ホツマツタエ三十 天皇都鳥のアヤ
天皇(アマキミ・神武)都鳥のアヤ
天君という呼び名の始まりは御孫ニニキネ尊が雷をカグツチの神とミツハメの神とに分けて祭り、世を治めた時からです。
アマテルの君が称賛して、ニニキネ尊は天神が地上に現れたとでも言うべき立派な業績を顕したとして賜った名が「別雷の
天君」でした。
三種の神宝も分けて御孫のニニキネ尊と左の臣のカスガと右の臣のコモリカミに授け、代々継いできました。
ミヲヤ天君(ウガヤフキアワセズ)が筑紫に下った時、御璽は自ら持たれ御鏡は左の臣のオシクモに、八重垣の剣はクシミカタマに授けておきました。
ミヲヤ天君が筑紫で崩御された時、神の御璽はタケヒト尊に譲りました。
母のタマヨリ姫も亡くなり、御鏡は河合の宮に、八重垣の剣は別雷の宮に預けておきました。
ナガスネヒコは山崎で川船を通さなかったので、大物主のクシミカタマが討とうとするとヰツセ尊は恐れて多賀から筑紫に行ってしまいました。
クシミカタマはオシクモと一緒にナガスネヒコを討とうとしましたが、ナガスネヒコが逃げて行くのを追いかけて河内に行き、そこで追うのをやめました。
タケチノコリとアウヱモロに、ヤマトのソフでナガスネヒコの反撃を防がせ、大物主のクシミカタマは多賀に帰りました。
その後、オシクモは河内に行ってオシホからカスガの御魂を移して枚岡の社に祭り、その後亡くなりました。
筑紫のタネコがオシクモの喪祀りを行い、四柱の神を祭りました。
タネコはアウエモロにヤマトと兼ねて河内も一緒に治めさせました。
大物主はアワ湖の大国宮を造り替え、コシネの国とサホコの国もみな治めたので平穏でした。
ここに、タケヒト尊は天君の御位に就いきました。
昔は御上が御位を分け授けましたが、今はその方がいないのでその役目を誰にするかと、臣達が集まって相談すると皆が言いました。
「先代の皇の使者はミチヲミとし、后の使者はアタネとし、妃の使者はアメトミとするのがよい。」
アメトミはインベの役を授かり禊ぎをしました。
さて、橿原では皇の御世が改まったサナト一月一日、サヤエにウマシマチが十種の神宝を君に奉りました。
アメノタネコはこれまでの代の故事を記して奉りました。
七草の味噌粥もトンド焼きも粥占も行われました。
サアエの日に皇位継承の儀式を行うためアメトミは別雷宮の八重垣の剣を持ち、アタネは八咫の鏡を持って宮に上りました。
君は高御座に褥を九重に敷き、アマノタネコは褥を三重に、クシミカタマは褥を二重に敷き、それぞれ座しました。
先代皇の使者ミチヲミが謡う「都鳥」を君は褥を三枚はずし六重にして聞かれました。
「『天下を治める天皇(ニニキネ)の左右の臣はカスガとコモリ。
君と臣とは心一つの都鳥。
形は八民、首は君。
鏡の臣と剣の臣は左右の羽、物部は足。
鏡の臣を継ぐ者無ければ民、君から離れ、君の日嗣は続かぬ。
剣の臣を継ぐ者無ければ、物部は散りて、国奪わる。
八咫鏡の臣は稲生ゆる春の民の仕事を見守り導くことがその役目。
八重垣の剣の臣は邪悪なものを成敗する物部の仕事を守るのが役目ぞ』
このようなお考えで、アマテルの君は三種の神宝を分けて授けられました。
末永く君臣民が一つであるべき故を『都鳥の文』として書かれてアマテルの君御手ずから文を皇孫に授けられました。
セオリツ姫は御鏡を持ってカスガカミに授けました。
ハヤアキツ姫は御剣を持ってコモリカミに授けました。
三度礼をしてそれぞれが受けました。
これが皇位を継ぐ時の『都鳥』の儀式です。」
先代皇の使者ミチヲミは御璽の箱を君に捧げました。
アタネは八咫の鏡を、アメトミは八重垣の剣を持ちアメタネコとクシミカタマにそれぞれ授けました。
君と臣は褥を元通りに敷きました。
臣と大勢の司(役人)が祝いの言葉を述べ、末永く栄えるように祝いの歌を歌いました。
八咫の鏡はヰソスズ姫に、八重垣の剣はアヒラツ姫に預け、御璽は君が持たれて三つの神宝はみな内つ宮に納められました。
ハラミ山のニニキネ尊の前例が三つの神宝を内宮に置くのを良しとしたことの元でした。
儀式の装いを民にも拝謁させました。
十一月にユキ殿スキ殿の宮を造り、天と地の神々を祭りました。
アメタネコとクシミカタマが君の左右に侍り、御神鐉を供え差し上げる臣になりました。
ウマシマチと物部は宮の外を守りました。
ミチヲミと久米部は御垣守をしました。
神への祝詞の奏上はインベ臣が行いました。
次の年の一月十一日に君は詔を下されました。
「私は決めた。忠義を尽くしたウマシマチは代々物部を継ぐこと。
ミチヲミは望みのままに、ツキサカと久米の土地を授けよう。
ウツヒコには船での先導と香久山の土を採ってきた功績により、ヤマトの国造とする。
弟ウケシはタケタの県主とする。
クロハヤはシギの県主とする。
アメヒワケは伊勢の国造とする。
アタネは賀茂の県主とする。
カツテの孫のツルギネは葛城の国造とする。
八咫の烏の孫はカドノの県主とする。」
三年目に五月雨が四十日間降り続きました。
民の間に病気がはやり、稲もミモチ病になった。
君に申し上げるとアメタネコとクシミカタマとを安川に遣わして、仮宮で祈らせました。
すると、民の病気が治り、稲の病害もなくなりました。
直りの祓をすると疫病も治り稲の病害も治ったので、君の詔がありました。
「ワニヒコ(クシミカタマ)の祖先のクシヒコが君を諌める直ぐなる心を持っていたのでヤマトカミと名を賜わりました。
今、我が民や稲の病を直した功績により直り物主のカミの名を授ける。
アメタネコも先祖のワカヒコの誠実な鏡の臣の役目を継いでいるので、直り中臣のカミの名を授ける。
共にその名を末永く継いでいくがよい。」
四年二月、ネウエ、キナエの月に君が詔を下されました。
「ミヲヤの神が残された都鳥の教えが我が身を助け敵を倒し、国々が治まったのでアメトミに下賀茂の社を遷させミヲヤ神を榛原の鳥見山に祭る。
アタネにカモタケツミの政を継がせて国造とする。」
一月十一日に県主達を召して、御酒を振る舞う慣わしがここに始まりました。