令和4年6月の決算理事会でマンション管理士参画を決議し、マンション運営管理に助言をもらうことになった。その後の総会でも管理士参画を承認し、正式に7月からマンション管理の顧問に就任してもらうことになった。
管理士によれば理事会が旧従業員EFに29年間も任せっぱなしにして管理組合運営の修繕会計の実務を指示監視できなかったのが、EFの旧従業員の不正疑惑を招いたことになる。新体制を刷新整備して管理組合運営を理事会に一旦取り戻すには実務細部まで理事会で確認承認して新従業員に業務執行させるため、当面の間毎月理事会開催をしたほうが良いと助言を得る。
そのことによって理事会は令和4年10月1日から翌年に向けてほぼ毎月開催されることになる。しかし、この毎月開催が翌年になると理事の一部から時間的負担になると苦情が出て、提案した管理士が批判攻撃を浴びる原因の1つとなる。自分は毎月開催をもっともなことだと思っていた。
10月1日理事会は非常に重要な会議であった。たくさんあるが、主な審議として次の項目があった。
1. 理事会未承認のまま非常階段出入口ドアノブシリンダー交換を強行した件が審議されたが継続審議になったこと。
2. 17年勤続のパート事務員の退職慰労金支出承認。
3. EF旧従業員の不正疑惑認定。
理事会直後には理事長とAはFを呼んでFが直近3年間管理組合の直接取引先から別に個人事業と称して手数料(リベート)を得ていたが、退職月の1ヶ月分を放棄させようと話をして渋々認めさせた。EFの疑惑を上げれば枚挙に暇がない。
理事会翌日からの1週間で様々な動きが噴出する。
17年勤続のパート事務員が副理事長Gと管理士顧問に慰留され退職を撤回することになる。自分が知るようになるのは1週間くらいあとになる。
10月8日にこの理事会でドアノブシリンダー交換を首謀した監事Aが他の理事から大きな批判を浴びたことでAは自身の部屋にBCDを呼んで飲み会を開き元々私的ミーティングで理事会過半数の理事が了解していたのになぜあんなにAは批判されなければならないのかと理事会に対する不満をBCDを前にぶち上げた。酒癖の悪いBはACに焚きつけられ、ええかっこしいの性格も相まってACDの前で副理事長Gにチンピラ口調で電話した。ABCDでドアノブシリンダーを注文して交換したのは何が悪い、Aの部屋で頻繁に私的ミーティングするのはやめたほうがいいとはどういうことかと喰ってかかってますます言葉が汚くなっていく。
それを向かい側で座って聞いていたDがBに酔った勢いでそんなことを言うのはもうやめておけと注意すると今度はBはDに胸ぐらを掴みかかろうとして喧嘩になるところをACが止めに入る。飲んでこんな話をするABCは程度が低すぎるとしかいいようがない。
翌9日に従業員人事担当のBから自分に電話がかかった。17年勤続のパート事務員が辞めるということで退職慰労金支払いを理事会が決議したのに辞めないみたいだがどうするのかとBが自分に問い合わせてきた。自分も初めてその件を知る。そのまま在籍するということであればいくら理事会が退職慰労金支払いを承認しているからといって管理組合から当然支出されることはないとBに返事をする。何かとても不満そうに電話が切れた。
その日の夕方、今度は副理事長Gから自分に電話がかかった。昨夜Bからチンピラ口調で支離滅裂な電話がかかった。もう聞いてられないほどの内容だったと。電話が切れる前にDがもうそんなこと言うなと言っている声が聞こえてたとGはいう。パート事務員を慰留して残ってくれることになったのかと聞くとそうだ良かっただろうと返事。それでBはどこからか聞いて自分に確かめてきたのだとわかった。
以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合11」に譲ることにする。