5~6月頃に少し遡るが、Aと自分は令和4年初めから5月くらいまでは管理組合立て直しというか言い換えればマンションを良くしようという共通認識でいた。良くするというのはマンションを安心安全快適にするということで役員有志全員が一丸となっていた。
この頃Aと自分は良好な関係を築いていた。ある日Aと二人で世間話になった。自分は過去に患ったうつ病という精神障害の後遺症と加齢で熟睡できないことがほとんどだが、年長のAはよく寝れない時はあるのかと尋ねてみた。Aは普段十分に睡眠できているが、日中に何か思い通りにならないこと、他人から批判を受けた時があると悔しくて腹が立ち夜中に目が開いて、どうやってやり返す(仕返しする)か考えてしまって寝れなくなるとよく言っていた。
私的ミーティングは5月まで何度も開き管理組合の通常業務の洗い出しと把握、その情報をもとに議論を重ねて業務別に複数の改善案を策定した。役員有志がそれぞれ割り当てられた担当業務の改革実行プログラムが6月に入って進むにつれて、プログラムの進捗状況、十分に業務改善が行われているか確認など全体的なスケジュール管理を自分が事実上行った。
役員有志はみんな忙しいとか実際どのようにしたらいいかわからないとかでなかなか上手くいかなかった。それぞれ担当しているプログラムでどうしても滞りがちになったものは自分が助言した上で、それでも無理なら自分が引き継いだ。特に新従業員受入れの人事プログラムは緊急を要した。6月理事会に絶対間に合わせなければならない。
Aにも割り当てられた担当があった。旧従業員の不正疑惑の調査、駐車場管理と防犯防災の改革実行プログラムだ。遅れていた。自分はAにも助言した。6月の理事会で承認を得なければ前には進めない。
役員有志が集まった私的ミーティングの席でAは自分に「自分はAの担当プログラムのことをなんでもかんでもAから他の者に言え言えという。もうやってられるか。」と大声で息巻いた。Aの担当なのだから勝手にAを差し置いて他の者に何かを伝えることができないからAに助言しているのだが、Aははるか年少の自分に指示されていると思って気分を害していたようだった。
しかし、血の気の多い自分もカチンときていた。自分だって誰も忙しい、説明してもわからないと言って役割分担したことをしてくれないからどうしてもと思うものだけ引き上げてやっている。それをやってられるかといわれて切れた。「こっちこそやってられるか」と言い返した。それでもミーティングが終わってから年長のAに頭を下げた。
ここからAとは心の中で袂を分かつことになったと思う。
Aはまったく管理組合の仕組みや手続きがわかっていないのにマウントをとりたい、小山の大将になりたいという小さな野心は見え見えだった。Aが担当していた旧従業員の不正疑惑の調査、駐車場管理と防犯防災の改革実行プログラムは6月理事会にかけることができず、次に開催される秋の理事会までA自身のせいでお預けになってしまった。
そして9月29日ABCは理事会未承認のまま非常階段出入口ドアノブシリンダー交換を強行する。10月1日理事会でAは他の理事から散々批判を浴びた。皆は批判したので、自分はAには何も言わなかった。
10月12日Aは理事長宛てに監事辞任届を提出し、一組合員(区分所有者)に戻る。Aは勝手に役員有志から役員を追われて辞めさされたと被害者意識をもち猛烈な仕返しをこれから開始する。
Aは仕返しのために幾夜も寝ないで考えたらしい。先のブログでも記したが、Aは誰にでも上からものをいい、相手に不正など弱みがあると、それで脅して言うことをきかせたり、失態がある相手ならかばってやって恩を売る。管理組合に不満がある相手なら同調して協力者にする。何かに秀でている相手ならおだてて教えてもらう。これらの人間を情報収集と管理組合運営の妨害のため糾合し利用した。
どこのどんな小さな社会にもいるどうしようもない人間なのかもしれない。こんな人間と出くわすとはこの管理組合も自分も不幸だった。
以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合13」に譲ることにする。