私は、戸籍上の性別は男性で、アイデンティティは男性、性的興味の対象は女性という人間です。
妻は、戸籍上の性別は女性で、アイデンティティは女性、性的興味の対象は男性という人間ですね。
子どもの頃、戸籍上の性別は女性で、アイデンティティは男性であろうという子が近くにいました。
その子の親は、なんとかその子を女の子らしくしたかったようですが、スカートなど女の子らしい格好をさせようとすると、暴れて抵抗するので困っていました。
私は、子どもながらにその子の親の試みを「無理だろうな。」と思っていました。
その子がどういう気持ちで「女の子らしさ」に抵抗しているのか、正直なところ、私にはわかりませんでした。
ただ、普段のその子の言動を見ていて、その子に「女の子」の格好をさせようとすることが、如何に無茶なことかなのか、よくわかっていました。
「あの子は、幾らお母さん達が何かしようとしても、ずっとああいう感じだと思うけどな。」
まだ5~6歳だった私は、そう思いました。実際そうでした。
大学に入るとカミングアウトしている同性愛者の人は結構いて、同じセクシャリティの人達で集まったりしているようでしたが、トランスジェンダーの人には会ったことがありませんでした。戸籍を調べない限り、わからないと思います。見た目ではあまりわからないし、人の性別などいちいちたずねないので、気付かなかったのでしょう。
大学時代には、英語を習っていた先生から、こういう話も聞きました。
先生の友人の息子は、戸籍上の性別は男性で、アイデンティティは女性でした。しかし女性と結婚しました。性的興味の対象が女性だったからです。同性愛者の女性としてのアイデンティティを持っていて、女性と結婚したわけです。
そういう現実を知ると、セクシャリティというのはハッキリと区分されているようなものではなく、順列組み合わせにさらにグラデーションがかかっているような、そんなものなのかもしれないと思います。しかも、出生から死亡まで、生涯に渡って必ずしも一定というわけでもないでしょうから、時間的に変化していく可能性もあるわけです。
そこでですね、さらに考えを進めてみますと、世間で多数派でないセクシャリティの人に対するステレオタイプがあると、私は思うんですが、ああいうステレオタイプはそういうグラデーションがかかっているであろう現実の理解を阻害するような気がするのです。
なんていうんですかね、ポジティブで人前に出るのに物怖じしないで、お話も上手なトランスジェンダーの人ばかりじゃないし、毒舌だけど愛嬌があって男女誰でも親しみやすいゲイの人ばかりじゃないと思うのですよ。そういう芸能界チックな人ばかりじゃないでしょう、現実社会って。
普通に、人前に立つのが苦手で話し下手なトランスジェンダーの人とか、無愛想で近寄りがたい雰囲気のゲイの人、いるでしょう。ただ男装や女装が好きなだけっていう人もいるでしょう。
私は、今は面白おかしくワッハッハと見られているテレビ番組が、「あんな時代があったんだね」といわれるときが来るのではないかなあ、と思っています。
なんだかつまらないこと書いてしまいましたかね。

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妻は、戸籍上の性別は女性で、アイデンティティは女性、性的興味の対象は男性という人間ですね。
子どもの頃、戸籍上の性別は女性で、アイデンティティは男性であろうという子が近くにいました。
その子の親は、なんとかその子を女の子らしくしたかったようですが、スカートなど女の子らしい格好をさせようとすると、暴れて抵抗するので困っていました。
私は、子どもながらにその子の親の試みを「無理だろうな。」と思っていました。
その子がどういう気持ちで「女の子らしさ」に抵抗しているのか、正直なところ、私にはわかりませんでした。
ただ、普段のその子の言動を見ていて、その子に「女の子」の格好をさせようとすることが、如何に無茶なことかなのか、よくわかっていました。
「あの子は、幾らお母さん達が何かしようとしても、ずっとああいう感じだと思うけどな。」
まだ5~6歳だった私は、そう思いました。実際そうでした。
大学に入るとカミングアウトしている同性愛者の人は結構いて、同じセクシャリティの人達で集まったりしているようでしたが、トランスジェンダーの人には会ったことがありませんでした。戸籍を調べない限り、わからないと思います。見た目ではあまりわからないし、人の性別などいちいちたずねないので、気付かなかったのでしょう。
大学時代には、英語を習っていた先生から、こういう話も聞きました。
先生の友人の息子は、戸籍上の性別は男性で、アイデンティティは女性でした。しかし女性と結婚しました。性的興味の対象が女性だったからです。同性愛者の女性としてのアイデンティティを持っていて、女性と結婚したわけです。
そういう現実を知ると、セクシャリティというのはハッキリと区分されているようなものではなく、順列組み合わせにさらにグラデーションがかかっているような、そんなものなのかもしれないと思います。しかも、出生から死亡まで、生涯に渡って必ずしも一定というわけでもないでしょうから、時間的に変化していく可能性もあるわけです。
そこでですね、さらに考えを進めてみますと、世間で多数派でないセクシャリティの人に対するステレオタイプがあると、私は思うんですが、ああいうステレオタイプはそういうグラデーションがかかっているであろう現実の理解を阻害するような気がするのです。
なんていうんですかね、ポジティブで人前に出るのに物怖じしないで、お話も上手なトランスジェンダーの人ばかりじゃないし、毒舌だけど愛嬌があって男女誰でも親しみやすいゲイの人ばかりじゃないと思うのですよ。そういう芸能界チックな人ばかりじゃないでしょう、現実社会って。
普通に、人前に立つのが苦手で話し下手なトランスジェンダーの人とか、無愛想で近寄りがたい雰囲気のゲイの人、いるでしょう。ただ男装や女装が好きなだけっていう人もいるでしょう。
私は、今は面白おかしくワッハッハと見られているテレビ番組が、「あんな時代があったんだね」といわれるときが来るのではないかなあ、と思っています。
なんだかつまらないこと書いてしまいましたかね。
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