードで助けていた。
1本のレスキューボードに5,6人が掴まっていた。
そんなレスキューボードが2本。
さらに、チューブで引っ張って助けているメンバーが2人。
実に4人のライフセーバーが1度に15人くらいを助けていたのだ。
俺は慌ててメシをかきこんで、出番を待った。
代打を待つ元木のように、チーフの視界に入るところで出番を待った。
「安達!ラブリー前の水中に行ってくれ!」
きた!!!
俺が選ばれた!!!
なんとしても結果を出してやる!!!!!
俺は「ハイ!」と即答し、
レスキューチューブを持って、ラブリー前に駆けていった。
さっそく水中に入ってみる。
う、うそだろ・・・?
朝の時とはまるで別の海になっていた。
ほんとうに沖へ引っ張られる。
まるで流れるプールにいるみたいだった。
ふと沖のほうを見ると、さっそく親子連れが流されていた。
「ダイジョブですか!!??」
俺が慌ててその家族に近付くと、
「も、戻れないんですっ!助けてください!!」
と、きた。
俺はつとめて冷静に、
「もう大丈夫です。このチューブに掴まってください。
それで、できればバタ足をしてもらえると助かります」
といって、家族3人をまとめて引っ張ろうとした。
が、思うように進まない。
でも、俺が諦めたら、この人たちは助からないし、
俺もこっぴどく怒られて助からない!と言い聞かせてふんばった。
幸い、俺は上背があるので、彼らだと届かない水深でも足が届いた。
そこで俺は、ヘタに泳いで引っ張るのではなく、
ピョンピョン跳ねて地面を蹴ることで距離を稼ぐことにした。
効果はてきめんだった。
すぐに、家族も足のつく水位に案内すると、
今日は沖に行かないでねと伝えてすぐに沖に向かうのだった。
結局、俺は、水中にいた1時間半で30人余りの人を運んだ。
その途中、
「オラぁ!もう終わりかあ!!オメーがやらなきゃ人が死ぬんだぞ!!!」
って、智春さんにカツを入れられた。
なんとかその日も無事に警備を終えることができた。
俺は、最高の充実感を覚えた。
オレがやらなきゃ人が死ぬ・・・
これか。
これがライフセービングなんだ。
不謹慎な発想だが、
俺は、高校時代にライフの本を読み、
その作中で、レスキューしまくる主人公の姿に憧れた。
事故を未然に防ぐことが基本だが、
事故を未然に防ぎまくってると、
だんだん、自分がいなくても事故は起きないんじゃないかって思えてくる。
本当に不謹慎だが、
俺はレスキューをすることで、
自分自身が、海の安全に携わっているということを実感することができたのだった。
「アダコー、夕飯来ないか??」
ある日のガード後、新木さんから声をかけられた。
なんでも、今、俺たちが下宿させてもらっている借家のオーナーの自宅で、
そのご家族と一緒に会食をするそうで、それに自分も声をかけてもらったのだった。
メンバーは、俺、新木さん、宮田さん、そしてCRESTの先輩大田さん。
なんで、このメンバーになったのかはわからなかったが、
30人以上いる学生の中で、俺と大田さんだけが呼ばれた。
なんか嬉しかった。
「今年の主要なガードメンバーを連れてきました」
新木さんはそう言って、自分たちを紹介してくれた。
オーナーの天谷さん家の料理はとてもおいしく、
普段、まともなメシにありつけず、
76あった体重が72まで落ちてしまった自分にとっては、
贅沢極まりないメニューだった。
そこで俺は、普段のガードではまず聞けない、
「昔の軍隊のような西浜」の話を聞かせてもらったりした。
そんな中、俺のすごい怒られっぷりが話題になったとき、
「期待の裏返しなんだよ」
って、新木さんに言われた。
以前にも違う先輩に言われたことはあったけど、
あまりにもふがいない自分が期待されてるとは到底思えず、
「そうはとても思えないんですが・・・」
って答えたら、
「それじゃあダメだな」
ってダメだしされた。
でも、
結局、なぜ俺が会食に呼ばれたのかは、わからなかったが、
その後、やっちゃんたみさんというオシドリ夫婦のクラブ員のお家にも、
俺は招いてもらったので、やっぱり期待されてるんだ!って自分に言い聞かせることにした。
8月も2週目に入り、お盆が近いということで、
海水浴客はモーレツに増えていった。
それに比例するかのように・・・
水上バイクが遊泳区域内に侵入。
客が30人カレントに流される。
柵エリアで迷子の捜索が発生したと思ったら、迷子じゃなく迷老婆。
泥酔者が出たと通報が入る。
また智春さんにキレられる。
夏の海は慌ただしくなっていった。
だんだんとメンバーの疲労の色が濃くなってゆき、
ケガや病気でガードを休む者も珍しくなくなった。
それでも俺は必死にくらいついて毎日を過ごした。
お盆の頃には、25日連続ガードになっていたが、
俺は意地でも休みを取らなかった。
なんとしても、周りにタフなヤツと認知させてやる・・・。
もはや意地だけが支えとなっていた。
そんなある日、俺にとって、画期的なことが起きた。
いつものように安全移送(流されている客を安全なところまで運ぶこと)を繰り返し、
1時間の水中警備を終えて、詰所に戻ると、
智春チーフがこっちを見てきた。
「おう。おつかれ。」
!!!!!!!!
お・・・怒られなかった・・・・・・・!!!
ってか、ねぎらいの言葉・・・!?
初めて智春さんの俺に対する怒声以外の声を聞いた。
「おう、おつかれ」なんて、なんでもない一言なのに、
なんか、ものすごく嬉しかった。
ムチで叩かれまくった奴隷が飴玉を1個もらうと、
きっとこんな気持ちになるんだろう。
結局俺が飴玉をもらうような思いをしたのはその時だけで、
それから先はこれまでよりも激しくムチで叩かれるような思いをすることになったのだが・・・。
「今日はサーフボートを出します」
ある日、恩田さんという、智春さんの次くらいに俺に厳しい先輩が言った。
サーフボートというのは、4人漕ぎのボートで、
4人が息を合わせて漕がないと、まったく前に進まないという乗り物だった。
例年、主に1年目が漕ぎ、そこで、お互いを思いやり、
チームワークが育まれてきた。
日本には西浜のその1艇しか存在しないらしく、
ガード中や、夕方にその船が出ると、
海水浴客がみんな遊ぶのをやめて、
しばしの間、その壮大さにみとれるのであった。
ただ、サーフボートは4人全員が後ろ向きになって漕ぐため、
まったく前が見えない。
そこで、一際長いオールを操り舵をとる人間が一人必要で、
その役目をする人間が、「カッター班長」と呼ばれ、
代々、多重人格なんじゃ・・・と思えるほど、
漕いでる時は豹変して、4人の漕ぎ手の前に立ちはだかる、
いや、鼓舞するのだった。
そして、2000年度のカッター班長は、
・・・智春さんだった。
サーフボートに乗ってるときの智春さんは、
スーパーサイヤ人だった。
俺、死ぬかもしれない・・・。
とうとう西浜でレスキューを経験する日が来た。
8月に入ってから、詰所エリアの水の流れが強くなった。
それは、白杭という、夏季限定で海中に打たれ、遊泳区域とサーフエリアを隔てる木が、
打たれてから時間が経つことによって、潮の流れを変え、
次第にいくつかの場所に、沖へ引っ張る流れが生まれるのだ。
そして、詰所のすぐ近くの海の家「ラブリー」前に、
大きなカレントができた。
このカレントはタチが悪く、
朝イチの地形・流れチェックでは確認できなくて、
午後になって、いきなり出てくるというシロモノだった。
その日も13時ころになり、急に慌ただしくなった。
「ラブリー前、流されてるのでボードでいってきます」
誰かからこんな無線が入った。
俺は詰所内で昼飯を食べていた。
ふと海の方を見ると、尋常じゃない人数をボードで助けていた。
1本のレスキューボードに5,6人が掴まっていた。
そんなレスキューボードが2本。
さらに、チューブで引っ張って助けているメンバーが2人。
実に4人のライフセーバーが1度に15人くらいを助けていたのだ。
俺は慌ててメシをかきこんで、出番を待った。
代打を待つ元木のように、チーフの視界に入るところで出番を待った。
「安達!ラブリー前の水中に行ってくれ!」
きた!!!
俺が選ばれた!!!
なんとしても結果を出してやる!!!!!
俺は「ハイ!」と即答し、
レスキューチューブを持って、ラブリー前に駆けていった。
さっそく水中に入ってみる。
う、うそだろ・・・?
朝の時とはまるで別の海になっていた。
ほんとうに沖へ引っ張られる。
まるで流れるプールにいるみたいだった。
ふと沖のほうを見ると、さっそく親子連れが流されていた。
「ダイジョブですか!!??」
俺が慌ててその家族に近付くと、
「も、戻れないんですっ!助けてください!!」
と、きた。
俺はつとめて冷静に、
「もう大丈夫です。このチューブに掴まってください。
それで、できればバタ足をしてもらえると助かります」
といって、家族3人をまとめて引っ張ろうとした。
が、思うように進まない。
でも、俺が諦めたら、この人たちは助からないし、
俺もこっぴどく怒られて助からない!と言い聞かせてふんばった。
幸い、俺は上背があるので、彼らだと届かない水深でも足が届いた。
そこで俺は、ヘタに泳いで引っ張るのではなく、
ピョンピョン跳ねて地面を蹴ることで距離を稼ぐことにした。
効果はてきめんだった。
すぐに、家族も足のつく水位に案内すると、
今日は沖に行かないでねと伝えてすぐに沖に向かうのだった。
結局、俺は、水中にいた1時間半で30人余りの人を運んだ。
その途中、
「オラぁ!もう終わりかあ!!オメーがやらなきゃ人が死ぬんだぞ!!!」
って、智春さんにカツを入れられた。
なんとかその日も無事に警備を終えることができた。
俺は、最高の充実感を覚えた。
オレがやらなきゃ人が死ぬ・・・
これか。
これがライフセービングなんだ。
不謹慎な発想だが、
俺は、高校時代にライフの本を読み、
その作中で、レスキューしまくる主人公の姿に憧れた。
事故を未然に防ぐことが基本だが、
事故を未然に防ぎまくってると、
だんだん、自分がいなくても事故は起きないんじゃないかって思えてくる。
本当に不謹慎だが、
俺はレスキューをすることで、
自分自身が、海の安全に携わっているということを実感することができたのだった。
「アダコー、夕飯来ないか??」
ある日のガード後、新木さんから声をかけられた。
なんでも、今、俺たちが下宿させてもらっている借家のオーナーの自宅で、
そのご家族と一緒に会食をするそうで、それに自分も声をかけてもらったのだった。
メンバーは、俺、新木さん、宮田さん、そしてCRESTの先輩大田さん。
なんで、このメンバーになったのかはわからなかったが、
30人以上いる学生の中で、俺と大田さんだけが呼ばれた。
なんか嬉しかった。
「今年の主要なガードメンバーを連れてきました」
新木さんはそう言って、自分たちを紹介してくれた。
オーナーの天谷さん家の料理はとてもおいしく、
普段、まともなメシにありつけず、
76あった体重が72まで落ちてしまった自分にとっては、
贅沢極まりないメニューだった。
そこで俺は、普段のガードではまず聞けない、
「昔の軍隊のような西浜」の話を聞かせてもらったりした。
そんな中、俺のすごい怒られっぷりが話題になったとき、
「期待の裏返しなんだよ」
って、新木さんに言われた。
以前にも違う先輩に言われたことはあったけど、
あまりにもふがいない自分が期待されてるとは到底思えず、
「そうはとても思えないんですが・・・」
って答えたら、
「それじゃあダメだな」
ってダメだしされた。
でも、
結局、なぜ俺が会食に呼ばれたのかは、わからなかったが、
その後、やっちゃんたみさんというオシドリ夫婦のクラブ員のお家にも、
俺は招いてもらったので、やっぱり期待されてるんだ!って自分に言い聞かせることにした。
8月も2週目に入り、お盆が近いということで、
海水浴客はモーレツに増えていった。
それに比例するかのように・・・
水上バイクが遊泳区域内に侵入。
客が30人カレントに流される。
柵エリアで迷子の捜索が発生したと思ったら、迷子じゃなく迷老婆。
泥酔者が出たと通報が入る。
また智春さんにキレられる。
夏の海は慌ただしくなっていった。
だんだんとメンバーの疲労の色が濃くなってゆき、
ケガや病気でガードを休む者も珍しくなくなった。
それでも俺は必死にくらいついて毎日を過ごした。
お盆の頃には、25日連続ガードになっていたが、
俺は意地でも休みを取らなかった。
なんとしても、周りにタフなヤツと認知させてやる・・・。
もはや意地だけが支えとなっていた。
そんなある日、俺にとって、画期的なことが起きた。
いつものように安全移送(流されている客を安全なところまで運ぶこと)を繰り返し、
1時間の水中警備を終えて、詰所に戻ると、
智春チーフがこっちを見てきた。
「おう。おつかれ。」
!!!!!!!!
お・・・怒られなかった・・・・・・・!!!
ってか、ねぎらいの言葉・・・!?
初めて智春さんの俺に対する怒声以外の声を聞いた。
「おう、おつかれ」なんて、なんでもない一言なのに、
なんか、ものすごく嬉しかった。
ムチで叩かれまくった奴隷が飴玉を1個もらうと、
きっとこんな気持ちになるんだろう。
結局俺が飴玉をもらうような思いをしたのはその時だけで、
それから先はこれまでよりも激しくムチで叩かれるような思いをすることになったのだが・・・。
「今日はサーフボートを出します」
ある日、恩田さんという、智春さんの次くらいに俺に厳しい先輩が言った。
サーフボートというのは、4人漕ぎのボートで、
4人が息を合わせて漕がないと、まったく前に進まないという乗り物だった。
例年、主に1年目が漕ぎ、そこで、お互いを思いやり、
チームワークが育まれてきた。
日本には西浜のその1艇しか存在しないらしく、
ガード中や、夕方にその船が出ると、
海水浴客がみんな遊ぶのをやめて、
しばしの間、その壮大さにみとれるのであった。
ただ、サーフボートは4人全員が後ろ向きになって漕ぐため、
まったく前が見えない。
そこで、一際長いオールを操り舵をとる人間が一人必要で、
その役目をする人間が、「カッター班長」と呼ばれ、
代々、多重人格なんじゃ・・・と思えるほど、
漕いでる時は豹変して、4人の漕ぎ手の前に立ちはだかる、
いや、鼓舞するのだった。
そして、2000年度のカッター班長は、
・・・智春さんだった。
サーフボートに乗ってるときの智春さんは、
スーパーサイヤ人だった。
俺、死ぬかもしれない・・・。