英語ではロジスティクスという。現代日本では物流という。日本が一番不得手にしている産業分野だ。精神論を唱え兵站を蔑ろにしたから過去の不幸な戦争で多くの戦死者を出したと言っても過言ではないと思う。
今、物流は運送業または倉庫業及びその両方を担う企業の業態にしている。でも、この物流には現在も全体的総合的に分析調整し、まとめる司令塔的な役目を果たすところが内部にあっても外部にあっても脆弱だ。
運送業や倉庫業などの物流は第三次産業に分類されるが、情報通信業とともに、そろそろイギリスの経済学者が提唱した産業分類から脱して第四次産業を創設し、そこに位置付けてはと思う。海外に前例がない、予算が増えるとか何かとできない理由をつけて反対する省庁の部署があるなら、それは政治が解決する問題だ。
なぜこのようなことを提起するかと言えば、先の大戦で兵站を重要視しなかったせいで国民に食料不足で塗炭の苦しみを招いたこと、前線の兵士に水食糧の補給線を確保できず餓死者を多数出したという痛ましい失敗体験があり、猛省して物流(兵站)という産業分野の地位を上げ、これからは民生上で実質的ノウハウの強化向上を確実に行うことによって国民生活に貢献しなければならないからだ。
なのに今も日本の物流は弱い。物流を他の産業より下においているからだと思う。物流に対する認識が低いのはとても危険だ。食料自給率から食料安全保障という概念が出てきているが、具体的にどうやって国民に簡便、迅速に必要な食料日用品を安定的に供給できるかを常に準備考慮しておくのが政府の責務だと思う。
でも、国民の主食である国内産コメ不足によるコメ価格高騰で国民生活を直撃した。政府備蓄米を市場に放出しているが、コメ不足や価格高騰が収まる気配がない。農林水産大臣が4月に10万トンの備蓄米を追加放出すると発表したが、10万トンのコメが機動的に市場に出始めている気配を庶民が利用するスーパーでまったく感じない。政府発表すら焼け石に水になってしまった。
備蓄米を倉庫から取り崩し出庫、方面別数量割り当て仕分け出荷、輸送手段確保、中継センターなど流通経路手段(place)の指示確立がうまく機能せず、今も物流が効果的に使命を果たせていない。
万が一、南海トラフ巨大地震が起きて国民生活を直撃したら、 救援物資を隅々まで行き届かせるには物流の助けが不可欠だ。だからコメ10万トンすら流通させられないようでは何をかいわんやだ。
もう1つ気になることがある。万博チケット購入の件だ。
スマホやパソコンで万博のアプリやurlからID登録して万博入場券を購入する。入場日が決まったもの、決まっていないもの、入場時間、パビリオン入館抽選予約など入場券購入してからもパビリオン入館の申し込みもスマホやパソコンでする。グループ行動する時はグループの代表者がまとめて抽選予約申込をする。まだまだ色々とWeb上やらなければならないことがある。
これって自分より上の年代になってくるとスマホやパソコンの操作が複雑でわかりにくい。少し行き詰まったら前へすすまないものだから、お手上げで放り出してしまう。ということは高齢者は万博入場の手配をできる人が少なくなる。高齢者はなかなか万博に来づらい。高齢者の万博来場者数は少なくなる。事実上、高齢者を万博から締め出しているようなものだ。
今回の万博はアプリやWebを駆使して、ダフ屋による入場券転売やテロ行為などから万博を守るようにしているようで、それに加えて省人化して運営経費を節減するためにもITやAIに頼りすぎているのではないだろうか。しかし、これは運営主催者側の論理ではないか。
備蓄米流通にしても万博運営にしても、それぞれ生活している国民であり入場する国民が主役で最優先されなければならない。それを誰のための論理か知らないが、安価な備蓄米が国民に行き届かないことや万博入場券が購入できない高齢の国民を置いてけぼりする政府や窓口の機関は本当に自覚してくれないといけない。コメの消費者や万博入場者ファーストになっているのかと問いたい。
物流は流通にしても情報通信にしても緊急時、大規模自然災害など有事にその存在意義をいかんなく発揮できなければならない。備蓄米放出は国民生活を脅かすコメ不足という有事の国家的救済措置だ。その時に物流がその役割を果たせず、コメが全国に行き渡らないのは政府は未だに物流(兵站)を蔑ろにして、物流という大切な機能を未だに確立できていないことに等しい。
政府は過去の失敗体験を反面教師にして大いに反省し、国民生活において「物流」を重んじて国民生活に可及的速やかに貢献してほしい。今まさに物流の真価が問われている。