息子が、集団行動ができないとかで、

保育所のころから、巡回相談に引っ張られた。
 
朝の体操のとき、1人だけ砂場にいる。
声をかけても砂場にいる。
引っ張っても動かないから、先生がサジを投げるドクロ
 
 
小学生にあがるとき、
支援学級を進められた。
 
私は入れなかった。
 
 
小学1年の12月。
担任からの進めで病院に。
 
みんなに馴染めず、一人行動。
掃除の時間も一緒に出来ない。
 
 
発達障害の診断がくだり
コンサータという薬を出された。
 
 
飲んですぐに大人しくなる息子。
 
動き回らない。
電車で椅子に座ってることができるようになった。
 
 
でも、これって必要なの?
 
 
 
それなのに、
薬を飲ませ続けた私。
 
 
副作用は、食欲減退、不眠。
 
 
 
 
 
知ってたよ。
 
私が怖くて、飲ませた。
 
 
 
これ以上、学校から電話かかってこないように。
他の保護者から怒られないように。
 
私が飲ませた。
 
 
 
あまりに副作用がひどく、病院を変えた。
ストラテラが処方された。
 
 
薬を止める、という選択肢にはならなかった。
 
 
 
 
世間の目を気にした、私の選択だった。
 
 
 
そして、自分の母の機嫌を一番優先していた。
 
「お願いだから静かにして。
ばあちゃんの機嫌を損ねないで」
 
 
 
表向きでは、
「子どもがちゃんと社会でやっていくため」
 
子ども思いのフリした、
自分のことしか考えていない親。
 
 
そもそも、このブログの毒親問題は、
自分だって当てはまる。

 
────
 

言葉の裏を読み取れて

 

人と関わるの得意で

 

予定が急に変更になっても落ち着いていて

 

こだわりがまったくなくて

 

いつも注意深くて

 

じっとしていて

 

何があっても心が動かない人の方が

 

逆に怖くない???

 

っていうかそんなやついるの?

 

(一部抜粋)

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コバにね、

7年前に出会えてたら

 

私の選択肢は変わっていたのかな?

 

 

 

今は薬は飲んでいない。

 

やめたのは、13才。

 

 

 

息子が学校に行けなくなり、児相が息子を預かったから。

 

強制終了だった。

 

 

 

病院の予約が入ってた。

薬ももらわなきゃ。

 

 

 

何もかも、出来なくなった。

 

会うことも、しゃべることも、着替えを届けることも、薬を飲ませることも。

 

 

 

私は、逃げた。

 

息子を引き受けることも拒否したし、

住んでた町も、誰にも言わずそっと引っ越した。

 

 

 

4ヶ月の月日が流れて、

息子との生活が再び始まった。

 

 

 

問題行動が続いた時点で、病院の先生にもサジを投げられた。

 

「薬を飲むことより、すでに発達障害の二次障害になってるので」

 

 

 

引越した先の、

新しい学校へ挨拶に行くのが嫌だった。

 

私は、戦闘態勢で挨拶に向かった。

 

 

 

新しい学校の先生は、

 

「コミニュケーションが上手くないだけだよね。クラスのみんなに伝えておこう」

 

「前の学校との関連性ないほうがいいよね。どこから来たことにする?」

 

「昼夜逆転ゲームしててもいいよ」

 

 

 

ダメだと思ってたことは、ダメじゃなかった。

 

迎え入れてくれた。

 

 

(当時の日記→◆ゲーマーでいいんだよ

 

 

 

もう薬はなくたっていいんだ。

この子の個性なんだ。

 

 

 

 

退会したBトレへの再入会。

 

 

 

発達障害の息子

 

問題行動を繰り返す息子

 

絶縁したので、頼れる親はいない

 

 

 

この全てを、受け入れた。

 

「子どもがいるから出来ない」

 

と言いたくなかった。

 

 

 

 

私は初めて、自分の意思で動けたよ。

 

息子を置いて東京へ流れ星

 

 

1人の留守番

 

 

 

 

見張らなくても大丈夫キラキラ

 

私の好きなことして大丈夫キラキラ

 

 

 

そして、

私だって、電車は毎回乗り過ごすじゃないかねー

 

発達障害があるとすれば、

私だって当てはまるんじゃないの?

 

 

 

でも

 

いいじゃない。

それでにやり

 

 

今はそう思えるキラキラ

 

 

 

 

あれから1年

 

今日は息子とUSJデートですウシシ