今後も自主管理で管理組合を運営していく以上、管理運営の実働部隊である従業員を新規に雇い入れなければならい。 また29年間在籍していた正規職員3名を対象にしていた就業規則は彼ら全員が退職することになり、現状にそぐわなくなっていたこともあり理事会で廃止を決議した。 そして従業員募集と新しい勤務体系の承認を得て、求人の新聞広告を出した。 求人募集、面接、選考、採否の決定通知、雇用契約など一連の雇い入れ業務は理事である自分ともう一名の理事で受け持つことになった。
自主管理組合は必要に迫られて発足以来初めて管理規約に規定された理事会の責務として従業員の任用を行うことになった。 具体的には従業員雇い入れ業務を行ったことで、今後の従業員採用方法に道筋がついたことが大きかった。
令和4年初夏、何度も役員有志で業務分担し、2週間に一度くらいの頻度で最年長役員宅で打ち合わせ報告会とミーティング終了後引き続き親睦を兼ねて飲み会を行ってきていた。
でもミーティングを重ね、実際、改善修正に動き出すと最年長役員は自身に何でも報告が入らないと気に食わない。 何でも最年長役員から指示を出して担当役員が動かないと気に食わない。 最年長役員の思い通りにならないと気に食わないというマウントを取るというか小さなお山の大将になりたいという言動が顕著になり、最年長役員は2人ほど味方に抱き込んで、マンションの改善そっちのけでみんなを家来にするために主導権争いをし出した。
日本の政治の世界でも1人の政治家あるいは1人の閣僚が国家国民のために素晴らしい施策を実現したとする。そうすると仲間内からも陰でやっかみが起こる。それはその人の功績を横取りしたり、その人の善行の足を引っ張ったりする。それが人間社会の縮図であり現実だ。自分の活動はそんなこととまったく比較にはならないが、こんなごく小さな集団にでも起きることであり、最年長役員のような人物が実在する。
その時から自主管理組合の再構築という仕組み作りの方法手順が一番わかって率先して動いていた自分がやっかみの対象にされ、陰に日向に足を引っ張られるようになる。自分はそもそも名誉欲や達成感が欲しくて半年あまり役員として自主管理組合の立て直しをやってきた訳ではなかった。もう自主管理組合の土台はあらまし出来上がっていたので、総会直後の8月末に理事辞任届を理事長宛てに提出した。清々した。最年長役員と一緒に役員活動することは絶対嫌だった。
以降の話は次のブログ「マンション自主管理組合5」に譲ることにする。