論戦について - 理屈と感情 | アイループ パソコン修理日記

アイループ パソコン修理日記

大阪市阿倍野区のパソコンショップ「アイループ」における修理記録をつづります。

◆論戦

大人になると理不尽なことが増えます。ガチで論戦する際は、相手にまず腹いっぱいしゃべらせるのですが、その論理の矛盾を指摘したとしても、自分が正しいと思い込んでいる人は馬の耳になんたらかんたら。これではマジメな論戦になりません。

◆勝負はマジメに!

どんなに仲の良い友達であっても、こと勝負事についてはマジメに勝負すべきです。夫婦ゲンカなんかはその良い例で、お互いに意見を主張して、相手の正しい部分は認め、譲れない部分は反論し、自分の間違ったところは認めて謝る、こうやって意見をすり合わせていくのが夫婦ゲンカのお手本だと考えます。

◆論戦では反語を避ける

論戦においてなるだけ避けるべきことは…反語表現、相手をむやみに挑発する、自分の意見を押し付けるなどです。論戦でこれらを多用する人は、墓穴を掘ることになるので注意したほうがいいでしょう。たとえば親が子どもを叱るときに反語表現で「なんでこんなこともできないの!?」とか言うけど、これでは子どものモチベーションを下げるだけです。

◆理屈っぽい…

最近ホンマに理屈っぽくなってきました。お客さんにパソコンのことを誤解なく、それでいてわかりやすく伝えるための論理的な説明ができないといけません。パソコン関連の説明は例外だらけで、例外の例外まで当たり前にあるのです。そんな難しい分野ですが、知識武装・論理武装して説得力のある説明を繰り出す訓練をしていると、理屈を基準に会話するクセが付いてしまいます。

◆理屈での会話における光と闇

理屈で会話できることは、悪いことでは無いと考えます。理屈っぽい人同士の論戦では、お互い冷静に意見のぶつけ合いが繰り広げられます。ヘタに感情が入らず、システマティックな会話です。こういった会話では、お互いにある程度納得のいく結論が出る場合が多いです。理屈での会話は素晴らしいものだと思います。が、究極的にはコンピュータのような、ロボットのような、そんな味気無く冷たい世界になっていく気がします。

◆会話に感情が入ってしまうのが人間というもの

人間である以上、どんなに理屈ではわかっていても我慢できない、感情的な部分があるはずです。それらは妥協してもある程度許されるところだと思うし、それがあるからこそ人間なんだとも思います。人との会話では理屈を基準にしたいですが、相手の感情を無視するわけにはいきません。感情的になったからといって、それはむやみに非難すべきものではないのです。たとえ理屈に合わなくても、自分の素の感情を出したり、相手の感情を受け止めたり、そういうやりとりがあるほうが、より人間的なのかもしれません。理屈を基準にしながらも、どこまで相手の感情を受け入れられるか、それが人それぞれの考え方の差になっていくのだと思っています。