11月5日理事会が開催された。監事を辞任したAと理事資格のないことが判明していたBは欠席した。何も管理組合運営のことが分かっていないABの子分で操り人形Cは出席した。

 

10月1日のAと同様、Cは理事会開会直後、議事進行を妨げて冒頭に発言した。「Bは総会で選任承認を受けているのになぜ理事職を継続できないのか」と理事会全体に問うた。自分は2日前の夜にBと会って、もう理事会に出席しない、Cは理事会のこと何もわかっていないので後を託せないと言っていたのを思い出した。CはBとこの2日間何も話していないことがわかった。

 

Cは大先輩Bに義理を果たすため、そして役員資格の定義もわかっていないこともあったが、Bの耳に入るようにするためスタンドプレーでええカッコした。自分はCの質問に理事みんながBの理事欠格事由をよく知っていたので誰かがCに向かって答えるだろうと思っていたが、議事進行妨害発言ということもあってか誰もCに答えず20秒くらい沈黙が流れた。

 

理事会や総会の正式な場で出席資格を持つものが正当な質問した場合、すでに明確になっているものは回答するか不明確なものは後日調査の上回答するか何らかの返事をしなければならない。Cの質問は不規則発言だったが、Cは理事の誰もが理由を答えられないと言って自慢げにABを始め理事会外で声高に理事会を批判するのが見え見えだったので自分がCに対して説明回答した。

 

1月にも同じような事例があって理事資格を喪失した理事がいること。管理組合はBだけ見逃すようなダブルスタンダードを容認できない。管理組合は役員候補時に登記情報を取得していないが、総会承認を受けた後でも理事資格のないことが判明した時点で管理規約に照らして自動的に役員でなくなることなど。

Cは自分の説明を聞いて何も反論せず黙ってしまった。Bはこのルールを知っているのにと思った。

 

議事進行を元に戻して審議が始まった。

10月理事会で継続審議になっていた8ヶ所の非常階段出入口ドアノブシリンダーを理事会未承認で交換したが、どうするかの審議になった。

交換するまでは夜22時に8ヶ所の非常階段出入口ドアは夜警巡回員が内側から施錠した。朝マンション住人が最寄りの非常階段出入口から出かける時に開錠して日中は誰でも出入りができるようにしていた。

 

ABCと一緒に私的ミーティングをやっていた他の役員有志から再び批判の声が上がった。新しく交換したドアノブシリンダーは内側からドアノブが回って開くが外側からはカギがなければドアノブは回らず開けることができない。確かにこうすれば非常階段のどの出入口からも外からの侵入は24時間基本的にできなくなり防犯性は今までより高くなる。

 

C以外の理事から10月理事会と同様に様々な批判が出る。

1. 非常階段出入口に近い部屋の住人が日中まとめ買い出しなど大きく重たい荷物を持って入れない。雨の時も同じで中央玄関に大回りして館内に入らないといけなくなる。

 

2. 外出時あるいは非常時に出入口を出た直後に忘れ物に気づいても取りに戻れない。

 

3. 非常階段出入口付近の部屋を日中そこから出入りができることを前提に購入入居した。

 

4. 夜警巡回員は8ヶ所のカギを暗がりの中使って出入りをする。今後の非常階段の利用方針や方法を知らせているのか。

 

5. 住人も9月29日交換工事当日の貼り紙で初めて知った。周知していない。

 

6. カギをコピーして住人が日中出入りできるようにすることは考えていない。

 

7. カギのコピーはメーカーで割高料金でしかできない。格安コピーカギはドアノブシリンダーを壊し故障原因となる。


9月29日のドアノブシリンダー交換強行以来今日の理事会まで近くの理事に住人から数々の苦情が寄せられた。これまでの経緯や現状の把握、防犯性と利便性のバランス考慮、今後の利用方針の確立などせめて私的ミーティングでもこれくらいのことは議論していなければ、やることが稚拙としかいいようがない。ABCは防犯性を高めれば、それでよくすべてに優先するという安易な考えだから大きな騒ぎを引き起こすことになった。

 

これらの議論を受けてマンション竣工以来これまで45年間取り付けていたドアノブから理事会未承認で交換したドアノブシリンダーをどうするかの審議に入った。自分は10月理事会もこの理事会もこの件に関しては一度も発言しなかったが、初めて発言した。「ドアノブシリンダーは原状回復すべきです」と意見を述べた。すかさず副理事長Gが同調した。続いて理事Hも同調した。理事3人が同意見となって大勢が決した。採決の結果、出席理事8名のうちC以外の理事7名の賛成多数で承認議決した。

 

この件については自分は問題提起せずにしておいたことがあった。ドアノブシリンダーを前のものに原状回復させるのに理事会承認を得たので管理組合はその費用を支出できる。しかしABCDは理事会未承認でドアノブシリンダー交換をしたので、その費用は管理組合からすでに支出されているが、彼らは連帯してその費用を管理組合に弁済しなければならない。親交を深めていたDには下話をしてあって費用の1/4を負担すると内諾を得てあった。これはこれからABCが理事会に仕返ししてきた時の迎撃カードになるため温存しておきたかったからだ。この予感が不幸にも翌年的中することになる。

 

もう1つ、管理組合の軽四トラックを新車に買い替える議案があった。

理事の前に3社の見積もりが置かれ、価格比較することになった。その1社はC紹介の業者だった。結局C紹介の業者は一番高く、最安値の業者に決定する前提でエアコンなど付属品、アフターサービス、保険の確認に入った。

その時Cが中座した。理事会は最安値の業者から軽トラを購入することを決議した。Cが会議室に戻ってきた。最安値の業者より1万円安くしたC紹介の業者の再見積書のFAXを持っていた。Cのやっていることを見て理事全員が失笑した。大のおとなが平気で後出しジャンケンする。もう呆れて言葉が出ない。C自身は悪いこと、恥ずかしいことだとわからないから何とも思っていない。70歳の老人は哀れでもあった。

 

たくさんの審議を行い理事会は閉会した。

 

Cから理事会終了後ABは理事会の話を聞くことになるのだなあと思った。

令和4年秋から2年半後の令和7年春、大阪に戻っていた自分は人づてにAのことを耳にする。Aは令和4年10月頃、批判を浴びて役員を辞めたものの悔しくて悔しくて夜も眠れず、どうやって理事会に仕返ししてぶっ潰してやるか毎晩寝ないで考えていたと。しかしAは自身の過ち落ち度を反省しているとはまったく聞こえてこなかった。

 

その日の夕方、副理事長G、管理士顧問、自分、この3人の共通の知人の4人で会食に出かけることになる。出かける時に管理事務所から自分に電話がかかる。Cが管理事務所に理事長宛ての理事辞任届を持ってきた。事務所で預かって明日午前中理事長に渡すとのことだった。他の3人にも告げると当然の帰結でCには管理組合の役員は荷が重すぎると皆同じ意見だった。17時半頃だった。

 

18時頃食事処に着いて、最後に店のドアを入ろうとした時、Bから電話がかかってきた。

 

以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合15」に譲ることにする。