自分は約45年前に4年生の私立総合大学を卒業した。学部は経済学部。国立大一期校の受験に失敗し二期校は受験しなかったからだ。卒業証書を授かると経済学士と呼称される。
経済とは、人間生活に必要な物資の生産・流通・交換・分配・消費する活動。 また、それらの行為を通じて形成される社会関係の総称。 金銭のやりくり。 経済は、古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。
大学1年生、2年生の2年間は教育課程で一般教養を修め、2年生の終わりに自身で後の2年どんなことを研究したいか、どんなことを身につけて社会の役にたてるのかを考えて専攻を決める。
経済原論、経済史、経済学史、国際経済論や国富論・資本論・ケインズ経済学からの新しい経済理論の仮説を打ち立てることなどを経済学部事務局から専攻の対象として提示された。その中に会社経営における会社法研究のゼミ(専攻クラス)があった。
2年生の終盤、ゼミを選択するとき、単位が取得できていないと3年生に進めず留年する。単位が取得できていれば、ゼミの教授に申し込む。
定員以上であれば、2年生までの成績、小論文提出、面接選考となる。定員以上なる一番の理由はそのゼミ(担当教授)が就職先企業に人気があり就職に有利であること。ただ、公務員採用を目指している者にはあまり関係ないのだが。だからゼミ選択は第1志望、第2志望、第3志望まで提出したような。
自分は社会に出た時、会社経営の役に立つ会社法を研究するのが一番実践的だと考え、自分の専攻は商法の中に規定されている会社法にした。本来、会社経営に関する研究であれば商学部になる。また法律に関する研究であれば法学部になる。この大学には商学部も法学部もあった。
会社法研究ゼミの教授は法学部からきていて他学部の教授が経済学部のゼミにきているのは自分が選択したこのゼミだけだった。自分が選択したゼミも定員をわずか上回った。自慢ではないが、2年生までに単位を取得した科目の個々の成績はほとんど「優」(80点以上)だった。今は90点以上は「秀」というランクが付加されているらしい。なので第1志望通りそのゼミに入ることができた。
卒業論文は大学指定の200字詰め縦書き原稿用紙100枚以上2万字以上で4年生の卒業間際の2月の締切日までに学部事務局に提出する。
当時学生証は縦5.5cm×横4cm大の3つ折り紙製だった。数年前に気づいたが、現在の学生証はICチップを埋め込んだクレジットカード大の優れものらしい。
自分が卒業する時、大学同窓会終身会費を納めると免許証大の紙製納入済証を発行された。どこにいても大学事務局に連絡すれば、年に2回同窓会報が終身送られてくる。
学生証も卒業証書すら終活で当の昔に断捨離したが、この終身会費納入済証だけ今も長財布に入れてある。
自分と同ゼミの同期生で上場会社の大企業の専務と別の上場企業の副社長をまだ現役でやっているものがいる。彼らはまさに大学ゼミで習得したものを会社経営の実践に活かしている。
しかし、自分たちが卒業してから約20年後、金融3業種(銀行、証券、保険)の壁を取っ払う金融ビックバンが起きた。続いて商法大改正で法人格の在り方、法人制約の緩和など対外体力強化などが策定施行された。
自分たちが大学在学当時に研究した経済経営環境や法令はすっかり変わってしまったと言える。
大学ではバイトして遊んで勉強もしたが、一番良かったのは思考法が身についたこと。物事を客観的に見つめることが少しできるようになったこと。
自分はもう浮世離れしたところで生きているので、目まぐるしい世の中の流れは1歩引いて眺めていたいと思う。