4月半ばになっていた。

昨年11月理事会に戻るが、業務会計責任者だった旧従業員Fは29年間毎年決算書を作成していた。しかし、昨年夏に退職した時にリベート問題は発覚するし、決算書は銀行残高や現金残高と合わないし、もうめちゃくちゃだった。そこで11月理事会は会計処理の正常化を図るため顧問税理士を迎えることを承認議決して12月から顧問に入ってもらった。が、それまでの会計帳簿が記帳方式に大きな違いがあったため11月以前の帳簿と整合性をとるのに苦戦した。また従業員の年調のこともあったので、令和4年1月まで少なくとも遡って記帳をやり直さなければならなかった。これが大きな問題になり出す。

 

令和5年2月頃、自分はまだ理事だった時にふと顧問に入ってもらった税理士Rが2月までの今期データを会計ソフトにいれてくれているものと思い込んでいた。でもデータ入力は従業員の仕事だ。Qがデータ入力の担当になっていた。ただ、令和4年1月からの会計データをソフトに入力しなければならない。よくよく状況を聞いたら、昨年9月までのデータしか入力できていない。決算は5月なので現時点2月からあと3ヶ月で昨年10月から今年5月までのデータ入力が間に合うのか管理士顧問から顧問税理士に内々に尋ねてもらった。返事が返ってこなかった。

 

令和5年4月にデータ入力していたQが退職届を出した。自分はQの代わりを補充することも大切だが、5月決算なので6月いっぱいで決算書が間に合わなければ、大変なことになると思っていたが、誰も気づく者はいなかった。

管理士顧問は労務経理が十分にできる女性事務職員が見つかったと主だった役員に伝えてきた。そして管理士顧問は顧問税理士と協議して決算書は7月10日までに提出するということで打ち合わせできたと自分に連絡してきた。安堵した。

 

自分はもうすでにQと退職日までの詳細打ち合わせをしていた。6月20日付退職、7月10日までパート扱い、有給の残りは買い取り、勤務場所は顧問税理士事務所。交通費は実費、勤怠は顧問税理士事務所で記録。それで早々とQは退職原因となったストレスから逃れるために税理士Rの事務所に行きっぱなしになる。

 

以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合35」に譲ることにする。