オモタル
『ホツマツタヱ』の記述(おもに2アヤ「アメツチクニサツチノアヤ」など)に基づき、六代目アマカミ・オモタル(および后のカシコネ)が国を治めるために巡った地を、記述の時系列・位置関係に沿って現代の地名とあわせて解説します。
オモタルは、統治の拠点である「中柱(なかばしら)」を中心に、日本全国(八方)を精力的に巡りました。
🧭 オモタルが巡った地(時系列・巡回ルート)
『ホツマツタヱ』では、拠点である近江を中心に、東から時計回りに全国を巡回していった様子が描かれています。

1. 拠点:中柱(なかばしら)
現代の地名
: 滋賀県(近江・安曇川周辺)
ホツマでの記述
: 「ヲウミ安曇の中柱(おうみあずみのなかばしら)」
内容
: 琵琶湖の西岸、安曇川のあたりに中央政府(政庁)を置き、ここを起点として全国の巡幸(見回り)へと出発しました。
2. 東の国:ヤマト・日高見(ひだかみ)
現代の地名
: 奈良県・近畿東部 & 富士から東
ホツマでの記述
:「東はヤマト 日高見も」
内容
: 拠点からまず東へ向かいました。ここでいう「ヤマト」は初期の畿内東部、「日高見」はさらに富士から東の現在の地、東北地方あたりまで影響力を及ぼしたことを指します。
※神代七代の初期の頃は、富士から東を日高見国と表現していましたが、オモタル様の頃になると全国に統治が拡大したと前提にして、全体で日本、富士から東を日高見と表現していると考えていいと思います。
3. 西の国:月隅(つくすみ)・葦原(あしはら)
現代の地名
: 筑紫(福岡県など九州北部) & 中国地方(山陽側)
ホツマでの記述
:「西は月隅 葦原も」
内容
: 東国を巡ったあと、今度は西へと向かいます。「月隅(つくすみ)」は筑紫(九州)の古い呼び名であり、「葦原」は豊穣な中国地方の平野部を巡ったことを意味します。
4. 南の国:阿波(あわ)・ソサ
現代の地名
: 徳島県(四国地方) & 和歌山県(熊野・南紀地方)
ホツマでの記述
: 「南阿波ソサ」
内容
: 次に南へと下ります。「阿波」は現在の四国・徳島県、「ソサ」は紀伊半島(和歌山県熊野周辺、諸説あり)を指し、南の海辺の民の暮らしを視察し、治めました。
5. 北の国(終焉の地):根の国・ヤマトホソホコ
現代の地名
: 福井県(越前)〜 石川県・島根県(出雲)など日本海沿岸
ホツマでの記述
:「北は根の ヤマトホソホコ 千足まで」
内容
: 最後に訪れたのが、北の「根の国(日本海側)」です。「ヤマトホソホコ(細矛)」とはこの地域の美称です。福井県の「日野山(ひのさん)」付近などにも足跡を残したとされています。
🪦 旅の終わり:最後の地(出雲)
現代の地名
: 島根県松江市(意宇・おえ)
内容:
全国を巡ったオモタル・カシコネ夫妻ですが、子(世継ぎ)に恵まれないまま、旅の終着地となった出雲の意宇(おう)の地で亡くなったとされています。
現在でも島根県松江市には「面足山(おもたるやま)」という地名が残る公園があり、近くの阿太加夜(あだかや)神社などにオモタルが祀られています。
【まとめ】オモタルの巡幸ルート
滋賀(近江) ➔ 奈良・東北(ヤマト・日高見) ➔ 九州・中国(月隅・葦原) ➔ 徳島・和歌山(阿波・ソサ) ➔ 福井・島根(根の国・出雲)
このように、オモタルは滋賀県を中央拠点として、東日本から西日本、南国、そして日本海側へと日本列島を大きく1周するように巡り、民を治めました。
『ホツマツタヱ』における**オモタル(面足尊・オモダル)は、神世七代の一柱であり、配偶神のアヤカシコネ(惶根尊)**とともに登場します。
ただし、まず重要な点として、
『ホツマツタヱ』には、ウヒヂニやトヨクンヌのように「○○で開拓した」「△△を建設した」といった具体的な地名や業績が詳しく記されているわけではありません。
オモタルはむしろ、
国土経営の完成期
人倫秩序の整備
イザナギ・イザナミ時代への橋渡し
を象徴する存在として描かれています。
オモタルの名前の意味
ホツマ研究者の解釈では、
オモ
面
表面
世の中
タル
足る
満ちる
完成する
つまり、
「世の中が整い満ち足りた状態」
を象徴すると考えられています。
『古事記』でも面足神(オモダルノカミ)と書かれ、「姿かたちが整った神」という意味に解釈されています。
ホツマツタヱでの役割
① 国土経営の完成
ウヒヂニ・スヒヂニ~オホトノヂ・オオトノベによって進められた国土開発が、オモタルの代で安定したとされます。
象徴的には、集落形成、農耕安定、人口増加、社会秩序確立の段階です。
② 人倫秩序の確立
ホツマ思想では、オモタルは夫婦の道、家族の道、村の道を整えた人物として扱われます。
つまり、「開拓者」というより「社会制度の整備者」です。
③ イサナギ時代への橋渡し
ホツマツタヱでは、オモタルとアヤカシコネの代を経て、イサナギ・イサナミの時代へ移ります。
そのため、オモタルは「神代前半の完成者」という位置づけです。
オモタルが関わったとされる地
ホツマツタヱ本文では、ウヒヂニのように
琵琶湖
近江
鈴鹿
伊勢
などとの明確な対応はほとんど示されません。
しかしホツマ研究者の間では、近江国(琵琶湖周辺)特に近江、高島、安曇川流域、湖北地方との関連を考える説があります。
理由は、ホツマツタヱの舞台の多くが近江・伊勢・尾張周辺に集中しているためです。
ホツマツタヱ的な解釈での業績
オモタル
国土経営の完成
集落社会の安定
人倫秩序の整備
家族制度の確立
イサナギ時代への橋渡し
アヤカシコネ
精神文化の整備
祭祀の整備
神政の補佐
ホツマツタヱを重視する研究者の中には、オモタル・アヤカシコネの時代は、実際には弥生時代中期~後期頃の「村落国家形成期」を神格化したものではないかと考える人もいます。
※ai調べです。誤りが含まれているかもしれません。さらなる研究が必要です。