▼▼上記記事より抜粋▼▼
友情を維持できるのか、それとも「恋人か絶縁か」の二択になってしまうのか。その分かれ目は、感情は感情として受け止めつつ、理性的に行動できるかどうかにあります。
告白された側としての行動ポイントは、一言でいえば断り上手かどうかです。「あなたのことは本当に信頼しているし気持ちは嬉しい。でも、大事な親友でいたい」と、相手の存在を認めつつ、恋愛のみ断るという大人の対応力が問われます。
告白した側も、相手の回答がNOであっても「はっきり答えてくれてありがとう」と言える度量が必要です。
こうしたコミュニケーションが成立するためには、お互いに感情面で穏やかで、成熟していて、依存的ではない。そうした精神的な土台が必要です。精神的に成熟した男女間には友情が成立し、未熟だったり依存的な男女間には成立しない。これが真実だと筆者は考えます。
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お互いが「大人な対応を取れる」という前提であれば、仮に恋愛感情を持ってしまっても安心して気持ちを打ち明けられる。もしフラれても、友達のままでいられる。
本当に心がバラバラに砕け散るパターンは、[友達→恋人]への発展が失敗したときではない。[友達→(絶縁)→他人]になってしまったときに悲劇が起こる。このパターンは、どちらかもしくはお互いが、大人な対応を取れなかった場合に起こってしまう。
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■ 親友(無償の愛)
□ ▲愛情
■ 恋人(利害関係)
□ ▲交際
■ 友達(基準値)
□ ▼絶縁
■ 他人(交流無し)
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僕の考えは「一部を除いて、男女の友情は成立しない」側になる。まだ関係の浅い異性に対しては、恋愛感情を持ってしまう可能性が0%とは断言できないからだ。それはそうと、僕がこの日記で言いたかったのは友情についての話ではない。
◆[恋]は[愛]に勝てない
一部というのは「恋愛関係を通り越した境地にある男女関係は友情(愛情)」ってとこ。
見返りを強く求めてしまうのが「恋」で、見返りをあまり求めないのが「愛」という前提で語る。そうすると、[恋人]よりも[親友]のほうが大切な存在だ。[恋人]ってのは唯一無二の最高レベルの人間関係ではない。「恋人を最優先にして行動して欲しい!」などと考えてしまうのは、中学生や高校生までによくある未熟な感情だ。
長年連れ添った夫婦の関係は「愛」だと思う。親の子に対する感情は「愛」だと思う。元恋人で別れてからも連絡を取り合っている関係は、もはや俗っぽい恋愛感情の無い「愛」だと思う。苦楽を共にした大学時代のサークル仲間もそう、「もはや恋愛対象として見れない」ってのは、彼らに対する精一杯の褒め言葉だ。「愛」ってのは、そういったものすごく次元の高いレベルの感情だ。
で、その「愛」に満たないのが「恋」。恋には必ず利害関係があって、何かしてあげたら、何か返して欲しいと考える。何も返ってこなかったら、心は満たされない。しょせんその程度の感情で、恋ってのは愛に比べるとはるかに次元の低い感情だ。
だから、昨日知り合った[友達]が、次に「恋(恋人)」へ発展することはあっても、行間飛び越えてイキナリ「愛(親友)」へ発展することはあり得ないと断言する。
◆[恋]は人を成長させる
好きな人にアプローチするってのは、相手の心の縄張りへ強引に踏み込んでいくこと。恋愛ってのは、[愛]してるワケでもないのにムリヤリ親密な関係をもち、それを維持すること。これはお互いかなりのエネルギーが必要なことだ。
恋をすると、おおむね良い結果につながる。フラれても、友人関係が維持できればベターだ。付き合ったけど結果的に別れた場合、それでも友人関係が維持できればベターだ。別れたあげく友人関係すらブチ壊れた場合でも、それを糧にしてお互い成長できたのなら、それは結果的にベターだったと言える。
ただし、精神的に何も成長できなかった場合は、単なる悲劇で終わってしまう。自分を省みることなく、相手が悪いんだと一方的に決め付けてしまうのは、成長ではなく悲しい合理化だ。あーなんて自分は不幸なんだろう…と考えるのは、他人の同情を求める悲劇のヒロインだ。もう恋なんてしないって思うのは、言ってることと考えてることが真逆になる反動形成だ。
失敗することは良いことだ。大切なのは、失敗した自分を客観的に見つめて積極的に変わっていく姿勢、これがなければ絶対に成長は無い。そして、このことは誰もが頭の中ではわかっていることだ。