参拝に続いて本殿横の遊就館(ゆうしゅうかん)を初めて見学した。遊就館では主に幕末から大東亜戦争(太平洋戦争)までの資料が展示されている。

 

遊就館見学の感想を記す前にどうしても省くことができないことがあるのでリンクを貼る。

 

 

靖国神社は大東亜戦争終戦後、国家主義と軍国主義の象徴とみなされ解体の危機に瀕したが、GHQの指令で政府管理を離れ一宗教法人になって存続を許された。

 

 

靖国神社の御祭神は国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊みたま が祀られていて、その中には軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、勤労動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られている。このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られているのは、靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあるからで、その資料が遊就館に展示されている。

 

祖父と同様に大東亜戦争で尊い生命を捧げられた方々の神霊の中で特攻で祖国に殉じた英霊の資料を見学した。

祖父は後ろ髪を引かれる思いで家族をおいて死地へ赴いた。そして特攻に赴いた英霊は20~25歳の若者ばかり。

 

国家主義と軍国主義の政策や教育のせいなのか英霊は特攻に出る時当然のように潔く爽やかにその心中を遺書にしたためている。

「お母さん、先立つ親不孝をお許しください。見事国のために務めを果たしてきます。いずれ靖国に会いに来てください。」

「靖国で待っています。お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、・・・」

 

戦友同志は戦場で死に直面した時の合言葉は

「靖国神社で会おう」

 

もう遺書(神霊の言乃葉)を読むのが泣けてきて嗚咽しそうで辛かった。みんな本当は生きていたいという強い思いは絶対あったはずだ。こんな無辜の国民を死に追いやった当時の国家主義軍国主義体制と国際情勢を憎いと思った。戦争は絶対にしてはならない。戦争は銃後の女性子供まで塗炭の苦しみを与える。戦争反対は人類普遍の原理であり論を待たない。

戦争観、A級戦犯合祀問題、戦争責任などまだまだ繊細な問題や議論があるが、これについてはその私見をいずれ別のブログで記したい。

 

ここでは当時日本のため家族のために祖父、特攻に駆り出された若者や尊い生命を投げ出さなければならなかった方々の神霊に深い敬意と感謝の念を表するだけでもうこれ以上何も思い浮かばなかった。祖国に殉じられたというか祖国のために犠牲になった尊い神霊のおかげで現代の日本国と日本国民の平和や繁栄があることを決して忘れてはならないと自分は改めて思った。神霊には安らかにおわしませと、そしてこれからも遺族、国民を見守り続けてほしいと万感の思いを込めて祈るだけだった。

 

神霊の思いに触れて命の尊さや大切なものを守るということを今の日本の若者にも学んでほしいとただただ純粋に思った。靖国神社は自分のアイデンティティを認識させてくれるところだと思えた。そして日本人で良かったと心から思えた。合掌