1999年10月。
全日本選手権も終わり、部内はインカレモード一色になった。
インカレは当然、部員全員が出られるものではなく、
種目に応じていくつかの枠があり、
そこに入れるようにみんな必死で練習をするのだが、
まずは、そのインカレに選手として登録されるメンバーを決める期日が迫ってるということで、
今月からは、ふるいにかけられるような練習が行われていた。
オレは大学まで1時間かかる相模大野に住んでいたが、
これまでの朝練やガードでの生活から、
どう考えても東海大学前に住んだほうがいいと思ったので、
夏のガード代のほとんどをはたいて、東海大学前に引っ越していた。
いままでは朝練の5時45分ダイエー前集合するために、
4時半に起きて、4時50分の始発に乗っていたのだが、
今月からは5時半まで寝られた。
この1時間がとってもありがたかった。
おかげで、なんで相模大野に住んでたのか意味がわかんなくなった。
話はインカレ練に戻り、
インカレにはボードリレーという、3人1組でリレーする種目があり、
当然、部内No1~3のボードパドラーが選ばれるんだけど、
オレは平塚内でさえ遅い部類というか、
自分より遅い人がいるのかわからないというレベルだったので、
今年はボードではなく、他の種目にかけていた。
全日本では2Kmビーチランは召集漏れしていたので、
自分の底が見えてなくて、インカレでは1Km×3人のリレーがあるので、
そこにかけてみようと思った。
でもいざ練習が始まると、なかなかついていけない。
気が付くといつの間にか女子にも置いていかれ、
ポツンとひとりになってしまうのだった。
こんなハズじゃ・・・。
これじゃあインカレ選手登録は厳しいかなと思っていたら、
やはり外れていた。
仕方ない。
悔しいけど、来年に備えよう・・・。
こうしてオレにとって初めてのインカレは、スタッフという形になった。
そして10月16、17日、千葉の御宿海岸にて、インカレが行われた。
オレが出られなかった1Km×3ビーチリレーには、
同じ1年の梅木と、3年の武士川さん、
そして絶対的エースで3年の岡村さんが出ることになっていた。
オレはスタッフの仕事もそこそこに、母校の選手達がどこにいるのか必死に目で追っていた。
そこで初めて、自分の学校がめちゃくちゃ強いと知った。
ほとんどの種目でメダルを取っていたのだ。
その中には当然七瀬先輩の姿もあった。
スタッフの自分と、表彰台に上がる七瀬先輩。
普段近くにいるのに、そのときはとても遠くに感じた。
インカレの表彰台ってなんて眩しいところなんだろうと思い、
部内選考であっさりと脱落した自分の無力さを痛感した。
そして、男子の1Km×3ビーチリレーの時間がやってきた。
ピストル音が鳴り、各大学が一斉にスタートした。
うちの1走は1年の梅木。
さすがの速さ。でもなかなか前に出られない。
そうこうしている間に残り200メートルくらいになり、
上位は3,4チームに絞られてきたが、1位の大学だけはかなり前にいた。
そしてなんとか3位で2走の武士川さんにタスキが渡った。
武士川さんは速くはないけど根性の人。
相手が前にいたほうが粘れるタイプ。
1位との差はさらについた気もしたが、
なんとか2位とほとんど差の無い3位でアンカーに繋いだ。
アンカーは、2年生の時に全日本選手権2Kmビーチランで優勝している岡村さん。
でも1位のチームとは100メートル近い差があった。
オレが見ていた位置はちょうどコースの中央で、
タスキの受け渡しと、折り返しの500メートル、そしてゴールが見える位置だった。
岡村さんはものすごい速さで駆け抜けていった。
途中経過がわからない・・・。
今どの辺りを走っているんだろう。
と、思っていたら、1位のチームが500M地点を通過していった。
後続は見えな・・・来た!!!もう来た!
紺色に黄色のラインが入ったキャップ、超合金のような腹筋!
岡村さんだ!
岡村さんが3位以下を大きく引き離し、1位を伺える位置まで追いついていた。
信じられない。あれだけ差があったのに・・・。
直前までヘルニアで動けなかったはずなのに。
よく前が見えない。
そして最後のポールを折り返し、1位のチームが帰ってきた。
1位は・・・
・・・岡村さん!!!!!!
オニの形相で1位を抜き去り、トップで帰ってきたのだ!
そしてそのままゴール!!!
気が付くと、俺は号泣していた。
自分以外のことで泣いたのは、それが初めてだったかもしれない。
そうして初めてのインカレは終わった。
オレは1Km×3ビーチリレーは応援していたが、総合では勝ってほしくなかった。
自分が出ていないで総合優勝なんて想像もしたくなかった。
勝ってほしいのに勝ってほしくない。
そんなことを考えちゃっている自分が嫌になった。
結果、母校は総合2位。昨年の1位から、これからは追いかける立場となった。
オレはこのままじゃダメだ。
今、こんな位置にいたら、来年のインカレなど間に合いそうにない。
そんな時、岡村先輩も七瀬先輩も、
冬休みにオーストラリアで修行してきたことを聞いた。
オーストラリア・・・?
歴代の先輩方が行って化けてきたというその言葉の響きに、
オレは惹かれていくのだった・・・。
全日本選手権も終わり、部内はインカレモード一色になった。
インカレは当然、部員全員が出られるものではなく、
種目に応じていくつかの枠があり、
そこに入れるようにみんな必死で練習をするのだが、
まずは、そのインカレに選手として登録されるメンバーを決める期日が迫ってるということで、
今月からは、ふるいにかけられるような練習が行われていた。
オレは大学まで1時間かかる相模大野に住んでいたが、
これまでの朝練やガードでの生活から、
どう考えても東海大学前に住んだほうがいいと思ったので、
夏のガード代のほとんどをはたいて、東海大学前に引っ越していた。
いままでは朝練の5時45分ダイエー前集合するために、
4時半に起きて、4時50分の始発に乗っていたのだが、
今月からは5時半まで寝られた。
この1時間がとってもありがたかった。
おかげで、なんで相模大野に住んでたのか意味がわかんなくなった。
話はインカレ練に戻り、
インカレにはボードリレーという、3人1組でリレーする種目があり、
当然、部内No1~3のボードパドラーが選ばれるんだけど、
オレは平塚内でさえ遅い部類というか、
自分より遅い人がいるのかわからないというレベルだったので、
今年はボードではなく、他の種目にかけていた。
全日本では2Kmビーチランは召集漏れしていたので、
自分の底が見えてなくて、インカレでは1Km×3人のリレーがあるので、
そこにかけてみようと思った。
でもいざ練習が始まると、なかなかついていけない。
気が付くといつの間にか女子にも置いていかれ、
ポツンとひとりになってしまうのだった。
こんなハズじゃ・・・。
これじゃあインカレ選手登録は厳しいかなと思っていたら、
やはり外れていた。
仕方ない。
悔しいけど、来年に備えよう・・・。
こうしてオレにとって初めてのインカレは、スタッフという形になった。
そして10月16、17日、千葉の御宿海岸にて、インカレが行われた。
オレが出られなかった1Km×3ビーチリレーには、
同じ1年の梅木と、3年の武士川さん、
そして絶対的エースで3年の岡村さんが出ることになっていた。
オレはスタッフの仕事もそこそこに、母校の選手達がどこにいるのか必死に目で追っていた。
そこで初めて、自分の学校がめちゃくちゃ強いと知った。
ほとんどの種目でメダルを取っていたのだ。
その中には当然七瀬先輩の姿もあった。
スタッフの自分と、表彰台に上がる七瀬先輩。
普段近くにいるのに、そのときはとても遠くに感じた。
インカレの表彰台ってなんて眩しいところなんだろうと思い、
部内選考であっさりと脱落した自分の無力さを痛感した。
そして、男子の1Km×3ビーチリレーの時間がやってきた。
ピストル音が鳴り、各大学が一斉にスタートした。
うちの1走は1年の梅木。
さすがの速さ。でもなかなか前に出られない。
そうこうしている間に残り200メートルくらいになり、
上位は3,4チームに絞られてきたが、1位の大学だけはかなり前にいた。
そしてなんとか3位で2走の武士川さんにタスキが渡った。
武士川さんは速くはないけど根性の人。
相手が前にいたほうが粘れるタイプ。
1位との差はさらについた気もしたが、
なんとか2位とほとんど差の無い3位でアンカーに繋いだ。
アンカーは、2年生の時に全日本選手権2Kmビーチランで優勝している岡村さん。
でも1位のチームとは100メートル近い差があった。
オレが見ていた位置はちょうどコースの中央で、
タスキの受け渡しと、折り返しの500メートル、そしてゴールが見える位置だった。
岡村さんはものすごい速さで駆け抜けていった。
途中経過がわからない・・・。
今どの辺りを走っているんだろう。
と、思っていたら、1位のチームが500M地点を通過していった。
後続は見えな・・・来た!!!もう来た!
紺色に黄色のラインが入ったキャップ、超合金のような腹筋!
岡村さんだ!
岡村さんが3位以下を大きく引き離し、1位を伺える位置まで追いついていた。
信じられない。あれだけ差があったのに・・・。
直前までヘルニアで動けなかったはずなのに。
よく前が見えない。
そして最後のポールを折り返し、1位のチームが帰ってきた。
1位は・・・
・・・岡村さん!!!!!!
オニの形相で1位を抜き去り、トップで帰ってきたのだ!
そしてそのままゴール!!!
気が付くと、俺は号泣していた。
自分以外のことで泣いたのは、それが初めてだったかもしれない。
そうして初めてのインカレは終わった。
オレは1Km×3ビーチリレーは応援していたが、総合では勝ってほしくなかった。
自分が出ていないで総合優勝なんて想像もしたくなかった。
勝ってほしいのに勝ってほしくない。
そんなことを考えちゃっている自分が嫌になった。
結果、母校は総合2位。昨年の1位から、これからは追いかける立場となった。
オレはこのままじゃダメだ。
今、こんな位置にいたら、来年のインカレなど間に合いそうにない。
そんな時、岡村先輩も七瀬先輩も、
冬休みにオーストラリアで修行してきたことを聞いた。
オーストラリア・・・?
歴代の先輩方が行って化けてきたというその言葉の響きに、
オレは惹かれていくのだった・・・。