2002年10月、第2週
「すごいじゃん!!両方とも超メインレースじゃん!!」
メンバー発表の翌日、七瀬さんからメールが来た。
俺は2種目に出られることになった。
あとは、出て、勝つだけ。
決戦の舞台は千葉の御宿。
インカレといえば御宿なのだが、
俺が初めて出た去年だけ静岡県で行われていたため、
俺にとっては、初めての御宿だった。
大会前日、現地入り。
さっそく大川荘という旅館でチェックインを済ませる。
ここ、大川荘は、CRESTにとっての聖地である。
CRESTの厳しい争いに勝ち残ったメンバーだけが泊まることのできる、
ちょっと誇らしい宿。
それが大川荘だ・・・
・・・って、昔、岡村さんが言ってたっけな。
ここが歴代の先輩たちが宿泊してきた宿か。
4年目にして初めて泊まることができて、
ようやく俺も先輩方の仲間入りができた気分になった。
翌日、インカレ開幕。
今日、すべての予選が行われ、明日、すべての決勝が行われる。
俺や武井君がエントリーしている、オーシャン種目に出るクラフト班と、
ビーチフラッグスなどのラン競技に出るビーチ班は、
タイムテーブル上、お互いのレースを見て応援することはできない。
だが、ビーチスプリントリレーで松田が足を痛めたという知らせは届いた。
それでも、足を引きずりながらバトンを繋ぎ、
からくも決勝に駒を進めたと聞いて、なんだか熱いものがこみあげてきた。
そうだ。
これが、大学日本一を決める大会なのだ。
これが大学の看板を背負った者たちがしのぎを削る大会なのだ。
知らせを聞いてすぐに、ボードレスキューの予選が始まった。
俺と武井君。
今年のCREST最強コンビ。
負けるわけがない。
ボードレスキューとは、泳ぎ手がまず沖に向かってスタートする。
そして沖に横一線に設置された遊泳ブイにたどりつくと、
すぐに手を挙げる。
それを確認した漕ぎ手がボードでそこまで向かい、
泳ぎ手をピックアップした後、タンデムパドルでスタート地点まで帰ってくる。
おぼれた人を助ける。
もっともライフセービングらしい種目といえる。
予選、最初に沖のブイにたどり着き、手を挙げたのは武井君だった。
昨日の敵は今日の友。
味方にしてこんなに頼もしい男は他にいない。
俺はボードを右手に抱え、勢いよくスタートすると、
誰にも追いつかれることなくブイまでたどり着いた。
そしてスムーズにボードの向きをかえ、
タンデムパドルに移行した。
こうなると誰にも負ける気がしない。
そのままダントツのトップでゴールした。
予選1位通過。
不安なのは次のタップリンだ。
毎回、スイム・ボード・スキーの順番はランダムなのだが、
今年はスタートの苦手な俺のボードが1番目になったのだ。
ボード・スイム・スキー。
サーフスキーを漕ぐ阿倍野は、まだ経験が浅く、
そのスキーがアンカーになることはチームにとって、
かなりの不安要素だった。
おまけに予選同組にはサーフカーニバル3位の隆平がボードに乗る、
一昨年の総合覇者、順天堂大学もエントリーしていた。
ここでヘタなレースをしたら、決勝でも精神的に不利になる。
ここはなんとしても1走の俺が勢いをもたらさないと。
スタート!
隆平は足がものすごく速い。
順大がトップに立った。
CRESTは2位。
俺は必死に前を追った。
今日のコンディションはサイズ、ムネハラ。
沖に出るときの俺の力がもっとも発揮されるコンディションだ。
スタートがあまり上手く決まらなかった俺は、
最初こそ順大から大きく離されてしまったが、
だんだんと差をつめ、最終ブイを回る頃には目の前に捉え、
最後の波で追いついた。
しかし、そこから次の泳者までのランが速い。
最後の砂浜のランで再び前に出られた俺は、
そのまま2位で次に繋ぐことになった。
やっぱり、彼も速い・・・。
でも、決勝はそうはいかないぞ・・・。
結局、サーフスキーで不安を露呈したCRESTチームは後続に抜かれ、
3位での予選通過となった。
その夜、
大川荘の宴会場に集まった俺たちは、
種目ごとにひとりずつ意気込みを語っていった。
今回は、土壇場でのメンバー漏れはない。
その代わり、足を負傷して松葉杖の副主将松田から、
選手達ひとりひとりに手紙が渡された。
もちろん、俺にも手紙は用意されていた。
俺は、夜、一人になるタイミングを見計らって、手紙を開いた。
「途中入部でいきなり西浜に入って、まだ誰も親しい人がいなくて、
毎日一人で晩御飯を食べていたあの時、
アダコーさんに声をかけてもらい、つれていってもらった告野家は、
本当に、最高においしかったです。
あれから、いろいろありましたね。
ギクシャクしてしまうこともありました。
でも、
今でも自分はアダコーさんのことが大好きです。
一本、筋が通っていて、人の真似事ではなく、
自分の信じた道を突き進む。
そんなアダコーさんのことが自分は大好きです。
最後のインカレ、明日は全力でがんばってください。
自分は全力で応援してます。」
すごくうれしかった。
わだかまりはたしかにあった。
でも、そんなのはちっぽけなもので、
同じ部の仲間として、自分のことを認めてくれていた。
そういうのが感じられてすごくうれしかった。
主将というものは政治家だ。
大儀をなすためには私情をはさんではならない。
去年、決戦前夜にいろいろあって、チームが空中分解した。
それを彼も知っている。
チームをひとつにまとめるためには、
わだかまりがあってはならない。
そう考えた主将が書いた手紙だ。
正直、どこまでが本心かはわからない。
でも、たぶん、
彼はウソは書いていない。
他のメンバーには何を書いたかはわからないが、
少なくとも俺は、
負傷して決勝に出られない彼の分も、
全力でレースに臨む気持ちがいっそう強まった。
決勝の日が来た。
ここで、思いもよらないことが起きた。
台風の接近に伴い、
昨日よりはるかにコンディションの悪くなった海況によって、
タイムテーブルが大幅に変更されたのだ。
例年、全種目の最終種目となっていたタップリンリレーが、
午前中に変更され、
ビーチ競技が最終種目になっていたのだ。
しかもタップリンリレーはビーチフラッグスと時間が被っていたため、
応援する選手も二分されてしまったのだ。
他の全競技が終わり、全大学の全選手が見守る中行われるのが、
タップリンリレーであり、
そこでがんばる先輩方を見て、
俺もそこを目指そうと思ったのに。
まぁ、仕方ない。
タップリンがなくなったわけじゃないし、
やることは変わらない。
俺は気持ちを切り替えた。
まず、ボードレスキュー。
とんでもないサイズの波の中に突っ込んでいく泳ぎ手たち。
そんな中、全日本のランスイムランも優勝している日体大の小西が、
トップでブイにたどり着いた。
俺は遅れること10秒。
3,4番手でスタートを切った。
途中、大きな波がきた。
これをギリギリのところでかわせれば、まだ日体に追いつける!
俺は勢いよく波にぶつかっていった。
あうっ!!!
しかし、ギリギリで間に合わなかった。
俺は吹っ飛ばされ、ボードから手を離してしまった。
し、しまった・・・。
このままボードだけ浜に上がってしまったら終了だ。
頼む・・・。
流れていないでくれ・・・。
水面に顔を上げると、目の前に俺のボードがあった。
よかった。まだ運に見放されていない。
俺は急いでボードに戻り、再び沖へ向かって漕ぎ出した。
ブイに着いた時には4,5番手になっていた。
でも、CREST最強コンビ。
ここからが勝負だ。
俺たちのタンデムは速かった。
前を行くチームを次々と抜き去り、
東海大海洋学部LOCOの石垣チームも抜いて2位に浮上した。
前を行くのは宿敵日体大のみ。
全力で前を追った。
しかし、
「日体大、今、トップでゴール!
続いて、東海大クレスト、3位はまだだ!」
ひと波の差で届かなかった。
悔しいが、この借りはタップリンで晴らしてみせる!
ボードリレーは、武井君が1走で、
石垣や隆平を抑えてトップでつなぎ、
2走の和成もトップをキープしていたが、
3走の八賀が最後の最後で東海LOCOにかわされ2位。
またしても銀メダルとなった。
そしてオーシャン競技、最後の種目、
タップリンリレーの時間がやってきた。
卒業していった先輩、
一緒に4年間過ごした同期、
そして、後輩たちの想いを一身に背負って、
俺はボードのスタート切った。
結果は5位。
時間とともに荒れていった波、
開催も危ぶまれた中で行われたレースは、
唯一波に掴まらずに沖に出られた石垣の東海LOCOが優勝。
俺は順大、日体大の後ろ、4位で次に繋ぎ、
スイムの大寺のがんばりもあり一時は3位まで浮上したが、
最後は力尽き、5位でのゴールとなった。
去年、土壇場でタップリンから外され、
そのタップリンリレーに出るためだけに1年をかけてきた。
もしかしたら、メンバー入りが決まったあの時点で、
俺の目標は半分果たされていたのかもしれない。
結果は5位。
チームの総合も2位だった。
俺は何一つ成し遂げられなかったのかもしれない。
でも、
ひとつだけ言えることがある。
この4年間、悔いはない。