1970年代後半の大学時代4年間、旅行に出かけない限り本を読みまくった。乱読だった。
この時期テレビ番組を録画できるデッキがなかった。ラジカセの性能が進化し、それに呼応してウォークマンが登場した。インターネットの出現までまだ15年待たなければならなかった。
そんな中、およその内容を確かめたり、自分が読みたい本を探すのは至難の業で、図書館に行って司書に尋ねて借りてくるか、友人知人に聞いて面白そうなら貸してもらうか、あとは実際書店に行って本の表紙裏表紙の紹介文を読んで購入するかしかなかった。
購読ジャンルはおよそ純文学、海外文学、刑事法廷推理サスペンス、歴史・時代小説、紀行文、詩集、古典、社会・歴史・心理・宗教・哲学などの人文書、自然科学、旅行・地理、文例・冠婚葬祭・ビジネスマナーなどの実用書、学習参考書、まんがなど
好きな作家は松本清張、司馬遼太郎、ジョン・グリシャム(米)、司馬遷(古代中国)など
読みたい本は読んだ本が増えればふえるほど、取っ掛かりができた。読んだ本の文中に本のタイトルが出てくることがあるから。例えば時代小説で徳川家康の物語を読むと、260年もの長きに渡って日本を太平の世に導いた幕藩体制を築くために家康は若い時から「貞観政要」という中国の史書を読んで参考にしていたという。名だたる戦国武将は家康に限らず帝王学の勉強のため中国の古書を参考に読破していたと小説で描かれている。そこには「貞観政要」だけでなく「史記」「韓非子」「孫子」「三国志」などの古書もそうだ。自分は時代小説を読むことによって中国の古書と出会った。その中には「創業と守成いずれが難きや」「太公望」「背水の陣」「四面楚歌」「彼を知り、己を知れば百戦して危うからず」「三十六計逃げるに如かず」「三顧の礼」など現代日本でもビジネスシーンで頻繁に使われている言葉がある。語源を知れば、なるほどと唸ってしまう。
司馬遼太郎の著書に「街道をゆく」という紀行シリーズ本がある。全国各地そして海外にも出かけて旅先の国の風土歴史を考察している紀行書だ。その中に「紀の国」編がある。和歌山県は山海の自然に恵まれた風土で山が深く海も近い。山は森林でみんな覆われている。だから紀の国は元々「木の国」が語源というのが著者の推察だった。
確かに和歌山に住んでいた時、県内をドライブして内陸部に入っていくと山の深さと森林の中を走り続けることを痛切に感じさせられる。そういうことかと著者の考察にひとり頷いたものだった。
ネット検索でなんでも調べられる今と違い、こうやって書籍との出会いはどんなジャンルでもどんどん広がっていった。便利になったことは素晴らしいことだけど、今より手間暇がかかったことで読書したものは結構覚えているものだ。
自分にとって音楽が心を癒し豊かにしてくれるものなら、読書は自分の興味・好奇心に答えてくれる娯楽であり、沈思黙考する機会を与えてくれるものだと思う。